42期 徒然草
脊柱管狭窄症の手術体験記 吉田 道也

 近年脊柱管狭窄症に悩まされている方々が急速に増えていると言われております。
 42期会の会員の方にもこの病気に悩まされている方、既に手術を受けた方も多いことと思います。
 私もついに手術をしてしまいましたので、参考の為その様子を綴ってみました。

 脊柱管狭窄症とは、背骨の中を通っている神経の通り道である脊柱管が、加齢などにより狭くなって神経を圧迫し、足腰の痛みやしびれを引き起こす病気です。
 そして特徴的なのは、歩いている途中で足腰にしびれが出て立っていられなくなり、少し休憩すれば回復するという症状です。これを間欠性跛行と言います。

 私の症状は平成27年の秋ごろ発症し、長い距離を歩いていると左足にしびれが出て歩けなくなり、少し休憩をすれば回復するというものでした。
 しびれが出ても無理をして歩いているとだんだん脛のあたりが冷たくなり、その後熱くなってきて、右足までしびれてくると自分で足をコントロールできなくなり、倒れてしまうというものでした。
 そこでかかりつけの整形外科病院で診察してもらったところ、脊柱管狭窄症だと告げられました。そしてしびれ止めの薬を処方してもらい、腰を引っ張る牽引療法を受けることになりました。

 この病気は慌てて手術をするのではなく、運動療法などで症状が和らぐということなので、特に私の場合は痛みが出ないこともあり、「脊柱管狭窄症を自分で治す」などという記事を参考に、ストレッチや指圧の真似事などをしながら様子を見ることにしました。
 普段の生活では5分歩いて1分休むという動作で、症状が変化することもなく3年くらいは過ごすことができました。
 しかし令和に入ってからは症状が悪化し、2~3分しか歩けなくなってしまい、手術を考え始めました。
 ただ6月と7月に郷里で法事が予定されており、それが終わってからにしようと、杖をつきながら法事に参加してきました。

 法事が終わってから、かかりつけ医にお願いし、手術の出来る病院に紹介状を書いていただきました。
 病院では、手術をするかどうかの確認をされ、血液検査、尿検査、心電図やレントゲン撮影、両手足の血圧測定(これは同じような症状の出る閉塞性動脈硬化症かどうかを判定するもの)などの手術前検査を行い、手術予定日を決めていただきました。
 そしてコルセットの型取りをしてその日は終わりましたが、朝9時半の予約で訪れてからほぼ丸1日かかりました。

 手術予定日の2週間ほど前に再度病院に行き、検査結果の説明を受けるとともに、入院予約等の手続きをしました。

 私は手術はおろか入院の経験もなかったので不安でいっぱいでした。
 入院指定日は9月9日、折しも夜中に台風15号が襲来し、暴風雨が吹き荒れました。朝は台風一過の青空が広がっておりましたが、公共交通機関は全て不通、タクシー会社へも電話がつながらず、途方にくれてしまいました。
 家内がやっとタクシーを拾ってきてくれ、家内に付き添われて何とか出発は出来ましたが道路は大渋滞、病院まで通常は15分ほどで行けるところが1時間近くかかり、指定時間を大幅に遅れてやっと到着、先が思いやられるスタートとなりました。
 受付では「よく来られましたね」と感心されてしまいました。
 当日は医師も看護師も出勤できない人が多く、手術の予定も大幅に変更になっているということでした。

 当日は入院手続きと説明のみで、入院生活がスタートしました。
 入院中の日課は、0600起床、0700朝食、1200昼食、1800夕食、2100消灯で、起床時、昼食後、就寝前に検温、血圧、脈拍測定です。

 入院翌日に脊椎の造影検査を受けました
 これは脊髄に薬液を注入し、髄液の流れを観て狭窄部分を特定するものです。
 夕方妻とともに検査結果の説明を受け、再度手術の確認をされ承諾書にサインを致しました。
 検査結果によると狭窄部分は4カ所あり、そのうちの1カ所(4番と5番椎骨の間)はほぼ完全にふさがってしまっているので、骨を削り取って脊柱管を広げ、そして鉄筋とボルトで腰椎を固定しなければならないと言うことでした。
 なお、4カ所の狭窄と言うことは、腰椎は5個しかありませんのでそれぞれの間が全部狭窄しており、かなりの重傷といえるようでした。

 承諾書といえば、このほかに造影検査、腰椎後方除圧固定術、輸血、麻酔、リハビリ実施計画等、医療トラブル防止のためか、数々の医療行為に対する同意書に署名させられました。

 手術前日には、ベッドの上で寝たままの食事や水飲み、洗面器のような便器に排泄する訓練等を行いました。
 夜就寝前に下剤を服用し、準備終了です。
 翌朝排便がない場合は浣腸をすると言うことでしたがその必要はありませんでした。

 手術当日は所謂エコノミー症候群を予防するため、ふくらはぎを圧迫する弾性ストッキングなるものをはいて、下着は脱いで手術室に向かいました。
 手術台に乗り、全身麻酔を受けたらすぐに意識が遠のいてしまいました。気がついた時には病室のベッドに横たわっていました。
 手術はかなり苦労されたようで、通常3時間くらいで済むところ5時間近くかかったようです。

 病室に戻った時には、抗生物質や鎮痛剤等の点滴の管が腕に取り付けられ、排尿のためチンポの先から膀胱まで尿道に管を通されており、手術跡には血液その他の体液を排出する為のドレーンの管が取り付けられ、また紙おむつのようなものをはかされたなんとも情けない状態になっておりました。

 当日は痛みはあまり感じませんでしたが、腰に力が入らないため寝返りを打つことが出来ず、一晩中ベッドに縛り付けられているような苦痛を覚えました。

 翌日には食事が出来るようになり、早速リハビリが開始されました。
 リハビリではベッドの上で脚を動かす運動のあと、早くも歩行訓練でした。点滴の管や尿の袋をぶら下げたまま、コルセットを着け歩行器につかまってそろそろと歩きました。

 寝返りも何とか一人で出来るようになりましたが、じっとしていれば痛くないのですが、動くと手術跡がずきんと痛み、寝返りもなかなか大変でした。

 3日目には排尿の管とドレインの管が外され、点滴の袋を持ってトイレにも行けるようになりました。
 この間排便の気配がなく、ベッド上で便をしないで済みましたが、3日も排便がなかった為下剤を服用し、翌朝にはなんとか排便することが出来ました。3日目の夕には点滴の管も外され、やっと自由になれました。

 6日目には歩行器を使わないで歩くことが出来るようになり、シャワーの使用も許可されました。

 この頃からの病院での日課は3度の食事のほかは20分程度のリハビリと1日2~3回の看護師による検温と血圧測定だけで、あとはベッドでごろごろしているだけです。
 リハビリは退院後自宅で自立して行動が出来るようにすることを目標とし、足腰の筋力維持と歩行訓練が主体です。

 手術後10日目くらいには傷跡の痛みも感じなくなり、脚のしびれは残っていても、10分くらい歩いてもしびれがひどくなることもなくなり、ベッドの上でごろごろしているのが退屈で仕方がなくなりました。
 テレビは有料なのでつけっぱなしにしておく訳にもいかず、新聞や雑誌を読んでいても薄暗い病室ではすぐに目が疲れてしまいます。
 そこでベッドの上で出来るリハビリ体操をしたり、歩行訓練と称してナースステーションの前の廊下を行ったり来たりしていることになります。

 14日後採血とレントゲン撮影があり、退院の時期の判定がありました。
 幸い医師からはいつでも退院してよいという許可が出、翌15日目に退院することと致しました。

 その後、退院後の生活指導を受け、無事退院致しました。

 ちなみに、手術に要した費用は、入院・手術費が高額医療費の免除もあり10万円弱、コルセットの制作費が当面全額負担で約4.5万円、入院前の各種検査費を含めても、病院で支払った金は15万円弱でした。
 なお、コルセット制作費は後日その9割が戻ってきましたので、実質かかった費用は約10万円というところでした。
 もちろんそのほかに入院中に必要な日用品代、交通費、それとテレビ視聴代が必要でしたが。


 退院から半年が経過し、まだ脚のしびれは残っており、脛から足指先までの感覚が鈍く、つまずいたりよろけたりしやすいので要注意ですが、間欠性跛行はなくなり、かなりの時間立っていたり歩いたりが出来るようになりました。

 腰に負担がかからないよう、姿勢や動作に気を遣ってはおりますが、日常生活にはほとんど支障がなくなり、手術に踏み切ったことはよかったと思っております。
 できればもう少し早く手術してもよかったのかなと思っております。

                                                  

    (令和2年3月)   
 
   「腰椎固定のレントゲン写真」