42期 徒然草 フール・ストレート
夢二題

 平成2年6月に黒澤明監督の「夢」が上映されましたが、私も「こんな夢をみた」と2つの夢を聞いていただきたいと思います。

 皆さんも、夢の中のことは突然状況が始まり、その展開の原因や結論に論理の一貫性がないことが多いことを経験されているかと思います。


◆起死回生

 北国の満員の大型スキーバスに、私は父と二人でバスの屋根の上に乗っている。
 屋根にはスキーを載せる荷台枠が取付けられている。私は振落されまいと鉄枠をしっかりとつかまえて乗っている。
 夢の見始めから、父と二人と感じているのだが、夢の中で父の姿を見たのではない。

 父はスキーをしたことがない。高校卒業以来同居もしていない。
 バスはだんだんと一本道の雪の山道を登って、頂上付近のヘアピンカーブのところへやって来た。私はバスの屋根の上に乗っているので道や周囲の景色がよく分かる。

 道は、進行方向の左手が谷であり、右へカーブしているが、その曲がりめ付近の道路が1/3ほど崩れ落ちている。私はどうするのかなと思っていたら、カーブを曲がって初めて道路の崩落に気づいた運転手は山側へ急ハンドルを切った。

 大型バスは、山側の土手にぶつかってポーンと空中へ弾き飛ばされた。
 私は、空中は富士山よりも高いと理屈もなく感じている。

 バスは宇宙戦艦大和のように、雪の降りしきる無音の空中を静かに地上へ落ちて行く。
 ちょうどエレベータが新宿の高層ビルを降りて行くときのような気持ちがした。

 私は、バスの屋根の上で「どうなるのかな。死ぬのかな。生きておられるのかな」と、まだ落ち着いて考えていた。
 大型バスはようやく地上に近づいた。民家の灯りと窓もはっきりと見えるようになった。
 もうそろそろだ。バスが雪の深い所に落ちてくれれば、助かるかもしれないと期待した。
 バスは2階建ての屋根を過ぎた。私はきっと死ぬのだと覚悟した。
 
 そのとき、リリン と目覚まし時計のベルが鳴った。

 私は、死ななくて済んだ、助かったと、心の底から喜びがこみ上げて来ました。
 死が白紙撤回されたという実感がしました。

   (昭和59年11月12日 朝6時前後の夢 40歳)


◆目覚めの声

 私は古い田舎家造りの土間に立っている。ふと入口の方を見ると、3人の子どもたちが遊びに出ようとしている。暗い土間から見ると、入口は夏の朝の光に輝いている。
 「よし、子どもたちと遊んでやろう。」と思って、私は勢いよく土間を駆けた。

 狭い家なのに土間は相当に長い。入口まで走って来たら、ふわっと体が浮く感じがする。
 私は「今日は飛べる日だ。」と直感して、にわとりが羽ばたくように両手をばたばたさせた。
 期待したとおりに、私の体が家の軒の高さまで浮かんだ。

 そのとき女の人が私の家の角を曲がって来た。中年の少容ある女でしたが、空中でばたばたしている私を見て、びっくりして逃げ出した。反射的に私はもう少し驚かせてやろうと思い、空中からその女の人を追いかけた。
 女は私を見、驚きながら小走りで逃げる。そして草がいっぱいに茂っている川原の一軒家に走り込んだ。

 私は子どもたちのところへ行って遊んでやろうと思い、遊び場の方へ飛んで引き返した。
 空から見るのだから、子どもたちをすぐ見つけることができるだろうと思っていたのだが、見当たらない。
 そこで「おーい、おーい」と呼びながら、空から子どもたちを捜した。

 何度目かの「おーい」と呼ぶ声が、熟睡中の私の耳に聞こえ、私は目が覚めました。

   (平成9年夏 ある明け方の夢 53歳)