42期 徒然草 テクテク歩き
知ってる?「防大グライダー部の小さな善行」

 防衛大学校の校友会活動運動部にグライダー部があることはご存知でしょうか?

 私が学生の頃は、飛行機にはあまり興味が無かったせいか、防大にグライダー部があり、どのような活動をしていたのか、また失礼ながら同期では誰が部員だったのかも知りません。(記憶にありません)

 そんな私が、そのグライダー部の部員(学生)が昨年の東日本大震災において、小さな善行を行い、民間の方から感謝され、防大校長から善行表彰されたことを紹介することをお許し下さい。


 私の高校同級生で今でも付き合っているH君が埼玉県の深谷に住んでいます。そのH君の友人で、縁があり私もお付き合いさせて頂いているSさんから、この春お手紙を頂きました。
 この方は、若い頃からグライダーに興味があったようで、毎年、熊谷市妻沼(めぬま)、利根川河川敷に広がる日本学生航空連盟の妻沼グライダー滑空場で行われるグライダー競技大会に観戦に行っているとのこと。

 その手紙を紹介します。
 「昨年3月1日(金)14:46、利根川妻沼河川敷で第51回グライダー競技大会を観戦中に大地震でした。川原は波打ち、出を待つ40機程のグライダーも学生もギャラリーも、車も大揺れ、一同顔面蒼白。
 その時一人の学生が車に駆け戻り、ドア全開、カーラジオのボリューム一杯に、周囲の人々に地震ニュースを聞かせてくれました。
 作業服が防大でしたので、一日考えた末、五百旗頭真先生に『並みいる役員、学生、一般人の中で、冷静、機敏な行動が際立った』とハガキを出したのです。
 今年も第52回が行われました。防大から一チーム参加でした。
 選手の岩田将基さんに「去年ここで地震に、競技は中止だったがエピソードをハガキで出した。」と話すと、「ありがとうございました。それは一年生の高野で、市民から伝えてくれて来た、と後日(全校朝礼とかで)善行表彰されました。」今日は来ていませんが、明日からチームに参加、合宿します。と
 3月9日(金)雨、合宿所職員室。二人が来てくれましたて、2年高野祥知君「あの時、咄嗟に中越地震を想い出したて・・・・」「中越?君出身どこ?」「小千谷です。高校は長岡高校・・・」
 60年の後輩でした。嬉しいことでした。


 私は、後輩の行動が、その場にいた多くの方に心理的安心感を与えたことの素晴らしさに加え、お付き合いしている民間の方がこのように学生の行動に感動し、校長に手紙を出してくれたことに大きな感動を受けました。

 その後、数回、礼状や質問等の手紙のやり取りをSさんとしました。
 その中から、抜粋して紹介したいと思います。

 「地震の折、出航を待っている選手、翌端を保持して、ウインチの巻き上げを待つスタッフ、共に逃げも出来ず不安に耐えた2・3分の出来事でしたが、1日考えた末、2日目の日曜日にハガキを出したのです。」

 「年寄りの差し出口も、少しは若者の励みになったのか、と嬉しく思ったことでした。」(善行表彰を受けたこと)

 「グライダーは技術と心に練度と冷静さが求められ、礼儀正しいので好きなのです。」

 「休憩中、岩田君、高野君と話をし、色紙に名前を書いてもらいました。」

☆ このことから
 *咄嗟の判断、そして躊躇なく行動することの必要性を改めて後輩から学びました。
 *民間の方が、私たち考えている以上に防衛大学校を評価してくれていることを再認識しました。
   Sさんは私のようなものを、防大卒業の自衛隊幹部ということで長い間大事にしてくれます。(今は元がつきますが。)
   この時この場に、Sさんが居なかったら、防大校長に手紙を出す人がいただろうか?
 *縁の不思議さ
  ・Sさんと、善行者の高野君が同郷とは!!
   高野君はもしかしたら山本五十六と関係があるのかな?山本五十六は、高野家から山本家に養子に行った。

☆注: 5月ごろまでは、防大グライダー部のホームページに、この善行表彰の事が載っていましたが、リニューアルされたようで今は昨年度の事は削除されています。
参考:
熊谷市グライダー滑空場   防衛大学校グライダー部