42期 徒然草
居眠り 伊藤 岳司

 先般、高速道路でバスの運転手の居眠りが原因で死傷者が出る事故があった。
以前にも同様の事故があったが、痛ましい限りだ。
一方、昨年同様のケースで、我等がOBの的確な処置で事故に至らずにすんだ事例もあったようだ。
居眠りの原因はいろいろあると思われるが、居眠り運転は怖い。

 70年も生きていると居眠りにまつわる事はこれまで多々あった。
Drが居眠りしているのに気が付き、あわてて自分が横からハンドルを持った事もあった。電車の中で居眠りをして乗り越してしまった事や、終着駅まで行ってしまった事も幾度となくあった。
居眠りしている本人はとても気持ちの良いものだが・・・


● お受験


 昨年の秋のこと。久しぶりに電車に乗った。丁度席が空いていたので座って本を読み始めた。通路の向かい側の席では、小学生の男の子がドリルの様なものを出して勉強していた。

 しばらくして、何気なく男の子の方に目をやると、彼の頭が、稲穂が垂れる様に前に倒れはじめ、カックンとなった。
と、その時「何やってんの!」「駄目じゃない!」「しっかりやりなさい!」と怒声が響きわたった。彼の隣にいた母親だ。しかし彼は何も無かった様にまたドリルに取り組みはじめた。

 またしばらくすると、彼の頭が垂れはじめた。すかさず「また何やってんの!」「寝ちゃダメ!」「云ったでしょうに!」「満点とらなきゃダメなんだヨ!」怒り狂ったヒステリックな罵声が轟く。
周りの乗客もチラチラと母子に視線を投げかけている。子供は眠気に堪えてドリルに向かっていた。何だか自分が怒鳴られた様な気分になる。その後の母子の様子が気になりだして、もう読書どころでなくなった。

 また居眠りがはじまった。すかさず母親が絶叫、罵詈雑言が雨霰と落ちる。
「まだわからないの!」「ダメダメ!」「絶対に許さないからネ!」「先生に言いつけるからネ!」「また寝るんじゃないの!」「何度言ったらわかるの!」聞くに堪えない暴言が速射砲の如く発せられた。
<あんた母親だろう、眠いんだからちょっと眠らせてやればいいじゃないの。その方がかえって頭がスッキリして良いんだよ。>

 4~5分するとまた始まる。「また寝てる!」「眠るんじゃないの!何度言ったら解るの!」「寝ないって約束したでしょ!」「立ちなさい!立ってやりなさい!」

 更に続く「ほら座ってるから寝ちゃうんだヨ!」「立ちなさい!」「立ちなさいってば!」「絶対に先生に云うからネ」「そんなことでどうするの!」「もう合格なんか出来ないヨ!」
<公衆の面前でここまで云うかよ。このオバン。これはもう言葉の虐待だ。>子供がかわいそうになってくる。

 こんな調子が40分ぐらい続いた。
この間子供は一度だけ小さな声で、不貞腐れた様に云い返した。「寝てなんかいないよぅ。ちょっと考えていただけだよぅ」と。そして終始座ってドリルに向き合い、睡魔と格闘していた。

 ターミナル駅に着いた。男の子は母親に急き立てられ、重そうなカバンを背負って、母親に手を曳かれながらトボトボと下車して行った。
あの子の受験は上手くいくのだろうかなぁ?将来どんな人間に育っていくのだろうかなぁ?あの親子の関係は上手くいくのかなぁ?等々、どうでも良いことだが気になった。


● 初陣
 

 昭和42年10月久留米を卒業し勇躍部隊に行った。
着隊1ヶ月後、3夜4日のRCT検閲が実施され、小隊長としてこれに参加した。所謂初陣である。この初陣は、苦い記憶として今も鮮明に覚えている。

 久留米を卒業したばかりで、演習場やその周辺の地形も全く知らない状況で、更には隊員もほとんど掌握していない中での小隊長と云う事で、不安で一杯であった。

 そんな私を気づかってか、中隊長は「伊藤候補生、君の初陣だな。でも心配いらないヨ。小隊陸曹には、小隊長もやった事のあるベテランのO1曹をつけておいたし、班長も中隊きっての猛者ぞろいだから大丈夫だヨ。彼らのアドバイスを聞いておけば上手くいくヨ。しっかりやりたまえ。」と励ましてくれた。
 
 しかしこの初陣は失敗の連続であった。
攻撃前進中での、G1士の空砲を装填したままの弾装の紛失。O小隊陸曹の銃点検時の空砲の暴発。そして最後は、攻撃開始後(班長の助言に従い進んだのだが)深い谷に迷い込み、遊兵状態となり状況は終了した。散々の結果であった。

 その最初のつまずきはH班長の骨折・後送と云う事案であった。
検閲は、演習場近くの駐屯地近傍からの夜間行軍から始まった。状況開始前H班長は言った。「行軍は演習場外を歩くので、特段の状況は出ないはずです。道も良くわかっていますから楽勝ですよ。」

 30Kmほど歩いた午前3時頃、小隊の後ろの方でドサッと云う大きな音がした。駆けつけて見ると、H班長が道路脇を流れる川に転落しており、歩けない状態であった。中隊本部からF先任陸曹も現場に来て、H2曹は車で後送した。ベテランの班長が一人居なくなった。その時F先任は「H2曹は鳥目だったからなぁ。よく見えなくなって足をすべらしたのだろう。」と、私を慰める様に云ってくれた。
 
 演習場に進入し休止している時、I士長が同僚と話すのが耳に入ってきた。「H班長は川に落ちる前からふらふらして歩いていたよ。あれは鳥目でなんかじゃないよ。居眠りしてたんだよ。」  <えぇ居眠りだったの?>
 
 その後BOCの時だったか、自分もわずかの時間だったが居眠りをしながら行軍した事があった。


● 学生綱領【廉恥・真勇・礼節】


 小原台ではよく居眠りをしたものだ。
学生舎生活や校友会活動での精神的・肉体的な疲れを癒す(?)唯一の場所が教場であった。上(下)級生や指導教官の目はなく、周りは同期生のみと云う気楽さがあった。

 居眠りにも2通りある。眠るつもりはないのに、ついつい眠ってしまう場合と、初めから眠ろうと思って眠る場合である。後者の様な、確信犯的な場合は質が悪い。教場に入るや否や、後方の目立ちにくい席を確保し態勢をとると、そのまま机に突っ伏してしまう。
 
 居眠りをしていると、隣の同期生がそれとなく突いて起こしてくれる。中には、温かく見過ごしてくれる親切な者(?)もいる。これぞ親友?はたまた心友?いや真勇だ。
 
 講話などの場合、よく指導教官等から眠るなと注意されたものだ。
しかし、学生や聴講者が居眠りをするのは、教官や講師にも責任があるのは論をまたない。その内容が面白く興味をひくものであれば、誰も居眠りなどしないものだ。

 卒業後小原台勤務の時、昔と相も変わらず、学生の居眠りがしばしば問題になった。特に教授連からのクレームが多かった。そんな時には、「教授側にも問題がある」と反論したものだ。
 
 しかしながら学生に対しては、(自分の学生時代のことは棚に上げて)居眠りはするなと説いた。居眠りは、師への礼節に悖る行為であると。そして、士官候補生として廉恥の心を持てと。
 
 
 いま国会が開催中だ。そこは国権の最高機関であり、そこに席をおき選良と自負する先生方の態度や如何。
議場で時として、頭を垂れ、口を開け居眠りをしている無様な姿を見かけることがある。その中には、一時は国の最高権力を持っていた人間もいる。全く情けない限りだ。せめて仏様が瞑想する如く、姿勢を正しく保ち、目を瞑って欲しいものである。

 いよいよ入学シーズンだ。あの男の子はどうなっただろうか・・・