42期 徒然草 テクテク歩き
知ってる? 『陸前高田の「奇跡の一本松」』

 未曾有の大被害を受けた東日本大震災に於いて津波の被害から残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」。その被災者を勇気づける実像を見てきた。

 『名勝「高田松原」として、約2キロ、6万本以上の松の木が防風林として植えられていたが、一本松を除き津波で流された。一本松の根は海水で腐り、生育は絶望。一本松を防腐処理して永久保存検討。約9千万円の防腐処理費用を募金する。お盆過ぎには一時撤去するらしい。 接ぎ木をして一本松の子孫を残す方法では4本が順調に育っているとか。
 また財務省は一本松記念貨幣を発行。「個人向け復興応援国債」の購入者に対し贈呈するとしている。』


何故、「奇跡の一本松」を見たのか!

 JR東日本に「大人の休日倶楽部」という会員制度があり、年に数回「大人の休日倶楽部パス」という切符が発行される。13000円でJR東日本全線、4日間乗り放題という大変お得な切符です。
 岩木山や白神山地付近に行こうと日程を詰め、宿泊予約するところまでに詰めた時、天の声(オーバーですが)が聞こえました。
 「お前は何か大切な事を忘れていないか?好きな事ばかりしていて良いのか!そのパスを利用して、ボランティアに行って来い!」

 確かにそうだ。日頃「ボランティアに行って、被災者のお手伝いをしなくてはいけないな。」と言ってはいたが、未だに実行していない。 子供達は既に数回行っている。仲間の何人かも行っている。  このままではM党のM議員のように「言うだけ番長」になってしまう。

 ネットでボランティア情報を収集した。
 最近は、瓦礫処理等の重労働は少ないようだ。ボランティアツアーはどちらかと言うと観光による被災地支援中心が多いようだ。
 大きなボランティア団体(ボランティアセンター)に申し込むと現地に行くまで何をするのかよく分からないものが多い。
 そこで、独自に特別なテーマを設けて支援しているボランティアを探した。

6月23日 
 05:00自宅出発、09:00頃盛岡着。「SAVE IWATE」というボランティア団体の支援センターに行き、受付登録。
 早速、「○○さんは運転できますね。では運転お願いします。」と言われ、ポンコツ車に若い女性4人を乗せ(こんなことは初めてだ!)、10:00出発、宮古まで約2時間の運転。

 昼食後、いよいよ支援開始。今日は、宮古市社会福祉協議会が主催した「みなし仮設住宅入居者」への物資の配分作業支援。
 総合福祉センターの3階にある体育館に物資を展開、来場者の希望に沿うように配分する。
 その物資が途切れないように展開したり、荷物が多くなった人がいれば1階あるいは駐車場まで運搬のお手伝い等々。
 重労働ではないが、5時間ぶっ通しで動きまわったら、さすがに年齢相応の疲労を感じた。
 終了後、宮古市内の被災地域を案内してい貰った後、盛岡に帰り、無料宿泊所に泊まる。

6月24日
 盛岡の支援センターで支援物資配分作業。
 ここには主に岩手県内の海岸沿いの被災者が2時間以上かけて生活用品を受け取りに来る。
 しかい、予想に反してあまり来なかった。
 推察するに、車で取りに来れる人は、食品や消耗品を除き殆ど揃ったのではないか? お年寄りや車で来れない方々にどのように支援するかがこれからの問題ではないか?
 陸前高田に移動するため、午後盛岡を出発。駅までの途中にあった盛岡城を見学した。
 陸前高田への交通機関は、一関からの1日2本のバスのみ。気仙沼から先のJRは復旧していない。

6月25日
 「カモメネット」という僅か二人で運営しているボランティア団体で農作業支援。
 Gさんという家族が被災を受けた方が現地の責任者だ。私と同じ67歳。
 自分は何とか生活できる。地域の困っている人達を支援したいという気概で始めたという。
 被害を受けた農地やお年寄りでもう農作業が出来ない方々の農地等を再生することが目的。
 既に瓦礫等は撤去され、苗や種を植える事が出来る状態になっている畑に苗を植えたり、草取りをしたり、水やりをする作業支援を実施。水は小川から運ばなくてはならないので結構な労働だった。
 もう10日目だという在日韓国人の若い女性、和歌山から来た青年、埼玉から来た60歳前後のご夫妻の5人で作業。和気藹藹と楽しい作業だった。





 ちょっと早めに作業を終わり、被災地域を案内してもらった。主要なものは















*体育館:震災時の避難所だった。
  約300名が避難中に津波が押し寄せ、3人を除き犠牲になった。ご遺体を捜索・収容するために瓦礫等を撤去したとはいうが、未だに車や雑多な物が散乱しており、被害の大きさを再認識した。
*市役所と市民会館:公民館は指定避難所だったが、津波で全員が犠牲に。目の前の市役所の屋上に避難した人は助かったが、ここでも多くの人が犠牲になった。市役所の屋内にも車他多くの物が未だに散乱・・・
 *海岸沿いのキャピタルホテル:支配人の機転でマイクロバス等で高台に避難。犠牲者はいなかったと云う。
 *一本松:最初に記したとおり
















 宿泊は作業場所に近いホテル。無料宿泊所もあるらしいが、足が無いのでやむを得ない。この出費を支援金として寄付したかった。

6月26日
 昨日の作業の続き。
 ここは長期間雨が降っていないので、土が乾燥しすぎている。水をたっぷりやりたいが水運びが大変で理想通り出来ない。全て手作業。原始的な作業しか出来ない。
 私が持っていったナスやオクラや獅子唐は無事に育つだろうか?

 15:45発のバスで一関に向かう。
 4日間のボランティア、決して十分ではないことは分かっているが、被災地に行って、微力ながらお手伝い出来たことに満足感を持って帰路につく。

一本松に勇気づけられ、被災地の方々の生き抜く逞しさに感動した日々だった。