42期 徒然草 田中 征之
『「武士の娘」を読んで』に啓発を受ける
 
 小柳さんの記事にあるように「幼少の時期からの確りした教育の必要性」について考えさせられます。

 当時、特に武士の家庭ではそれが実践されていたようです。
 それは「覚悟」にも現れていて、大石主税や白虎隊、特攻隊で若き命を散らした方々や婦女子にもそれは言えるようです。
 学問、武道、必要な習い事は勿論、人として一番必要な「如何に生きるか」と言うことまで確り考えさせた様に思えます。

 あの若さでそれが出来たことは大変立派なことです。
 しかるに現在は幼児教育から他人任せ、保育園からずーとです。
 家庭内教育はどうなっているのでしょうか。

 私などは「貧しく子沢山」で幼稚園も行っていませんが、小学校に入ったときに殆ど引け目は感じませんでした。
 それは両親が確りした家庭内教育をしてくれたお陰と今でも感謝しています。

 「覚悟」について、防大を卒業しても深く考えることもなく平々凡々と過ごしていましたが、1980年代初頭の「ソ連の侵攻」が現実味を帯びてきたときに、そろそろ「覚悟」を決めなくてはと思い始めました。
 しかしそれも出来ず定年を迎え、現在に至っています。
 1985年のソ連崩壊でその必要も無くなったことにホッとしたのが事実です。

 当時、富士学校教導隊の中隊長をしていた後輩と話をする機会があったときに
 「先輩、私は中隊長として部下を相手と同等な装備で戦わせたい。それが無理ならせめてカールグスタフ(対戦車戦で有効とされたロケットランチャー)を持たせたい。」
 と切実に語ったことを今でも鮮明に覚えています。この後輩は「覚悟」が出来ていると。

 「武士道」について、最近「武士道とは悲しきもの」という別の面があることを感じました。
 それはTVの時代劇や時代小説で架空の話ですが「仇討ち」をせざるを得ない立場になって敵を求めて全国を彷徨う話や色々な悲劇は実際にあった様です。
 「仇討ち」の為に自分の人生も家族との平和な生活も棒に振った人を」見て「武士道とは悲しきもの」「武士道」なかりせば、この人も非凡な自分の人生を送れたものをと言ったのが印象的でした。
 それにも関わらず、「武士道」は日本人の生き方の原点と思います。

 私は「武士道」について殆ど知らず、これからも学びたいと思っています。
 昨年、旅順を訪れた際に、「水師営」での乃木・ステッセル会談の現場を見、堂々と写真に収まっている姿を見て、多大の犠牲を出しながら、戦い終わった後は正々堂々と戦った相手に敬意を表するという武士道精神が当時は未だ残っていた事を感じます。

 私の独り言も長くなってしまいましたが、小柳さんの紹介してくれた杉本鉞子さんが書かれた「武士の娘」と新渡戸稲造氏の「武士道」は是非読みたいと思います。

 啓発を頂き、有り難う御座いました。