42期 徒然草 フール・ストレート
誤嚥死寸前を目撃

 平成20年1月13日(日)、私は義父の四九日の法事に参加しました。

 僧侶による供養は義父の家で行いました。妻の家は親戚が多く、座敷は20名余の弔問客で一杯。長女である妻を除く私の家族は居間で待機。
 精進落としの食事会を義父宅近傍のホテルで開きました。食事も順調に進み、デザート前のステーキが出されました。

 主賓の席で、最初は小さな異変が起きました。
 私もその席にいました。妻は実質の世話役として実母と末席におりました。
 Aさん(80歳前後)が食べ物を喉に詰まらせたようです。
 少し苦しそうでした。すぐに様子がおかしくなりました。Aさんの奥さんは小さな声であれっ、あれっと言っているので、周囲はすぐには重大な事態とは思わなかったのです。私も間抜けな反応をした男でした。

 最初に駆け寄ったのは、妻と仲良しの従妹でした。彼女がどのテーブルから駆け付けたのかは覚えていませんが、後で私は恥ずかしく思いました。
 彼女は一生懸命Aさんの背中をさすっているのですが、良くなりません。そしてAさんは椅子にのけぞりました。そこで私も慌てて駆け寄りAさんの背中をトントンと叩きました。
 何の効果もないままに事態はあっという間に急変しました。
 Aさんは息が止まったらしく、顔が真っ白に変わりました。苦しがって本人は自然に椅子から崩れ落ちました。

 全員総立ち、食事中止です。誰かがホテルに救急車を頼みました。同時にホテルで少し心得のある50歳過ぎの大柄な男子職員が来てくれました。彼は、直ぐさまAさんを下向きにして抱え、激しくAさんの体を上下に揺すって食べ物を吐かせようとしてくれました。彼の必死のご尽力のおかげで、Aさんは水物を少し吐き出しました。

 そこへ救急隊が駆け付けてくれました。ホテル職員の彼はへとへとになって床によろけていました。
 救急隊は、相当に苦労してAさんの喉から肉の塊を取りだしたようです。
 私は救急車に付添う調整をしていたので、肉片のことは知りませんでした。
 救急車は患者等を収容しても直ぐには出発しないことを知りました。

 救急隊員は、まず車内で被搬送者の状況を把握するようです。
 最も重視しているのが本人の意識の有無でした。

 Aさんは最初の呼びかけには反応しませんでした。救急隊員は「反応なし。」と発声し、仲間に伝えました。
 次に「2回目診断」と発声し、再び同じく「分かりますか」と呼びかけました。
 今度はAさんに反応がありました。その後は氏名を聞き、救急状態に至った経緯・状況を尋ねました。他の隊員が並行して血圧、脈拍、顔色等を確認しました。

 救急隊員はAさんに「病院へ行きますか。もう行かなくてもいいですか。」と尋ねました。Aさんはまだ喉が詰まっている感じがして気分も悪いというので、
 私には緊迫感のないピーポーのサイレンとともにK市民病院へ行きました。

 病院は念のためにと喉元の映像検査をしました。もう誤嚥物はなしでした。
 医師が検査結果について説明をしてくれました。私は素人には及びもつかない幸運があって命を取り止めたのだろうとは思いましたが、医師は何よりも奇跡的なことは、脳障害を免れたことだと教えてくれました。

 幸運の1つは、ホテルと救急隊が所在する消防署との距離が500m程度で、日曜で渋滞もなかったこと。要請から到着まで6分だったそうです。
 それに救急隊の救急技量が的確であったことと思います。
 でも医師には当然のことようで、救急隊を褒める言葉はありませんでした。

 2つめの幸運は、なぜか飲み込んだ肉片の表面に凹みがあった奇跡です。
 病院まで運ばれて来た肉片を見せながら、医師が「ほら、肉のここが凹んでいるでしょう。」と言いました。
 私には言われてみれば凹みかな、といった程度の微細な凹みでした。

 なぜこの2つめのことが救命のみならず、脳障害を免れる幸運だったのか。
 それは肉片の表面にあった微細な凹みのおかげで、脳への酸素供給に停止期間がなかったのだそうです。脳に8分間ほど酸素が供給されないと、脳障害が発症し、たいていの場合知能等の障害症状が出るそうです。

 誤嚥で窒息寸前であったろうが、脳に必要な酸素は流れていたとのことです。

 医師がわざわざ説明したくなるほどの奇跡的な幸運だったようです。

 Aさんのビールで赤黒くなった顔が見る間にろう人形のように白くなったときは、人はこんなに簡単に死に至るのかと慌てました。
 肉片の表面の微細な凹みが通気孔になって、脳障害が回避されていたとは、人の運命を左右する要因は人知を超えていると思いました。
 医師の説明をAさん夫妻に再度説明しました。お二人とも「一緒に聞いとったばってん、そぎゃんこつとは、ああたの説明でやっと分かった。」とのこと。

 お二人はタクシーで嬉しそうに帰宅されました。

 Aさんの命の恩人は、第一にホテルマン、次に喉から肉片を取りだしてくれた救急隊員です。

 渦中の当人には意識がなかったことだし、冷静な人だなと感心していたAさんの奥さんは魂も吹き飛んでなす術を知らなかった姿だったようで、お二人に本当の恩人はと経緯を説明しても実感できないだろうと、そのままにしています。
 (後日一人息子さんが名古屋から帰省された際に、詳細をお伝えしました。)

 ホテルの義母には、すぐに妻を通じてAさんご無事の報告を入れました。
 会場は、親戚間の濃淡もあり、無事となればもう関係ないという雰囲気が流れたようです。
 このような奇跡があったことを、私の家族には伝えました。