42期 徒然草
島旅(その2)   【南大東島】 伊藤 岳司

 与那国島から再び石垣島で飛行機を乗り継ぎ、一旦那覇に戻り、そこで1泊して南大東島へ向かった。
 那覇の東約400km、39人乗りの小型飛行機で約1hのフライトであった。島への主要な交通手段であるためか満席であった。
 人口約1200名、周囲約20kmのサンゴ礁が隆起して出来た絶海の孤島である。約6km北には北大東島がある。

 今回の旅行は、自分の中では、どちらかと云えば与那国島がメインであり、南大東島はそんなに期待はしていなかった。しかしここにも驚きが沢山あった。
 南大東島と云えば、台風情報で耳にするだけの遥か南の島と云うイメージしかなく、その歴史や風土等全く知らなかった。

 空港到着後、最初に島の東側の断崖に行った。そこの岩場に2m程の何の変哲もない、ただのポールが1本立っていた。
 南大東島は無人島であったため、明治の初め、沖を通ったロシアの船がこの島を見つけ、船長の名前を付けてロシア領として地図に載せたそうである。
 そこで明治政府は海軍を島に上陸させ、そこにポールを立て、日本の領土としてその領有権を明確にしたそうである。海軍棒と呼ばれている。現在は3代目の棒であるがとても意義のあるポールであった。
 竹島・尖閣と領土問題がくすぶる中、何かとても感慨深い話であった。つい今の政府も、もう少し何とか出来ないものだろうかと思ったりした。
 この島はフィリピン海プレートに乗って、今でも年間7cm程北東に移動しているそうである。将来わが国の領海が広がっていくのかなと思ったが・・・

 平坦な島で、雨が少なく、水はとても貴重である。今は海水を淡水化して飲料水を確保しているとのこと。そのためこの島ではバスタブ(浴槽)のお風呂に入る習慣がなく、ホテルにはシャワーがあるだけであった。
 ただ島の中央部が窪んでおり、そこに多くの池があり、その水をサトウキビ等の灌漑として活用している。しかし50cm程下は海水だそうである。
 この島にはカラスやハブはおらず、池にはサギや、かいつぶりが沢山群れ、小鳥のさえずりも聞こえ、貴重な自然が詰まった島であった。

 南大東島は台風の通り道にあたり、よく台風に襲われる。島には地方気象台があり、毎日朝夕2回、ゾンデを打ち上げて気象観測が行われている。世界的にも重要な観測地点の一つだそうだ。
 朝8時の打ち上げを見学したが、気球に吊り下げられたゾンデが、青空に気持ち良さそうに高く飛んでいった。
 ゾンデは使い捨てで、最終的には海に落ちるとのこと。ちなみに値段は6万円だそうだ。毎日12万円・月360万円となる、これは高いのか安いのか、ちょっと考えてしまった。
 
 南大東島の大きな特徴は、島全体が断崖絶壁に囲まれていることであり、砂浜は全く無い。港が有るが、防波堤が無く、船が接岸出来ないのである。
そのため荷物に限らず人の上陸も大型クレーンを使っている。漁船を海に降ろすのもクレーンである。
 サトウキビを船へ積み込む作業を見たが、その際に使われていた大型クレーンは村の機材であり、そのオペは村の職員であった。他では考えられない様なことだが、これもこの役場の重要な仕事かと思った。
 数年前に作られた救難用の港が一ヶ所あった。それは断崖を数十メートル掘り下げ、人工的に入り江を作ったもので、普通に接岸できる一般的な港であった。

 無人島であった南大東島に人が入ったのは1900年で、それも沖縄の人ではなく、八丈島の人々が入植し、サトウキビの栽培を始めたそうである。
従って、沖縄の島ではあるが、文化は本土(関東)そのものであった。
 訪れた時は、丁度収穫が終わったところで、綺麗なサトウキビ畑が一面に広がっていた。

 この島には昭和39年までサトウキビ運搬のため、鉄道が運行されていたそうである。現在鉄道の跡は道路となっており、かつての面影は全くない。当時の映像が残っているのと機関車が2両展示されているだけである。
 沖縄に鉄道があったとは驚きであった(今は那覇にモノレールが走っているが)。これも本土の影響であろう。3年後には観光用に一部鉄道を復活させるようである。

 相撲が盛んで、毎年、神社の奉納相撲大会が行われている。それは沖縄(琉球)相撲でなく、裸でまわしを着けてとる本土の相撲である。化粧まわしを着け、土俵入りまである本格的なものである。
 小学校に入ると女子も含めまわしを着けて相撲をとるそうである。

 また沖縄では見かけないお地蔵様やお神輿、さらには松並木もあった。
今は住民の半数近くが沖縄出身の人だそうだが、関東の伝統文化をしっかり守り継承されている様に感じた。

 この島での驚きはまだあった。

 若い人が多いことだ。この島は30代から50代の人が最も多いとのこと。そのためか子供の姿をよく目にした。現地ガイドの話によると、島の1家族の子供の数は平均5人だそうで、待機児童がいるとのこと。ガイドは「うちは4人ですが、ちょっと肩身が狭いです。」と笑っていた。
 少子化の中、ちょっと驚きであった。
 出産は那覇に行くので、1人の子供を出産するのに100万円程かかるそうである。村では5人以上だと補助をしている様だが、お父さんは経済的にも大変だ。

 訪ねた時は、丁度中学の卒業式が終わった時であった。この島でも高校は那覇に行くため、ほとんどの子供達が島を離れるそうだ。その様なことも関係しているのかと思うが、中学を卒業すると、その卒業生の家に島の人達が大勢集まりお祝いをするそうである。
 ガイドの息子さんも、今年中学を卒業したそうで、島中の人が家に来て、祝ってくれたそうだ。1晩で終わらず2晩も続いたと嬉しそうに話していた。島民全員で、子供達を温かく見守り育てている様に感じた。
 そのお祝いの料理として、家の山羊をつぶして準備したと言っていた。沖縄では、お祝いの時に山羊料理を食べる風習がある様である。
 昔、祖父の家で山羊を飼っていたが、乳を搾るだけで山羊の肉は食べたことがなかった。そんなことを話したら、ガイドが夕食時に沢山の山羊の刺身を届けてくれた。泡盛のツマミに最高であった。
 
 サトウキビ畑の下に鍾乳洞が広がっていた。ここは白い鍾乳石が多かった。
その洞窟の中に、卒業した中学生達が置いた泡盛の包みがあった。それぞれ自分の名前を書いて、卒業の記念として置いておくのだそうだ。そして成年になったら古酒となった泡盛を取り出してお祝いをするとのこと。ここにも何かしら心が和む、島の習わしがあった。
 島に子供が多いのは、こんなところにもその理由がある様に思われた。

 今、国も地方自治体も少子化対策に力を入れ、いろんな施策に取り組んでいる。それはそれとして、もっと根本的なところを考えないといけないのではないかと思う。
 出生率が高いのは沖縄がダントツである。また一般的傾向として、大都市より地方の方が高い。
 それは何故なのだろうか。
 この島に来て思ったことだが、地方や離島には豊かな自然があり、コミュニティーが濃密で、共助・支え合う精神が育まれているからではないだろうか。
 与那国もそうであったが、南大東島のコミュニティーの濃さは驚きであった。島全体が大きな一つの家族の様な感じがした。
 一方、少子化の要因の一つとして考えられることは、都市は便利過ぎるうえ、娯楽が多すぎるからではないだろうか。 
 コンビニ等は24時間営業であり、テレビも終日放送している。これでは終日昼モードで、休む暇もない。こんな環境ではコウノトリもなかなか飛んでこないだろう。
 少子化対策でまずやるべきは、テレビ放送を24時で終了としてはどうだろうか(今どき、暴論と言われるだろうが・・・)。


 今回、8回も飛行機を乗り継ぎ、与那国島と南大東島を回ったが、両島とも沖縄県の島とは云え、全く文化の異なる島で、とても面白い旅であった。


 以前、甑島へ行った時だったと思うが、現地のボランティアガイドから「なぜこんな何もない辺鄙な島に来たの? もう行くところが無くなって、こんな島に来たの?」と聞かれたことがあった。その時は「そうなのですヨ」と答えた。 
 しかし、大した名所と云える様なものが無い所でも、豊かで美しい自然があり、そこで逞しく生きる人々の営みがある。大都会では得ることの出来ないもの、見ることが出来ないもの、忘れかけてしまったもの等々、とても新鮮で心が洗われるものが沢山ある。それが島旅の良さではないかと思っている。

 一方、島旅のデメリットは天候・気象の影響を受けやすいことにある。
島へは基本的に船で行くことが多い(天草や淡路島のように橋でつながっているところは少ない)。
 天候によっては船が欠航することがある。そうなると旅行の中止や、日程の変更が生じることとなる。
 父島へ行ったときは、大型旅客船であったため、接岸できず、漁船に乗り換えての上陸であったが、波が高くて半日上陸船が運休したこともあった。
 また、奄美諸島の旅を計画したときは、台風の接近で、直前になり旅行が中止となったことも経験した(日を変えて再チャレンジしたが)。

 病気や怪我にも注意が必要だ。離島には病院のないところが多い。診療所があっても医師が常駐していないところもある。またタクシーがないところでは足の確保が大変である。
 隠岐へ行ったときは、家内が転んで足を骨折したことがあった。幸いにも診療所もタクシーもある島であったが、松葉杖・車椅子で帰って来た。
 座間味島では、漁船に乗ってクジラの観察に行ったおり、波が荒く添乗員が船の中で転倒して怪我をしたこともあった。

 アクシデントもいろいろ経験しているが、それなりに島旅を楽しんでいる。

                                        (完)