42期 徒然草 谷口 日出男
ふがワリィー

  アッと言う間だった。ブロック塀の横合いから突然自転車が飛び出し、前を行く軽自動車の左側面にぶっつかった。自転車は、跳ね返されその場に倒れた。その車、一瞬止まらないのかと思ったが3~4m先で止まった。
 俺は、ハザードランプをつけ、すぐさま車から飛び出し、自転車のとこに走った。軽自動車の方からも中年の婦人が降りてきた。男の児だった。
 痛いよ!と泣いている。そばに寄って抱き起す。男の児の首の下に置いた俺の腕に、血が付いた。耳の傍に出血あり。どこが痛いの?と聞いても泣くだけである。元気な泣き声である。まったく一瞬のことだった。

 車が走る、そこになんか横合いから物を投げつけたみたいにその子供の自転車がブロック塀から突然、ぶっつかってきた。俺の前を行くその車、速度は30チョット過ぎか、車の下敷きになったわけでもないが、ただぶっつかって道路に叩きつけられた時に、頭でも打っているかもしれないし、どっか骨折をしているかも知れない。
 軽を運転していた婦人、ごめんね、どっか痛いとこはない?と子供の手を取り、しきりに訊く。俺の腕に抱かれた男の児は、ただ泣き喚くだけである。
 婦人にすぐに119番するように言う。その婦人、持っていた携帯で電話した。
 そのうちご近所衆が集まってきた。集まったご近所衆にあれこれ指示をする。この子の親にすぐ連絡と誰かタオルを持ってきてもらいたいとそして救急車の到着した際の誘導を頼む。
 その場の処置としてそれが最善だったかどうかはわからないが、我ながらテキパキと取り敢えずの処置を取る。後で考えれば、これも前職で知らずに学んだ当事者対応能力のお蔭かも知れない。

 しかしいざその場になると色々と不測事態も起きる。肝心な消防署との事故現場の地名がなかなか通じない。その婦人と俺が電話を代わるも子供の泣き声で良く聞こえない。集まった女性に住所に訊いて番地を消防署に知らせるも、何とかストアの先ですかとか、薬局があるでしょう聞かれ、そんなものは近くには全然見当たらず。こんな時、どうやって今の場所を伝えるか難しいもんだ。
 

 この道、それこそ通勤で10年近く通っているところである。両側に民家がビッシリ並んで、その民家への出入り口とか横合いに通ずる脇道がやたらとある。
 その区間、約500mもないか、そんな車の離合さえままならぬ狭い道路だが通行量は結構多い。朝夕の通勤時は、チョットした渋滞になることが多い。事故現場から約200m先に踏切があり、それも遮断機の下りるのが、ながぁーいJR踏切なので、そんな時は余計に混む。
 ただ車が少ない時は、かなりのスピードでその狭い道を通り抜けていく。その子供、運が良かった。そんなにスピード出していない車だったし、ぶっつかったのも車の左前部だったので下敷きになるのが逃れた。あれが車の前だったら文句なしに車の下敷きになるところだった。 
 その生死の時間差、ほんの1,2秒ぐらいか、そしてそれが2,30秒後であれば、間違いなく今度は俺の車に飛び込んでくるところだった。全然いったん停止をすることなく、まったく横が見えないブロック塀の間から飛び出してくるんだから、これは防ぎようがない。
 事故の対応で俺の車とその婦人の車が停車しているのでそばを通る道が渋滞になった。
 誰もが窓を開け覗きこむようにして、子供を抱いている俺を犯人?かのような目で眺めて通り過ぎていく。
 そばで立っているご近所衆の知っている運転手の顔があるのか、どこの児?と聞かれ、○○さんとこの○○ちゃんと答えていた。
 

 その男の児の母親が幼児を抱いて駆けつけてきた。到着するや否や、開口一番"あんた、なんばしよっとね、言うただろが、ここまで自転車で来たらいかんちゃろうが"と。
 これまたやや唖然とする。俺の腕に抱かれた子供の状況をつぶさに観察することなく、先ずはこの叱声。それとも泣き喚いている子供の状況が大したことはないと思い、周りへの衒(てら)いのためにそんな言葉が出たのか・・・
 裾が綻びたジーパンのショートパンツにヘソ出しルックのややケバイスタイルの母親である。子供は母親の顔を見て安心したのか余計、泣きわめく。
 オイオイ、そんなに子供に喚くより、その前になんか言うことがあるだろう?
 先ずは子供のケガを確認し、どんな状況でぶっつかったのかそしてその子を抱いている俺は犯人?でないのでそれなりのあいさつをすべきだろう・・・
 それをやたらとそんなにギャーギャー喚きやがって、あ~ぁ、何でこんな母親ばかりが多いんだろう・・・そんな母親の子供と思えば、今までの感情が微妙に変化、その子供がまだ泣きわめいているのは、どっか痛いのは少しあるだろうが、救急車を呼んだのがわかり、どうやら病院へ行くのを怖がっているからのようだ。病院に行ったら痛い思いをするのじゃないかと・・・
 こらっ!泣かんで、ちったぁー我慢せんか!このガキが!と叱り飛ばしたくもなる。
 

 やっと渋滞の列からミニパトに乗った警察官が到着した。メガネをかけたヤングポリスメンである。
 そして救急車も到着した。すぐに担架が下され、女性救急隊員がやってきた。子供を抱え、担架に乗せ車へ運ぶ。その間、ぶっつかった状況や子供のその時の状況を手際よく聞いてくる。
 まだ若そうな女性なのに大したもんだ。ここにもなでしこが咲いている。そのケバイ母親も幼児を抱いたまま一緒に救急車に乗って行った。その母親、時間の経過とともに、さすがにもうそんなに喚くこともなかったがその間、その軽乗用車の婦人にも、俺にもなんら声掛けもなかった。
 勿論その軽乗用車の婦人、ケバイママに謝っていたがろくに応対も出来てなかった。

 ヤングポリスメンの誘導で俺とその婦人の車は、その事故現場先の民家の庭にはいり、事情聴取が始まった。詳しくは、別に交通事故担当が来るのでその時にということで、俺は連絡先を訊かれただけだった。
 その間、その婦人から何度もお礼の言葉を頂く。本当にありがとうございました。助かりました。お帰りを急いでおられる時にこうして残って頂いてと。
 子供のケガも見た目では大したことがなかったようで少しは落ち着いてきたか。今後のこともあり、自宅の電話番号を裏に記した名刺を渡して一足先に俺は帰った。


 その夜、自宅に電話あり。怪我も擦り傷程度でどこも異常なかったとか、重ねてお礼を述べられる。そして2,3日後、俺が休暇を取っている間に、勤務先に菓子折りを持ってお礼の挨拶に来られた。
 残念ながら会えなかったがお礼のメッセージがはいっていた。
 そこにはお礼の言葉と名前のみで、連絡先は書いてなかった。
 
 その婦人、これからまた被害者(こんな場合も子供が被害者で婦人の方が加害者になるのか・・・)への賠償やこすりきずのできた自分の車の塗装?とあれこれ気を遣わなきゃいかんことが出てくる。

 大変だね。あの時間帯、そしてその道路で運転してたばっかりに、事故に遭遇した。


 九州弁で「運が悪かった」ことを、「ふが悪かった」と云うが、その婦人にとっては、誠に「ふがワリィーかった」。でもそれだけで済んだのも逆に「ふが良かった」かも知れない。ホント、何秒かずれてたら、その男の児、車の下敷きになるとこだった。
 そして、一歩間違えば、俺がその当事者になっていたかも知れない。

 毎日、片道30km、約一時間かけての車での通勤、齢(よわい)70に近づいたこの頃、時折ボケッーと運転している自分にハッと気づくことがある。

 「ふが悪かった」事故を貰わんように、また起こさんように、これからは特に、自重して運転しなきゃいかんなぁ・・・