42期 徒然草 田中 征之
ベトナム紀行 その3
 
 ハノイ2日目午後

 午後は案内役のオーさんから離れ、2人だけでハノイ市内に出かけました。
 目的は戦争歴史博物館に行くこと。

 地図を頼りにあちこちを見て回りましたがベトナム戦争から50年近く、1965年2月の北爆開始で甚大な被害を受けたハノイ市にその傷跡は全くと言って良いほど見ることは有りませんでした。

 美しい町並みとスーパー、デパートがほとんど無い個人商店中心の商業活動お婆さんが自転車を引いてのサンダル売りなど落ち着いた、長閑さを感じさせるものでした。
 二人とも願わくはこの風景がずっと続いて欲しい、けれどももあと数年後にはスーパー、デパートが建ち並び、日本の様に個人商店は少なくなり、市民生活も変貌するのだろうなという感想を持ちました。

 途中で市民の利用する大衆食堂での食事、観光客が利用する屋台風の店でビールを飲みました。
 意外なことに、アメリカ人かオーストラリア人の若者がTシャツ・リュック姿でサンダルをぺたぺた響かせながら歩いたり、食事をしているのを多く見かけました。

 ここにもベトナム戦争の影は全くなく、戦争の当事者の国民も受け入れる寛容さを感じます。
 何時までも執念深いどこかの国とは国民性が違うのでしょう。

 しかし100万人近くの犠牲を払ったベトナムの人たちの心の深層は如何なるものでしょうか。
 事実、移動の途中に見た村々には沢山の墓地・お墓が有りました。
 おそらくは村から出征して帰らなかった戦士・戦いの犠牲となった村民が眠っているのでしよう。

 さて、戦争歴史博物館ですが、二人ともあまり方向感覚が良くないのか近くまで来ていながらたどり着けず、近くにいた警察官らしき人に志賀君が得意の英語で尋ねた所、親切にも入り口まで連れて行ってくれました。


戦争歴史博物館はかなり立派な施設で、中は広場の中心に撃墜した米軍機等を集めて作った巨大なオブジェや捕獲した飛行機・戦車、大砲やソ連から提供されて北ベトナム正規軍が使ったであろうミグ15を始めとする航空機T-55戦車、装甲車・火砲などが所狭しと展示され興味を引きました。

 館内には主としてベトナム戦争の歴史を物語る写真が数多くあり、特に心を打たれたのは出征する兵士を見送る村人・迫撃砲を操作する3人のうら若き女性の写真でした。
 ベトナム戦争を「抗米救国戦争」と呼んでいるように、この人達の多くは誰からも強制されたのでは無く、国を救うために自ら志願して戦いに赴いたと思われます。

 このベトナムの人たちの心に内在する強烈な愛国心・外国の支配を許さないという独立心こそが、フランスを撃退し、あの超大国のアメリカをも追い払った原点ではないかという思いを強くしました。