会員の活動 |
吉田 満 |
「12班会、殉職した故村永士郎君の追悼行事に参列」 | |||||
12班9名は、去る10月28日、高田駐屯地おいて実施された原隊の追悼行事に参列し、殉職した故村永士郎君の御霊を慰めました。 ![]() 12班の故村永士郎君は、昭和47年4月18日、群馬県相馬が原演習場において普戦チームの訓練中、部下隊員の危急を見るや、身を挺し救わんとして転倒、壮烈な殉職を遂げられました。 その後、故村永士郎君の崇高な責任感を永く顕彰する慰霊碑が原隊(第2普通科連隊第1中隊)が所在する高田駐屯地に建立され、毎年追悼行事が実施されています。 ![]() ![]() 12班一同は、追悼行事前日の10月27日、この春開通したばかりの北陸新幹線で上越市に集合後、高田駐屯地へ向い、故人の人柄を想わせる秋晴れの穏やかな日差しの中、慰霊碑の清掃を行いました。 ![]() ![]() 宿に戻り、班会(懇親会)に移りました。 旧交を温め、近況報告や趣味等で話題百出。 最後は防大学生歌を練習してお開きとなりました。 ![]() 翌10月28日断続する雨の中、第2普通科連隊第1中隊長が執行する故村永1尉の追悼式が厳粛に開始され、黙祷に続き長沖中隊長から村永小隊長が部下隊員をかばい殉職に至った経緯と慰霊・追悼の辞があり、最後に 「村永小隊長の殉職以降、中隊に死亡事故がないのは、村永1尉が中隊を守って下さっているからと思っています。」 との言葉に士郎君は、原隊隊員諸官の心の中に生き続けていることを確信しました。 ![]() 次いで山根君が12班を代表して追悼の言葉を述べました。 山根君は防大での士郎君との出会いから幹候校、部隊勤務を通じた様々なやりとり、そして突然の別れまでの、心の琴線に触れる、沢山の想い出を慰霊碑の士郎君に語り掛けました。 ![]() 次に小野寺君が碑の前に進み出で、士郎君に対する追悼の言葉と中隊に対するお礼の言葉を述べた後、詩吟 安達漢城作「追悼の詞」と長尾哲吾防大指導官作「村永君の殉職を悼む」を吟じました。 折から雨足が一段と激しくなり、小野寺君の肩口や背中はずぶ濡れ状態となりました。 小野寺君は降りしきる雨音をも凌ぐ凛とした声で朗々と吟じました。 ![]() 最後に参列者全員が白菊を献花した後、石井君の笛の伴奏で防大学生歌を斉唱し、慰霊碑を囲み記念撮影を行いました。 ![]()
今回の追悼行事参列を通じ、故村永士郎君の隊員を思う熱き心が殉職後40数年経った今もなお忘れ去られることなく、原隊隊員諸官の心の中に脈々と生き続けていることを、実感することが出来ました。 士郎君と寝食苦楽を共にした同期生として、本当に有難く嬉しいことでした。 |