42期 徒然草
イギリス旅行4日目:再びロンドンへ 田中 征之

 目覚めて窓から外を見ると、昨日の帰りとは大違いの素晴らしい天気。
 今日でトーキーとはお別れと言うことで荷物をまとめ、例のごとく一番に朝食を取り、名残の写真を撮るため、ホテルの前の海岸に出ました。
 何という美しさ、波一つ無い海と雲一つ無い青空のコントラストが見事だ。
 これではイギリス人が浮かれるのもあながち嘘ではないと思えました。
 目をこらすと、岬の近くに黒っぽいものが浮かんでは消える。何だろう、4月に人が泳いでいる訳は無いし、そうか、オットセイだと思いました。ここの緯度ではオットセイがいても可笑しくはない。(確か北海道か樺太と同じ緯度)
 早起き3文の得では有りませんが、なんだか得をした気分でした。

 出発まで時間があったので、ホテルのラウンジでコーヒーを飲むことにし、中に入るとチーフらしき人はインド人が「グッドドモーニング」と愛想良く迎えてくれました。何しろ外国のホテルでコーヒーを飲むのは初めてなので注文は通じたかと思いましたが、何とかコーヒーが出てきて、美しい海岸を見ながらの一時は、つかの間の幸せでした。


 8時に出発し、バスはトーキーのホテルを後にして、片道330kmの長旅でロンドンへ、途中、高速道で事故があって渋滞、予定したロンドンで昼食はキャンセルになり、途中のサービスエリアで各人自費で昼食、豪華な昼食が一変して「マック」をほおばることに。これも一興、高速道のサービスエリアを体験したのは良かったと思いました。
 日本の様にギスギスしたものではなく広くゆったりしていて木々も多く、野鳥が愛を囁いているのを間近で見ました。


 2時間程遅れてロンドン市内に到着、バスはベーカー街のシャーロックホームズ博物館に直行しました。
 ここを訪れることは私のツアー参加の目的でもあったので、期待に胸は高まりました。
 ドラマで何十回も見たホームズのオフィスそこに有りました。ドラマで架空のものですが、実際にベーカー街221番地に本当に作られていて、この番地でホームズ宛に手紙を送ると届くそうです。


 一階はグッズの販売を行っていて、階段を上ると2階にドラマと全く同じに作られたホームズの居間兼オフィスが有りました。意外と狭く6~8畳位の室内は机、ソファ、ホームズ愛用のハット・マント・点眼鏡・バイオリンまでそのままに置かれ、大勢の見物人がいなければ、ホームズや相棒のワトソン博士がいるような気がしました。
 狭い部屋なので一度には入れず10名程が交代で入りましたが、皆、嬉しそうにハットを被り、マントを着て記念写真を撮っていました。余談ですがドラマではホームズは音楽にも長じていて、特にバイオリンが上手で、事件が落着した後、愛器ストラディバリスを手に取ってベートーベンのバイオリンコンチェルトの一節を弾くシーンがよく出てきます。
 音楽会も楽しみにしていたようで「ワトソン君、パガニーニの演奏会が有るが一緒に聞きに行かないかい」と言う場面が有りましたが、作者のコナンドイルの活躍した19世紀末~20世紀初頭には名バイオリニストがきら星のごとく輩出した時期で、特にパガニーニは名バイオリニストとしても作曲家としても現代でも有名で、当時はその超技巧を駆使した演奏で多くの聴衆を魅了したそうです。
 そのパガニーニの美しくも非常に難しい曲を、日本の一流の演奏家になった人たちは中学生の頃に弾けるようになっているそうですから驚きです。

 もう20年以上前にチャイコフスキーコンクールで1位になった諏訪内昌子さんは受賞後の記念コンサートでパガニーニのコンチェルト1番を弾きましたが若くみずみずしさの溢れる見事な演奏でした。この時彼女は確か高3で18歳だったと記憶しています。この時の記念アルバムのLDを今でも大事に持っていますが、この分野の日本人のレベルの高さは驚きです。
 ホームズのドラマの中に「この間聞いた女流演奏家の得意な曲は何だったか」とワトソン博士に尋ねる場面が有りましたが、私はその演奏家がヌヴーで得意な曲は「ショーソンの詩曲」だと直ぐに分かりましたが、ワトソン博士は知らなかった様です。
 このフランスの女流名バイオリニストジャネット・ヌヴーはDVDに残された数少ない演奏を見る限り、情熱的且つ繊細な人で、この曲の演奏はこの人を置いてはいないと思われる不世出の演奏家でしたが惜しむらくは飛行機事故で若くしてこの世を去りました。
(と思ったのですが作者のコナンドイルの生きていた時代と1世紀異なるのでやっぱり女流演奏家は誰だったかホームズと同じくわかりません)
 シャーロック・ホームズについては皆さんも良くご存知の通りですが彼は天才的な頭脳も然ることながら徹底した現場主義で、良く虫眼鏡で現場を探す姿が描かれていますが、どんな小さな遺留物も見逃しません。又、それから人物を的確に推定する能力も持っています。
 これはアガサ・クリスティーのポアロが人物観察から事件を解決するのとやや対照的です。

 この現場証拠を見逃さない捜査は現在にも通じるもので、日本の警察も見習って欲しいものです。
 「踊る人形」では現場に残された踊る人形の絵文字列からその意味を解読して逆にこの暗号文を使って犯人をおびき出し逮捕するストーリーで、この解読のキーが絵文字に出てくる頻度から言語特性で推定する今でも使われている手法を既に用いていた事は驚くべきことです。この辺は専門家の細田君の解説を要しますが、細田くんならホームズより早く解読したかも知れません。

 シャーロック・ホームズシリーズで最も有名なのは「バスカビル家の犬」ですが、私の最も好きなのは「ボヘミアの醜聞」でこの作品には唯一女性が主役として登場します。このミス・アドラーは、ホームズに負けず劣らずの知性と才気を持ち、且つ、強い意志のを持つ美しい声楽家で、ボヘミア国王がスキャンダルになりかねない彼女との写真を取り返そうとあらゆる手を使いますが彼女の知性の前にことごとく失敗、困り果ててホームズに依頼に来るのが物語の始まりですが、最後はホームズの意図を見抜かれて、見事に出し抜かれスキャンダルは止められたものの、半ば成功、半ば失敗で終わるという話です。
 ここにはミス・アドラーが実に魅力的に描かれ、女性に関心を持たないホームズがミス・アドラーのことを呼ぶときは「あの人」と呼び、特別の人と思っていることから、ホームズが唯一恋心を持ったのではないかと思われます。
 世にシャーロピアンと呼ばれるホームズファンが世界中に数十万、数百万人いるそうで、私も半年後に再び訪れていることからその一人かも知れません。

 バスが遅れたので「ホームズ博物館」の見学は駆け足で終わり。このツアーの最大の目玉のTVドラマ「名探偵エルキュール・ポアロ 」のポアロ役を演じたディビットスーシエさんとのお茶会のため会場の有名な「トットナム」に移動し、ディビットスーシエさんとのアフタヌーンティーの運びとなりました。
 このツアーに参加した女性陣は実はこのスーシエさんと会うことが最大の目的だったようで、驚いたことにどこで着替えたのか、殆ど全員が美しい服に着替えて現れました。中には和服の人もいて、ひときわ目立った存在でした。
 外国での日本女性の和服姿は実に良いものだと思いましたが、それにしても女性の変身の鮮やかさんはびっくりです。

 スーシエさんの歓迎のスピーチに始まって、出席者からの質問・応答、終わって彼が自ら各テーブルを回って一人一人に握手、声をかけて色紙にサイン、女性陣は興奮の極みで、中には目に涙を浮かべる人もいて、大満足の様子でした。私は英語のやり取りを分かったふりをするので精一杯、御蔭でアフタヌーンティーの3段重ねのおいしいお菓子を1個口に入れただけでした。
 このスーシエさんはポアロの役柄では内股でちょこちょこ歩く弱々しい人物で頭のてっぺんから出るような甲高い声を出しているのですが、実際はギャングの親玉で映画にでいるような実に男性的な人で、声も低音の魅力ある声で、ポアロの役のために歩き方も声も自分で工夫したそうです。役者は凄い、劇中の人物と目の前の人がとても同一人物とは思えないと感心しました。

 お茶会を終わって会場となったデパートで土産物の買い物。このデパートは紅茶で有名で英国王室の御用達の店てある為、入口の上にはそれを示す紋章が誇らしく飾られています。
 余談ですがアフタヌーンティーは英国が華やかなりし頃からずっと続く伝統で午後2時頃から甘いお菓子と紅茶でゆったりと歓談するというもので、流石もと大英帝国だった事はあります。
 日本のようにせこせこと一日中働いている人種は3時の休憩でインスタントコーヒーか出し殻のお茶をすするのが精一杯。


 最近、子連れのおっかあが旦那の働きをよそに、おかわり自由の飲み物をとって何時間もくっちゃべっているのを見かけますがあの優雅なアフタヌーンティーとはおよそかけ離れています。
 ラッキーなことにお茶会の始まる前にある人がスーシエさんの顔がよく見える席に変わってくれと言ってきたので代わってあげたテーブルが何と妙齢の女性ばかり。
 このツアーは例の個人情報の保護と言うことで全体の写真を撮ることはなかったので、お茶会の後にテーブル全員の写真を撮ってあげましょうと言った所、皆さん快く応じてくれ、それを契機にあちこちで写真撮影が始まりました。
 帰国後、お互いに写真を送ることになり、実際に写真を手紙で送り合ってほんの1回ですが、思わぬ交流がありました。

 


 お茶会を終わって、バスで又、最初の晩に泊まったケンジングトンのヒルトンホテルへ、最後の晩と言うことで、旅の疲れを自室で癒す人や知人との会食に出かける人など様々でしたが、私は冒険心?からツアー説明の時に治安が悪いのでなるべく行かないようにと言われたホテルの反対側の通りに夜の探訪に出かけました。
 このケンジングトン地区は通りの一方は高級住宅街、反対側は色々な人種の住む、低所得者が多い地区と言うことで、日本で言えば成城と山谷があ隣り合わせというような両極端なところです。
 その通りに足を踏み入れた途端、何か違う雰囲気を感じました。
 クラブらしき建物の入口には屈強な大男の警備員が2人立っているし、その内ピーポピーポとパトカーが走り回るしで、これはツアー説明の通り、かなり危ない「君子危うしに近づかず」で早々に退散しました。
 途中のメキシコ風売店でコッペパンの中に炒めた具と野菜が入ったものを1ポンド(当時約200円)で買いホテルの自室でTVを見ながら侘しい夕食。

 いよいよ明日は帰国の日、半日の自由行動の時間に最大の楽しみのターナーの絵に会えるのを楽しみに床に着きました。