会員の動向
山木君を偲ぶ

  
  入梅で、台風7号が接近したり、天候不順ですが、お元気にされていますか?

  過日は、山木満君の件で、何かとご連絡を頂き、眞に有難うございました。 小生、勝手に余計なことをして、皆さんのメールを整理して、ご霊前(山木令夫人)に送ったりして、眞に申し訳ありませんでした。

 山木夫人からは、「親しい同期生からの言葉」を 大変喜んで頂きました。(「主人の山木も喜んでくれているでしょう」と)


 山木君とは、小生、学生時代から良く議論したり、喧嘩(口論)?したり、そして同じ北方で勤務したり、と、いろいろありました。

 そして、H14年に、小生退官した時には山木君は大病を患って、制服を脱いだ後も島松の官舎で、療養生活と、厳しい状況でした。
 御殿場の自宅に帰られてからは、小生、富士学校周辺に出かけるときは、出来るだけコンタクトを取って、山木君の激励というか、お互いの憂さ晴らしをしていました。

 H22年6月、徳島に都落ちということで、その前の5月12日に、お別れの挨拶ということで、御殿場に出かけ、駅前の喫茶店で、約1時間談笑したのが、小生には最後の機会となってしまいました。
 事後、約4年間、お顔も見られず、ご無礼してしまいました。

 奥様との電話で、「山木が約14年以上も、頑張れたのは、家族の絆のお陰だと思います。お陰で子供達二人とも、未だ独り身です」との、お話をされました。感激的なお言葉でした。

 7月5日・6日と、富士学校創立60周年記念日の節目の行事がありますので、小生、併せて御殿場の山木君の、ご霊前に、「お見舞いを出来なかったお詫びとご家族の立派なご支援への感謝」をしてこようと思っています。

 もし、同じ仲間として、奥様にお伝えするようなことがありましたら、ご連絡下さい。

                                                           福田 忠典
 
 3班福田君が故山木君との思い出をメールに寄せてくれました。
 心情溢れる内容で、山木君との交流を是非同期にも知ってもらいたいと思い、ホームページ掲載の許可を得ました。
 彼のことを忘れないで、時に触れて思い出すことが故人への一番の花向けになると思います。

                                                   同期生会ホームページ担当 田中 征之