趣味三昧 米堂 征男
途中棄権
      
 7月24日行われた大雪山ウルトラトレイルに参加してきましたが、表題の通りの結果になってしまいました。

 実はサロマ湖100kmウルトラマラソンを10回完走目指して,一昨年まで6回連続して完走していたのですが、ここ2年続けて、パソコンの前で準備していたにもかかわらず、インターネット申し込み開始3分でエントリーできず、ザンネン!


 それで、今年は地元白滝で開催されるウルトラトレイルの80kmに参加することにしました。
 サロマ湖100kmの制限時間13時間に対して、15時間、100kmが80kmこれなら何とか完走できるだろうと思って申し込み、スタート地点に立ちました。


* 「トレイルって何だ」とという疑問があるでしょうからRUNNETの用語辞典から・・・ 

 トレイルランニング。直訳すると「小径(不整地)走」。
 クロスカントリーとの明確な区別が難しいが、トレーニングを目的とするよりも、冒険的な刺激やリフレッシュを目的として行うケースが多い。
 フルマラソンの夏場のトレーニングとして、暑さを避けて走り込むのに適しており、トレイルラン専用のシューズも販売されている。
 簡単に言えば我々が防大3年の時散々走らされた断郊と思って下さればいいと思います。


* ついでに「白滝」について

 石器時代白滝は世界最先端の生活用品の産出地であり工場でもありました。10数年前高規格道路を建設しているときに大量の黒曜石(十勝石)の石器とその破片が見つかり、一時工事がストップしました。

 もう一つ、明治45年白滝に和歌山県から入植した開拓団の長が「植芝盛平」です。この人は知る人ぞ知る合気道の創始者です。
 詳しくは遠軽町のHPをご覧ください。
  ・「黒曜石(白滝ジオパーク)」   ・「植芝盛平(合気道ゆかりの地碑)


















レース

 さてレースですが、私の想像をはるかに超えるもので超過酷でした。
 違う言い方をすれば単に練習不足なのかもしれませんが、でもこの日までに今年になってから1400km余り走っていたので余裕でゴールできるだろうと勝手に思っていたのです。

 7月23日白滝の交流センターで受け付け、携行品の点検、レースの説明そして交流会。

 交流会では7師団司令部の50台の陸曹さんだと思われる人と言葉を交わしました。
 「はじめてですか?」
 「はい」
 「今までにどんなレースに?」
 「去年サロマ湖100kmウルトラマラソンに参加して、12時間ほどでゴールしました」
 「私は2年連続エントリーできなかったのですよ。でもタイム的には同じぐらいですね」
 「明日はゆっくり行きましょう!おそらくゴールできるでしょう。」などと気楽な会話をしていました。

 23日の晩はスタート・ゴール地点(標高680m)で車中泊。

 24日0230起床、切り餅を1個食べる。歯を磨き着替えて。
 スタート地点へ、出すものをと思ってトイレ、でも水分だけ。

 スタートの号砲をするため遠軽町長が来場、早速挨拶に
 「町長、朝早くからご苦労様です!」
 「おはよう!がんばってね!」
 「年齢も考えず頑張ります!」と元気よく挨拶。
 
 0400スタート、
 背中には1リットルの水、懐中電灯、カッパ上下、携帯電話、補給食それと長袖のシャツ合計5㎏程になる荷物、保険証・・・。

 スタートしてすぐ500mの登り、それを過ぎると4.5kmの下り、下りきると直ぐに5.5kmの登りそしてまた下りと・・・・上ったり下ったり、それも砂利道、牧草畑、クマザサを急遽レースのため刈った凸凹の道。
 そして参加者全員がクマよけを鈴をジャランジャランさせながら。

 スタートしてすぐ山の端から太陽が、素晴らしい眺め気温は8~9度爽やかなRun、とても気持ちのいいものでした。スマホで写真撮影をする人もいました。
 「シャター押しましょうか?」
 「良いですか、お願いします」
 「別にタイムを競っているわけでもないですから」

 15km過ぎぐらいまでは余裕の走りでした。
 
 27kmのエイド地点、予定では3時間ぐらいで到達するつもりでいました、それが3時間31分。
 疲労度はサロマ湖100kmの時の60km程度か?太腿、ふくらはぎに既に痛みが出ていました。
 この時点でこんな状態で大丈夫かなと一寸不安な気持ちが頭をよぎる。

 その地点で多くのランナーが
  「5km程手前で蜂にさされた!」
  「大きかったのでスズメバチかな?」
  「スズメバチの抗体を持っているのでどうしよう!」
  「お尻を刺された」
 などと騒いでいましたがスズメバチではなさそう、70過ぎのジジーは美味しくないのか全く蜂も寄り付きませんでした。


 バナナ1/4、梅干し1個、コーラそして水を飲み、5分ほど休憩してからコースへ。



 そこから1km普通の道路、その次は畑と灌漑水路の道なき右肩下がりの斜面の雑草地を2km。


 やっと舗装道路に出て一寸ほっとするが8%を超えるような上り坂・・・・この様な状態が延々と続きます。それも前後1kmに人影もなし、もしかしてラストかな?

 クマの出そうな林道を延々と上ったり下ったり、どこまでこんな道が続くのだろう、時間はどんどん過ぎていくし。

 47kmについた時点で11時間30時分、62kmの制限時間が1200。応援のため娘と孫がこの先に来ているだろうと思っても太もも、ふくらはぎともにパンパンで激痛。気温も27~8度。
 「もう無理!ギブアップ!クソッタレ」

 「来年から100km含めもう金輪際こんなものになんか出ないぞ、ウルトラマンになるのは止そう、年相応に生活しよう」などとその時は思いました。


 私の時計(GPSで走行距離、経路、タイム、歩数等を記録できます)でのデータは

  走行距離 : 47.66km
  時  間 : 7時間31分23秒
  時  速 : 6.4km/h
  消費カロリー : 2,674C
 
 スタート地点までスタッフの車で送ってもらい、自宅に車を運転して帰りましたが、途中何度も睡魔に襲われ危ない目にあいました。

 3年前の洞爺湖マラソンに参加したときは、完走後温泉に入ってそのまま高速道路を運転して、何もなく帰れたのに、今回は相当疲労困憊していたようです。

 その晩は勿論爆睡。因みにアミノ酸が不足すると眠りが浅くなるようです。(いつもの練習後「アミノバイタル」の顆粒を飲むとよく寝れ、飲まないと一晩中のたうち回っていました)

 翌朝起きて階段を降りるとは筋肉痛で一苦労、こんなの7~8年ぶり、サロマ湖100kmに初めて参加した時以来のものでした。

 日が経つに従い足の痛みは薄れ、反対に悔しさが増し、来年こそはとの思いが段々と募ってきました。

 26・27日には足の痛みを堪えて10kmを走り始めました。

 実は3週間前遠軽駐屯地の創立記念行事の時、町長とこんな会話をしていたのです。
  「24日の北大雪ウルトラトレイルマラソンのスタートの号砲は町長がするのですか?」
  「そうだけれど、もしかして出るの?」
  「出ます?」
  「マジ!相当過酷だよ。大丈夫?米堂さん今いくつだっけ?」
  「72です。多分大丈夫だと思いますが?」
  「厳しいよ、でも頑張ってね!」
 
 そしてスタートして2km位走っているとき
  「米堂さん頑張って!」とエステマの中から手振って声援。
  「ハーイ、頑張りまーす!ありがとうございます!」

 そんなこともあり、来年はサロマ湖100kmウルトラマラソンにエントリーできて、走ったとしても1ヶ月後の北大雪ウルトラトレイルはリベンジしたいと今(29日現在)は思っています。

 でも一寸不安が、年とともに1年1年タイムは遅くなるし、去年春血液検査結果PSA値が11、入院検査結果前立腺に極小さな癌細胞がありました。今年の春の検査では9.24、「経過を見ましょう。」でした。
 
 でも今現在薬を一粒も飲まず、耳も目もマーマー異常なし、鼻が走るようになってから匂いがあまりしなくなったことぐらい。

 管理栄養士でもある家内に感謝、感謝があるのみ。


 また1年間年を忘れて、ほんの一寸必死になって走り続けようと思います。