42期 徒然草 | |
島旅(その1) | 伊藤 岳司 |
退官後、年に5~6回家内と旅行をしている。これも現役時代の罪滅ぼしだと思っている。 大体が3泊4日と云ったところだ。そのほとんどは国内である。以前は海外にも行ったが、胃の手術をした後は海外での食事が合わなくなってしまった。すぐに下痢をしてしまうのだ。香辛料や油とかが合わないのであろう。外国で旅行中にトイレを探すのは一苦労だ。そのため今は専守防衛よろしく外国へは行かないこととしている。 旅行自体は、ほとんどが旅行会社のツアー旅行だ。自分で計画するのが面倒なものだから、お任せパック方式である。 ここのところ、旅行会社が企画する国内の主要な所は、ほとんど行きつくした観がある。最近は一度行った所でも、季節を変えて行ったりしている。 今はまっているのが島旅である。これまでもいろんな島へ行ったが、主要な所を紹介すると、利尻・礼文島、奥尻島、佐渡、伊豆大島、八丈島、父島、淡路島、小豆島、瀬戸内海の島々、隠岐の島、壱岐・対馬、五島列島、天草諸島、甑島、屋久島、奄美諸島、沖縄の島々(久米島、慶良間諸島、宮古島、石垣島、西表島、竹富島、由布島等)である。 近場の小さな島では、熱海の近くの初島とか、懐かしい横須賀の猿島等へも行った。50年振りに訪ねた猿島は、無人島には変わりがないが良く整備されていた。 我が国には島が多いが、公共の交通手段がない所へは中々行きにくい。 今回、沖縄県の与那国島と南大東島へ行って来た。 【与那国島】 羽田から那覇、石垣島と飛行機を乗り継ぎ、日本最西端の島に辿り着いた。トランジットに時間がかかることもあったが、天候不良でフライトが大幅に遅れたため、家を出てから約10時間かかった。 那覇で2時間程時間があったので、空港の近くにある海軍壕を観に行っただけで、あとは移動とその待ち時間であった。 今回のツアーは、参加者が8名限定で、那覇空港が集合場所であった。いずれも夫婦ずれで、年代は80代、70代、60代、50代で、札幌、羽田、名古屋、大阪とそれぞれ違う所からの参加であった。これまでにない変わったツアーであった。 なぜ与那国島へ行こうと思ったか、であるが、一つには、まだ行ったことのない日本最西端の島であった事。もう一つは、来年度陸上自衛隊が配置される島であった事にある。どんな所か?自衛隊配置の準備状況は?島民の感情は?等々の興味があったからだ。 与那国島は人口約1700名の小さな島で、石垣島から約120km、台湾の北東約100kmの位置にある。 かつて佐渡で夕陽を観たことがあったが、その時の太陽は海に落ちていったが、与那国島で観た夕陽は台湾の新高山に沈んでいった。台湾がすぐ近くだ。 島の主要な産業は漁業・農業(米、サトウキビ)・畜産である。 島には200m級の山があり、水がとても豊富で稲作が行われていた。3期作も可能だそうだが、今はほとんど2期作だそうである。ただ段々作り手が少なくなっている様で、休耕田も多く見られた。 人の姿より馬と牛が放牧されている風景がよく目に飛び込んできた。また港の前を通った時には、2mを超えるカジキマグロをクレーンで吊り上げる状況も目にした。 どこに行っても美しい海が眺められ、緑が多く長閑で自然がいっぱいの島である。 島に酒蔵があり、そこでは60度の泡盛が売られていた。法律で40度以上の酒の販売は禁止されているが、与那国島だけ認められているそうである。 この島では今でも土葬であり、先祖の遺骨を強い泡盛で洗って供養する風習があるため、国への陳情の結果、特別に認められたとのこと。 国税庁もたまには粋な計らいをするものだと思った。 60度を試飲してみたが腸にしみた。勿論土産に買った。 島に火葬場を作ってはどうかと云う意見も有る様だが、50歳以上の人は、ほとんどが反対しているとのこと。沖縄独特の、母親の胎内を想起させる様な大きなお墓、そしてそこに埋葬し先祖の供養を行う昔ながらの風習は、捨てがたいものがある様に感じた。 駐屯地の建設は急ピッチで進められていた。 与那国島への自衛隊配置については、先の町長選挙とその後の国との調整で決着がついたはずであるが、3月に改めて住民投票が行われた。この種問題で住民投票をやること自体おかしなものであるが、結果は6割が賛成であった。 島には誘致賛成・自衛隊歓迎等のポスター等があるかと思って行ったが、全く目にしなかった。それどころか反対の幟がいたる所に立てられていた。中には、単に配備反対ではなく、自衛隊が来れば米軍も来るとか、戦争に巻き込まれると云った、誠に残念なものが多く有った。 今後、島の空気がどう変わるかわからないが、配備当初の部隊・隊員達の苦労が偲ばれる。 島には駐在所があり、警察官が2名配置されている。拳銃がたった2丁あるだけの島である。 治安は全く心配のない島ではあるが・・・。 自衛隊配備の賛否は、過疎対策・町の振興か、反基地・反自衛隊か、と云った単純なものだけではない様な気がした。 配備が進むと1700名程度の島に、新たに150名程の自衛官とその家族が来ることとなる。これは島の成人の10分の1以上が自衛隊関係者と云うことになる。これは凄いことだ。 配備に反対する町民の中には、ひょっとしたら町政が自衛官によって左右される様なことがおきるのでは、との危惧があるのではとも思った。これはちょっと考え過ぎかな。 配備された自衛隊は、地域と一体となり町のために大きな力となりその役割を果たしてくれるものと確信しているが・・・。 島には高校がなく中学卒業と同時にほとんどの若者は島外へ出て行ってしまう様だ。中学生を持つ自衛官は単身赴任が多くなると思うが、小さな子供達には、豊かな自然が一杯のこの島は最高の環境ではないかと思った。 2日間の与那国島滞在の後、一度那覇に戻り、次の南大東島に向かった。 驚く事も多い南大東島であったが、これに関しては次回に譲ることとする。 |