42期 徒然草
山木君の生き方を偲んで 福田 忠典

 去る7月5日夕、山木満君(5月3日ご逝去)宅を訪問、ご霊前にご挨拶をして来ました。
 お見舞いに来れなかったお詫び、永かった闘病生活への慰め、ご家族への激励を込めて。

 また、社会保険労務士の井本敏夫くんから言付かった「遺族共済年金、未支給年金の請求、障害共済年金」の手続き等については、説明資料をお渡しして、実施済みか確認して頂き、奥様のご了解と感謝の言葉を頂きました。
 以下、約40分近くのご訪問で伺った、「山木満君の生き様のご紹介」です。
 

 「深い探究心は永久に」: 山木満君を偲んで

 ○戒名をつける前にお坊さんの質問:「どんなお父さんでしたか?

   → 子供さん方「我が儘で 気が短くて 頑固な人
   → ついた戒名が「慈心院 鐸浄満居士

  奥さん曰く、「子供達は本当のことを言ったのに、どうしてこんな戒名がついたのかな?
  お坊さんは、良く分かっておられたのかな? 主人も約1年前に膀胱がんの手術をしてから益々弱っていき、自分の身体がきつく、他人を思いやる余裕も無くなっていったようです」

 ○子供さん方「うちのお父さんは、山木画伯

  H17年7月御殿場の自宅に帰ってこられてご家族とご一緒に、約9年間の闘病生活を過ごされた彼の部屋はまさに「夢工房」:アトリエのように絵が一杯、パソコンセット、難しい数学関係の書物等。

 ・壁一杯に幅広いジャンルの絵:特に雪深い山中(郷里の福井県?)を力強く走る蒸気機関車は秀逸。昔の情緒豊かな古いお店や風景画、柴犬を連れた人、野に咲く可憐な草花、トンボなどの昆虫等。(一つ一つゆっくりと鑑賞する時間が無くて残念でしたが、いつか3班の展覧会が出来れば?)

 ・数学や物理等の難しい書物がずらり、最後までNHKの放送大学で勉強、そのCDや DVDが一杯。「電磁気学」「解析入門」「複素数論入門」「微積分学」「微分方程式」「力と運動の物理」等々。

 ・パソコンとその関連機器:疲れた頭を休めるため各種のゲームも楽しまれた由

 ・奥さん曰く「この部屋には、いろんな絵が一杯、また難しい数学関係の書物、パソコン類のセット、それにCD・ DVDがたくさんあって、いつまでたっても片付けられないのですよ。それに難しくて子供達も理解できなくて、パソコンセットも中々活用出来ないのですよ」と、お手上げ?の気配


 ○病室は「ナースステーションの一番近く

 ・H12年11月、退職の一ヶ月前に胃がんを発症、即、北大病院に入院されるも、事後、大腸がん、リンパ性がん等と転移し、骨髄移植が必要となりましたが、56歳で移植が出来ず、弟さんの血液を頂くミニ移植をうけました。
 島松官舎や黒住君の借家での約5年弱の北海道での闘病生活は、本当に厳しく大変だったことと思います。退官寸前から大病との永い闘いですから。

 冒頭の言葉は確かH14年の秋頃、岩本君と島松官舎にお見舞いにお伺いした際の山木君の言「福田、分かる?ナースステーションの一番近くというのは。いつ死んでもおかしくない病状のこと。そこに移った人は次々と死んでいったよ。」と。 我々は言葉が出ませんでした。しかし、山木君は、弟さんの大量輸血が成功され、その厳しい死に際を、無事乗り越えられました。

 ○「これが最後の桜だな

 ・H17年夏、御殿場の自宅に帰ってこられてからは、温かい家族愛に包まれての療養生活で、長泉町に出来た国立ガンセンターへ定期的に通院される傍ら、近くの美術館めぐり、桜の名所めぐり、名所散策等。案内役の娘さんに「これが最後の、見納めの桜だな」との言に、娘さん曰く「お父さん、それ毎年の話」
 
 しかし、3~4年前に間質性肺炎を患われ、全身的にきつくなり、約1年前に膀胱がんを手術してからは殆ど歩けなくなり、呼吸も弱くなる等で、今年の年賀状は添え書きも出来なくなられました。
 温かいご家族全員での介護・応援で子供さん方は「自分たちの結婚を考える余裕など無かった」とのこと。

 ○「おい福田、大丈夫か? 随分痩せたが、どこか悪いところは無いのか、診てもらえよ」

 ・御殿場に帰ってこられてからは、小生、富士地区へ出かける際には、努めて駅前であったりしてお見舞いをしていましたが、いつも最初に冒頭の言葉。こちらがお見舞いの話に入る前に、先手を取られる状況でした。

 若い頃から良く口論して「山木は激しい奴」との印象でしたが、本心は本当に思いやり深い人物でした。


 ○山木君の「深い探究心」は、我々仲間への大事な模範

 ・約14年に及ぶ永い闘病生活ながらも晩年は素晴らしい家族に囲まれ、また強い家族の絆に抱かれて、心の休まる夢工房も存分に楽しまれたことと思います。
 しかし、厳しい病状の中で、緻密な蒸気機関車の絵を描いたり、難しい電磁気学・微積分学を研究されたり、と、夢中になって探求されることで、ご家族に余計な迷惑を掛けないよう、そして遠慮深い慈悲芯を発揮されたことと痛感しています。

 ・そして我々昔の仲間は、山木君の分もしっかりと生きて、「深い探究心」「実行性のある慈悲心」を、少しでも心がけて生きたいものです。  合掌!

                  H26年7月10日             片田舎での屯田兵 福田 忠典