42期 徒然草 田中 征之
ベトナム紀行 その1
 
一昨年の10月、後輩の志賀君とベトナム・ハノイに行きました。
 目的は今のベトナムを肌で知ること、ベトナム戦争に勝った原動力はなにかということでした。

 キャセイ航空で香港乗り換へ約6時間、ハノイ空港に夕方着きました。
   
 この空港は日本の地方空港の趣で、ロビーにHIS現地案内のオーさんが迎えに来てくれていました。
 この人は30前後のかなり日本語が堪能な人で、かなりのエリートという感じがしました。ともかく日本語が出来る人が着いてくれるので、一安心、宿泊のウエストレイクホテルにチェックインし、早速夜の探訪に出かけました。

                                      
 2人共ベトナムビールが飲みたい一念で、恐れげもなく初めての土地に踏み出したのですが、幸いな事に近くに飲食店を発見、早速ビールと料理を頼みました。 飲食店と言っても現地の人が大勢来る居酒屋で、中と外に簡単なテーブルとイスが置いてあるだけの屋台に毛の生えたようなものでした。勿論、ベトナム語は出来ませんから、注文を理解してくれるかと思いましたがここの若い青年店員は誠に気が利いていて、我々の意図をすぐに察知して席に着くとすぐビールを運んできてくれました。

 ベトナムビールはアルコール度数が低いのか、飲みやすく、二人とも10杯以上飲み、料理も回りの人が食べているものを片言の英語と身振りで注文しました。  教育程度が高いのか、若い人には英語は通じるようでちゃんと注文したものが出てきました。料理は野菜と肉を炒めたメニューが多いようですがパクチンが入っているものがあり、私はこれが苦手なので、相棒に回しました。

 無難なのは「フオー」という日本で言う肉うどんのようなものは美味しくベトナム滞在中の外食では殆ど「フオー」を食べていました。  鍋料理もあったのでこれを注文すると、若い女店員がかいがいしく鍋の世話をするのを見て、まわりのおじさん達が女店員を囃し立てるのが、面白くほのぼのとした親しみを感じました。多分「俺たちにはしてくれないのに日本の人にはえらく親切だな、気があるのかい」とからかっているのでしょう。           

 僅か数時間のふれあいでしたが、ベトナムの人の明るさ、親切さ、将来に対する希望、自信が感じられ、それは丁度30から40年代の日本が戦後の復興を成し遂げ明るい展望を持ち、未だ日本人の良さを持っていた頃を思い出させるものでした。
 この時期のハノイは日本の初夏のような気候で、ほろ酔いの身が心地よい夜風に吹かれてホテルに戻りました。このホテルはベトナムでも上の部に入るようで。ウエストレイクの名が示すように、何とホテル全体が湖面の上に立っていて、窓から見える湖面に沈む夕日や、湖面を照らす月の光は何とも美しいものでした。  かくしてベトナム1日目は過ぎていきました。