42期 徒然草 田中 征之
「遙かなる大連そして旅順・203高地へ」その1

 昨年の今頃(6月始め)重光君と2人で中国大連・旅順への旅行に行きました。
 実は前の年にも後輩と同じ旅をしたのですが、最終目的の203高地(爾霊山)にはたどり着けませんでした。それは少しでも安くと、大連駅前の観光業者の呼び込みに乗ったところ、別なツアーの空いている所に押し込まれて、確り数倍の料金を払った上に、車は無情にも203高地の入り口の下を通って、旅順に戻ってしまいました。

 翌年は前の年の轍は踏まないとHISで現地の観光ガイドも予約して行きました。
 現地の観光ガイドはドンさんという大連大学を出た秀才で、何故、共産党のエリートにならなかったのかと聞いたら「共産党は嫌いだから」とあっさり本音を言いました。
 これが北京から離れた自由都市大連の良いところなのでしょう。

 何故、2年続けて大連なのかは、私は5歳まで大連で育つた(生まれは新京)からで育った日本人街は未だありますが、流石に戦後65年も経つと朽ちる家も多く、元の我が家も分かりませんでした。大きいアカシアの木があつて白い花を沢山付けていたのを覚えています。正に「アカシアの大連」(5月26日頃アカシア祭りで真っ盛り)です。

 大連は戦前、日本が満州経営に当たり、最も投資をしてインフラ整備をしたところです。今でも巨大な港湾施設・貨車輸送基地・鉄道・倉庫群はそのまま使われていて日本が如何に力を注いだか現地を見て分かりました。
 また、満鉄の本拠地でもあることから、満鉄本社、大和ホテルなど立派な建物が80年近く経った今も使われていて、往時の栄華が伺われます。
 今の大連は中国でも最大級の貿易港として、極東の物流の中心であるばかりでなく最近は技術研究開発の中心となるべく、技術系大学、研究所がどんどん建設されて中国でも発展の目覚ましい地域となっています。

大連に住む人の気質・人情は、戦前、上海と並ぶ貿易港(外国に開かれた)であったことからかなり自由な雰囲気があり、又、北京から離れている事もあり、思想的な締め付けも無いことから、ゆったりしていて、我々も夜の町に出て、市場やデパート美味しい中華料理を楽しみました。(ビールも料理も横浜中華街の6割位)

 明日はいよいよ念願の旅順・203高地へ、期待を胸に眠りにつきました。