趣味三昧 | 米堂 征男 |
6回目の100kmマラソン(2014.0629) | ||||
1.準備期間 今年は(古希であるが)トウネンとって還暦を迎えることになるのでしっかりと鍛えておかなければ、それで目標としては年間3000kmを達成したい。 そう思っていたが、2月に入って腰痛に見舞われ20日ほど走れず、鍼灸に4回も通うことになってしまった。あまりにも除雪を真面目にし過ぎたようだ。さらに3月の下旬には年も考えずにノンベイの娘に付き合って10日間毎日のように酒を飲んだため膵臓が少々疲れ気味で、左わき腹が腫れ、食欲もなく、下痢が止まらない。そんな状態ではまともに走ることができず、当然距離も伸びず4月以降大会が終わるまで禁酒を誓う。 そのおかげか5月頃には余裕を持って20kmを走れるように、タイムも去年並みになる。4月は240kmほど、5月は300km手前、6月は当日の100kmを加えて400km越え。でも例年に比べて走り込み不足は歴然、500~600kmほど少ないので、一寸不安な気持ちで当日を迎える。 6月25日まで走り3日間休養に当てる。27日に湧別体育館に受付に行ったのだが、受付だけなのになぜか胸が高鳴る。今年のゼッケンNo.3400いつも男子のブビーナンバー。帰るときには平静に戻っていました。 2.大会当日 朝3時に起きるつもりで目覚ましをかけたが、鳴らず(何せ30代前半のころ市谷のPXで購入したものです、一応デジタル時計です)20分ごろ起きる。家内は起きていて切り餅を焼いてくれていました。感謝! 4時に自宅を出て、車を運転して湧別体育館を目指す、途中で太陽が山から昇って、眩しい、今日は快晴だ。駐車場は車がいっぱいで200m程離れた消防署の駐車場に駐車(一寸問題がありそうですが、そこは北海道です、広いんです)、スタート地点に移動、まずは荷物を預けて、トイレに向かう。何時ものように仮設トイレには長蛇の列が、私はいつものように体育館のウオシュレットの快適なトイレへ。 例年に比べれば今年はトイレを待つ人が少ない、そういえば外の列も少なめだったかな?おかげで10分の余裕を持ってスタートの列に並ぶことができた。 0500湧別町長(昨年号砲を鳴らした町長は癌で亡くなられています。一緒に飲んだこともあるのに、4歳年下でした)の号砲でスタート、私がスタート地点を通過したのは3分後、休養のおかげか足が軽い、でもキロ6分を目指す。今年はエリック・ワイナイナとBS1で放映している「ランスマ」の女の子が出ているよう「楽しんで走りマース!」と明るく言っていましたが、どうなることやら、100kmはそうはいかないぞ・・・・。 快晴と思った空が、いつの間にか下のほうを除き薄黒い雲が日差しを遮っている、これは涼しくていいぞ。 初めて参加した24回大会のときは10km走る間に3回もトイレに行っていたけれど、今回は15kmまでなし。これは快調だぞと思っていたが、いつの間にか雲がなくなり快晴でカンカン照りになって皆木陰を探して右に行ったり左に行ったり、30km手前から段々とボーっとしだし33km手前ではついに歩く羽目に、上り坂だからまー良いか。 芭露のエイド地点(35km付近)でスポーツドリンクを飲み、バナナ1/3とウメ漬けを食べ、氷水を3杯がぶ飲み、スイカも3切れ食べ、これではお腹がチャポンチャポンいうのではないかと思ったが、以外とそう言うこともなく元気回復、それまで軽い脱水状態だったみたい。 元気回復しても42,195kmの通過時間は4時間44分台、かなり遅れてしまい、今までで最悪のタイムで15分以上も悪い。距離が伸びてくるに従い座り込んだり、路端でひっくり返っている参加者がちらほら。4年前の大会に似てきたようだ。気温も25度を超えているよう。40kmのエイド地点で氷を帽子の中に入れて走る。氷の在るところだけが痛いほど冷える。でも快適、快適! 50kmを過ぎるとずーっと先74km付近にある「ホテル鶴雅」見える、併走している人が初参加であろう仲間に「あそこまで行くんだぜ!」。ホント遠いな~! ここのエイドでも帽子の中に氷を入れ、水をたっぷり補給、スポーツドリンクも、バナナも食べる。サー走ろうと思ってもなかなか一歩が出ず、300mほど歩く。 54.5kmのホテルグランビアが大休憩地点、ではなく大エイド地点。たくさんのボランテア、応援者に家族、人でごったがえしている。ここが中間地点なので荷物を受け渡しがある。去年同様ここには預けないつもりでしたが、見ると赤い袋、ありゃー間違えてしまった。赤はゴール地点だと思っていたが、赤は中間で、青がゴールだったんだ。あわてて荷物を受け取り、そのまま係りの人に預けゴールに行く車に持っていってもらう。 ここでは水、麦茶、スポーツドリンク、スイカ、スポーツゼリーなどを口にしたりして10分弱ウロウロ。再びコースに出てもしばらく上り坂なので500m程歩く。でも延々と上りが続く。何度も車で走っているがこんなにも長い坂だったかなー? 61kmを過ぎて国道を直角に左折、湖岸を走り64kmの手前のエイド地点でバナナ、梅漬け、スポーツドリンク、氷水をとり、氷を帽子の中に入れ2~3分休む。コースに戻っても走る気ならず、300mほど歩き3kmの森に入ってから必死に走る。平坦で、木のトンネルが続き涼しく極めて走りやすい。 68km過ぎの浜佐呂間の私設エイド「白帆」、浜佐呂間の魚屋さん「斉藤商店」とその地域の人たちで運営されています。そこでまず斉藤商店のおかみさんと握手しながら「今年も何とかここまで来たよ!」「だいじょうぶ、がんばって!」とエール交換。 冷たいタオルで顔、腕、大腿を拭き、ミニトマトを数個、きゅうりを少々そして冷凍ブルーベリーを2掴み口に頬張る。あ~生き返る!温かい麦茶を飲んで、「有難う!」と声をかけ何とか走り出す。 70kmを8時間35分ちょっとで過ぎ、何とか完走できそうな残り時間。ここを過ぎると74.5kmのホテル「鶴雅」の私設エイドで出される汁粉と冷麦が楽しみ、でも走ったり歩いたり、つごう1kmぐらい歩いただろうか、汁粉は有りましたが冷麦は無し、一寸がっかり。氷をもらって帽子の中に、そこで台湾のランナーにその仲間が「加油!加油!」(がんばれ!がんばれ!)、そういえば25回大会のときは20~30人が参加していたっけ!そのときは「ジャーヨウ!タイワンレン!」と声をかけると、一寸ビックリされ、今回はシャツに台湾という表示がなかったので声をかけませんでした。 75km辺りから、対岸のワッカ原生花園の中を走る(84km前後の)ランナーが見える、ア~、遠いな~、あそこは1時間半後かな~? 79.5kmのエイドではスポーツドリンク、オレンジ2切れ、オレンジ・アップルジュース、スイカ2切そして帽子にたっぷりの氷を入れ直ぐ上り坂なので、上りきるまで歩く。 80kmは10時間6分23秒、制限時間まで約3時間弱の余裕。これで今年も完走確実、6戦6勝、良かった、でも後20kmが苦しいー! 82km付近でNHK BS1で放映している「ランスマ」のお姉ちゃんに抜かれる、背の大きな子、その子を囲んで取材する男共4人、前後をカメラ構えて併走、まさかスタートから同じ人がカメラを回していたのではないだろなーなどと思いながらやっぱり歩く。 ようやく走り出すと、その集団がいた。主役が腰に手を当てて「イテテー!」とやっていた。スタートのときの「楽しんで走ってきま~す!」どころではないように思える。辛いだろうな~、そんな状態でも笑顔でいなければならないなんて、きつそうな顔も出来なんだろうなー。若い子だし。 90km手前で折り返してくるランナーに次々と「がんばってねー!」と声をかけられていました。こっちはお構え無しの面で走れて気楽だな~などと思いながら、その集団と抜きつ、抜かれつ。きっと彼女もゴールできたんだろうな。8月2日と9日1600の番組を見なくては。 頭の氷が解けて顔に少々塩気のある、水いや汗?を口にしつつ折り返し地点へひたすら走りつつ歩く。 90kmのエイド地点は、折り返し前にも寄り、帰りもスポーツドリンクとスイカをたらふく食べ且つ飲み、そこにいたボランテア5人に「君達は常呂高校の生徒?」 「はい、そうです」 「君たちボランテアのおかげで完走できそうだよ、有難う!感謝するよ!」 「いえ・・・・」一寸照れくさそうにしていました。 96.5km付近で歩いている人に声をかけ一緒に話をしながら歩く、「暑くて、きついですね」「ホント暑くて参りました」「どちらから」「東京なんです」 「東京の人にそんなこと、このぐらいの温度普通じゃないですか」 「そうですね、でもきついです。初めての参加なのでゴールできるかどうか?フルマラソンは3時間45分ぐらいで走ったことがあるのですが・・」 なにそれ早いじゃん、俺より30~40分以上も。 「大丈夫、半分歩いてもゴールできますよ」 といろんな話をしながら、金曜日にアメリカの出張から帰ってきたばかりで時差ぼけもあるとか、そのまま北見のホテルに直行したとか、家は花小金井で勤務先は日立研究所であるとか・・・。 ![]() 「おかげさまで時間内にゴールできそうです、有難うございました。あのまま歩くつもりでした。私は○○です」 「どういたいまして、今名前を聞いても直ぐ忘れてしまいますので、折角ですから、一緒に手をつないでゴールしましょう!そうすればナンバーでお名前がわかりますから」とさそうと「そうですね、そうしましょう」。 それで年も考えず、さらに男同士であることも忘れお手て繋いでゴールへ。 12時間50分3秒。初参加のときより3分ほど遅くなってしまった。でも無事ゴールできた。 これで何とか初参加から6回連続で完走することができ、来年に繋ぐことができてホッとしました。 初参加のときは、完走することができ自然と涙が出て、応援をしてくれた家族や友達、ボランテアに対して感謝の気持ちでいっぱいになったけれど、2回目以降は涙こそ出ないが、感謝の気持ちには変わりはない、何故なら100kmを自分一人の力ではとても走りきる(歩きはしますが、2本足で走破する)ことはできません。 家族の協力、応援、ボランテアのサポート、一緒に走るランナー、それとほんの少しの意地。 3.反省点 今年の大会の完走率は56%とか言われています。25回大会のときは49%、気温はそんなに違いはないのに? 25回大会のときはスタート前に「本日の北見地方の気温は32度になるそうです!」とアナウンスされ「えー!!」とどよめきが上がりました。実際は27度だったようです。今回その様なアナウンスはありませんでした。人間って暗示に弱いもんですね~。 練習、訓練、鍛錬の多寡は正直に現れる。やはり練習不足がたったのか、年のせいにはしたくはない。特に今年はタイムをいくらかでも早くしようという意欲に欠けていた。 60kmまでのタイムは去年より1分早かったのに、ゴールタイムは40分も遅くなった。途中棄権は頭になかったが、50km辺りで「完走できれば良いや」と思ったのが大きかったように思う。 4.今後 後5回、75歳までは何とか走り続けたい、あと4回完走すればゼッケンの色がブルー(サロマンブルー)となり、ブルーのゼッケンをつけて参加したいと思っています。 ただしそれは癌持ちの家内が元気でいてくれて始めてできるので、それを祈るばかりです。大事にしなければ! とりあえず、大会が終わって3日後から来年の30回記念大会に向けて走り始めています。それとアルコールは今まで楽しみの一つでしたが、もう一生分飲んだので止めよう(一度のたくさん飲むのを?)と思っています。一寸つまらないけれど。 他の大会への参加、東京マラソンは毎年申し込んでいるが、はずればかりで参加の可能性は無きに等しいようです。杉花粉の時期でもあるので、防大時代からの花粉症の私にとっては参加すると辛い目になると思うので、今のままでいいのかも。 あとは宮古島・四万十100kmにも参加してみたい大会です。 年を忘れて元気に走れて幸せ!者です。 |