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山根君の葬儀の様子と彼との思い出 | 田中 征之 | ||||||
JA斎場おおあみで行われた山根氏の葬儀に参加しました。 一言でいえば素晴らしい葬儀ででした。 山根君の突然の死を悼み、生前お世話になり、感謝の気持ちを伝えたい、彼の人となりに惹かれて親交を結んだ人たちが、この遠方でタクシーを使わないと行けない斎場おおあみになんと100人以上の参列者が集いました。 特に防大同期は20人近く集まり、中には九州から、関西から駆けつけた同期も数名いて、山根君の人徳がもたらすことと皆が話しました。 式では皆さんの焼香が終わったのち、小野寺君が弔辞を読み、防大時代、「部隊勤務、防大勤務、陸幕勤務」時代、そして最後の勤務で就職の世話をする元締めをしても、人の世話はするが、自分はその立場を利用したくないと引く手あまたの再就職を断り、大網の田舎に住んで、奥さんとともに晴耕雨読の生活を続けたことなど、彼を一番よく知る人からエピソードの紹介があり、人生をまっすぐに駆け抜けた、正義感、熱血漢でかつ友を大事にし、部下にも愛情を注ぐ等の素晴らしい人生だったとのこと、改めて、その人徳に思いをいたしました。 そのあと同じく小野寺君の山根君の死を悼む詩吟の吟詠があり、これがまたこの場にマッチして素晴らしかったです。 参列者の中にはそっと目頭を押さえている方もあり私も熱いものを感じました。 式が終わって棺に参列者も花を入れて最後の別れをしましたが、そのお顔はこんなに美男子だったのかと思えるほど、穏やかで美しいお顔でした。 お棺を見送り、棺が車で出発するまで石井君がフルート(ピッコロ)で演奏して親しい友を送ったことも印象的でした。 葬儀のすべてが終わり、山根氏への思いを胸に三々五々帰途につきました。 昨日の天候が嘘のように終日暖かい日差しで、天も常に快活で暖かい心を持った彼を見守ってくれたかと思えるようでした。 小野寺君の素晴らしい弔辞は?に載せてくれるそうで、当日の様子は写真に撮ってきたので拙い文とは別に写真集として載せてもらいます。 吉田満さんも仕事の関係で葬儀に出られなかったことは残念ですが、土曜に早速彼の自宅を訪れ、奥様をはじめ、御遺族に弔意を述べ、線香をあげてこられたことは立派です。 山根君もきっと喜んでいたことでしょう。 式が始まる前に奥様と話す機会があり私の方は忘れていたのですが、意外な接点があり、それは彼が防大に勤務しているときに娘さん2人が私の走水の親戚の娘2人と走水小学校で一緒で、親しく家族ぐるみの付き合いがあったと懐かしそうに話をしてくれ、「主人が田中の親戚なんだよとよく話してくれました」と私の名前も憶えていてくれました。 秋田美人で美しく教養豊かな人を妻に迎えたことは彼の人生最大のヒットだと思いました。 奥様の挨拶で、11月に二人で最初の任地の秋田に旅行し、12月も旅行する予定だったと喪主のあいさつの時に話されましたが、これからもご夫婦の楽しい人生が始まる矢先の事故で、誠に残念なことです。 合掌 |