42期 徒然草 田中 征之
小さな地域活動
 
 私は三鷹市の片隅、新川に、50数年年前公団住宅なるものが出来、両親が入居した時から共に住んでいました。

 ここは台地になっていて、すぐ近くに仙川という川が流れていており、台上は畑作、川の近くは水田と、都会とは思えないようなのどかな所でした。その後は、団地は独自に自治会が主催した盆踊り、祭りとあまり地域住民との交流も余りなかったように思います。

 それから50年の年月が流れ、自衛隊の定年・3つの会社勤めを終わり「毎日が日曜日」となってしまいました。さてなにをしようかと思っていた時に、たまたま公園の掲示板に「ボランティア募集」という掲示記事がありそれは「月二回・土曜の7時から8時まで公園のゴミ拾い」というものでした。

 これなら自分でも出来ると、次の土曜に顔を出しました。
 出てくる人は8人位ゴミ拾い作業は30分ほどで終わり、後は20分ほどミーティング(雑談)、片付けをして終わり、三々五々家に帰るというもので、来れるときだけ参加すれば良いという緩いものでした。
 只、普通のゴミ拾いボランティアと違うのは、三鷹市がバックアップしてくれていて、作業に必要な道具の提供、集めたゴミの処理、池の水替え作業等の大きな作業は市がやってくれます。
 と言うのもこの「丸池公園」というのは三鷹市が池や小川を人工的に作り、様々な木を植えて整備した公園で、我々は単なるゴミ拾いだけではない環境保護の目としての役割も期待されている訳です。

 又、公園の隅に200へーべ程の小さな田んぼを作り、メンバーのプロの農家のおじいさんが指導して、田起こし、田植えから刈り取り迄やっていて年平均100kgほどの餅米を収穫しています。
 この農作業を地元の小学生に体験して貰う教育プログラム的な行事も行っています。
 秋には収穫した米で餅つき会や「ワクワク祭り」という小学生参加の祭りを催して、公園の隣にある「勝淵神社」の境内に青年団が出店を出して地元の人も大勢参加してにぎわっています。

 この「勝淵神社」はあの賤ヶ岳で秀吉に敗れた柴田勝家を祭った神社で敵の敵は味方ということでしょうか、家康が勝家の子孫に所領を与えたのがこの新川近辺で、ここに神社を建てたそうです。
 神社の名前からしても、このあたりが島屋敷というのも歴史が偲ばれます。
 
 かくして「ゴミ拾いボランティア」も単なるゴミ拾いに非ず、自然の保護、地元の活動にも役割を果たしていると言うことで、最近は月2回のゴミ拾いの集まりを楽しみに行っています。