42期 徒然草 川井 武彦
あなたは今何時ですか?

 「あなたは今何時ですか?」  <ん・・何? 歳のこと?>
 「そうです年齢のことです。ではあなたは今何時ですか?」 <???>

 大分前のことだが、ある人のスピーチで面白い話を聞いた。
 「年齢を3で割った商が、その人の一日における時間に相当する。」と云うのだ。そしてその時間を、自分の一生に置き換えて考えてみると、そこからいろんな事が見えてくるというのである。

 人の一日の行動も、それぞれ個人差があり一概に云えないが、例えば

*18歳 (6時:目が覚め起床。いよいよ長い?一日が始まる時)
    <高校を卒業。いよいよ永い人生を歩み出そうとする時>
*22歳 (7時20分:新聞を読み、TVニュースも観ていよいよ出勤の時)
    <大学を卒業、いよいよ社会へ出て行く時>
*24歳 (8時:課業開始。いよいよ仕事だ)
    <研修・BOCも卒業し、いよいよ会社・部隊で活動を始める時>

 ちょっと飛ばして

*51歳 (17時:国旗降下、課業終了。アフターファイブどうしようかな?残業するかな?)
    <第二の進路・再就職どうしようかな?>
*54歳 (18時:明日の訓練の細部調整も終わり、実質的な課業終了。帰宅)
    <目出度く?定年退職>
*60歳 (20時:夕食も終わりこれからちょっとゆっくりTVでも観るか。でも面白い番組が無いからやっぱり本でも読むことにしようかな。)
    <還暦。年金はまだだし、やっぱりもう少し仕事しなきゃあな。>
*65歳 (21時40分:残業もこれくらいで終わりにしておこうか。閉店の時間)
    <仕事も辞め、年金生活者の仲間入り>

とまあ、こんな具合である。

 この論理(?) でいけば、人の一生は72歳(24時)で終わることになるが、そんなことを気にする必要は全く無い。
 72歳以上(24時以降)は付録の人生、所謂余りの人生・余生と考えれば良いことだ。

 嘗て国会でも時計が止まったことがあったくらいだから、自分の時計も止まったと割り切って考えても良い。
 あるいは、昼夜の別なく動いている今の世の中、24時の次は25時・26時と続くと捉えても良いと思う。
 また、ヨーロッパへでも行ったと思えば、10時間(30歳)ぐらいよけいに過せることになる?(100歳くらいの人はイギリスで生活しているのだろうか?)
 要するにいろんな捉え方があり、一日24時間(一生72歳) にとらわれることはさらさら無い。

 「あなたは今何時ですか?」 <私は今22時40分頃です>

 (もう23時だなぁ。そろそろ寝る準備を始めようかな。日記を付けて、新聞と本を片付けて、布団を敷いて、歯を磨いてと・・・。)
 <寝る準備? そうだ、そろそろ永眠の準備をしておく時だ。すでに彼岸へ旅立った友もいるけどなぁ・・・>
 <どんな準備? エンディングノートをしたため、身の回りの整理をして(借金、田舎の田んぼを整理して?・・・)、 あっそうだ 、西本願寺に行って法名を頂いておかなきゃ・・・etc >

 とまぁ、こんなところだ。 

 あなたは寝る準備を進めていますか?
 これからの余生をのんびり楽しく過ごすためにも!

 80歳で「最後のご奉公」と、新たなチャレンジをする元気な人もいる。
 「もうそろそろ午前3時(27時)ですよ。テツマンでもするつもりですか?身体に良くないと思うけどね。」と云いたくなるが、健康で気力・体力が充実しているなら、まぁイイか。こんな人には寝る準備なんて必要ないかもね。

 人生いろいろだ!
 
 ついでに、最近、秋の夜長に読んだ本の中で面白かったのを紹介しておこう。
 「赤猫異聞」 浅田次郎 新潮社
 「だいじょうぶ3組」 「ありがとう3組」 乙武洋匡 講談社