42期 徒然草 テクテク歩き
知ってる?「八田與一」
 
 目黒駅周辺を散策しました。主たる目的は「八田與一展」に行くことでした。

 「八田與一」とは誰か?皆さんご存知でしょうか?

八田與一は、台湾の不毛の地と言われた南部の嘉南平野における水利事業に携わり、その生涯の殆どを台湾での事業にささげ、大きな功績があった人です。
 毎年5月8日、台南市にある墓前で慰霊祭が行われ、馬英九総統も出席されておられます。昨年は、馬総統の提案で「八田與一記念公園」が設立され、馬総統出席のもと森前首相も参列し開園式が行われております。
 日本で、個人の業績に対し公園が作られたり、首相が出席するような慰霊祭があるでしょうか?

 では、東日本大震災に対し、多大な義捐金や各種支援をして頂いた台湾の大使館・・・残念ながら大使館は設置できません・・・「台北駐日経済文化代表処」は何処にあるかご存知ですか?
 東京都港区白金台にあります。JR山手線「目黒駅」あるいは地下鉄「白金台」で下車して徒歩5~10分、東京都庭園美術館の脇にあります。
 「台湾」ではなく「台北」です。・・・・どう感じますか 
 *参考:ホームページのURLは「taiwanembassy」になっています。


★ 「八田與一展 ~台湾を愛した日本人~」 :リーフレット

八田技師は、東京帝国大学で土木工学を学び、24歳(1910年、明治43年)の時に台湾に赴任し、嘉南平野の水利事業を行いました。
 この地で当時アジア最大で、世界第3位の規模を誇る烏山頭ダムと、全長1万6000キロに及ぶ灌漑用の水路網を計画。自ら先頭に立って難工事を行い、いずれも10年という歳月をかけて完成させた。この大事業によって潤された嘉南平野15万ヘクタールは、台湾でも有数の大穀倉地帯に生まれかわりました。

 八田技師は、この偉大な水利事業の名前から「嘉南大圳の父」と呼ばれている。その経緯の念は単に事業の功績によるものだけではなく、台湾人も日本人も区別なく接した誠実な時とがらによるところも大きい。また、八田技師は、労働者の生活にも最大限の配慮をし、家族と一緒に住める宿舎を用意し、テニス場をはじめ余暇を楽しむ様々な施設を作りました。
 完成から80余年烏山頭ダムは、その後に造られたダムと共に今も広大な嘉南平野を潤している。


八田技師は、昭和17年(1942年)南方開発派遣要員としてフィリピンに向け船で航行中、米艦の攻撃を受け沈没、死去された。
 奥様の外代樹さんは、昭和20年(1945年)烏山頭ダムに入水自殺された。

 * 八田與一展は、5月9日から24日までです。
* 参考 
        1 台北駐日経済文化代表処    2 烏山頭ダム   3 セミハイドロリック工法