42期 徒然草 谷口 日出男
君はユーか?

  「ダダーン!」 

 射撃係幹部       :  「撃ち方やめ!監的弾痕表示」 
 通信手(WAC候補生): 「あのー、四的は、弾が全然当たってないそうです」 
 射撃係幹部       : 「そういうのは、弾痕不明というのだ」
 通信手(WAC候補生): 小さな声で恥ずかしげに「ダンコン不明」

 区隊長   : 「以上、班攻撃命令終わり、質問!」 
 某候補生 : 「あのー、クウサイセンジョウとか、ソクボウカキなんてどんな字を書くんですか?」
 区隊長   : 「ガクッ・・・」

  「見えなくても撃てる陣地、即ち敵に発見されなくてしかも敵が撃てる陣地、これが防御陣地の真髄だ」 
 某有名国立大学出身候補生曰く、「非?ユークリッド幾何学的には、そんな理論は存在しません。」
 区隊長 : 「ムッ・・・」


 見違えるような成長なり。

 春三月末、冷たい雨の中、長髪に眼鏡、長い脚に猫背、この頃の若者は傘も持たぬのか、濡れそぼって屠所に引かれる羊よろしく不安気な表情で、ここ前川原にたどり着いた一般大学出身の幹部候補生(U課程・WAC課程)も着校して早や四ヶ月が過ぎた。
 長髪(WAC課程はロングヘア)はバッサリ切られ、毎朝六時に起こされ、彼らにとっては全く地獄のような過密スケジュールの生活が始まった。

 そこには、彼らにとっては驚異的と思えるほど、ひとつの号令で一糸乱れぬ行動をとる防大出身のグループ(B課程)がいる。
 しかも同じUのグループといってもそこには、約半数近くのものが何らかの形で自衛隊の部隊経験をしたものがいる。通称、U’(ユーダッシュ)と称する連中で、彼らは部隊勤務の傍ら、夜間や通信制の大学に通って大学卒の資格を取ったり、大卒後陸士で入隊し、その間に幹部候補生の試験を受け、合格した者等である。
 すでにこういった組織での生きる小さな?術を身につけている。
 “なんだ、同じ一般大学卒の幹部候補生と言っても不公平じゃないか・・・”と思うのは当然である。 

 しかし、時間はそんな小さな不満に対しては待ってくれない。
 区隊長の指導のもと、彼ら経験者のやることを見よう見まねしながら毎日の緊張した生活が繰り返されていく。
 初めて手にする小銃、イメージの全然湧かない難解な自衛隊用語、そしてキャンプとは程遠い、初めての野営訓練を経て冒頭のエピソードを織り混ぜながら彼らは逞しくなっていく。 

 そして今は、昼のラッパがなれば自然に胃液を分泌しながら旺盛な食欲を示していく。まだ少しはぎこちなさは残るも、日常の起居動作は、もうBグループと遜色ないし、約半数の部隊経験者と見劣りはしない。
 そんな彼らが一層生き生きとするときがある。教養教育等でグループ討議をし、発表するときの姿勢である。
 まるで今までのうっ憤を晴らすかのように滔々と発表してくれる。特に、大学時代に自分が学んだ専門分野に関することであれば尚更のことである。
 彼らにもまた、語る姿勢があることを改めて感じさせられる。誰もが自分自身の経験で物事を推し測り、考え、行動し、そして成長していくのだとつくづく思う。
 そしてそんな彼らの小さな芽が、部下の前に立ち得ることができる一人前の幹部自衛官を目指して大きく成長していって欲しいと願わずにはおられない。 

 我が家の豚児の大学生活を見れば、とても積み上げるような毎日の生活ではないし、入校してくる候補生の素質もまた似たり寄ったりの感がする。
 しかし、彼らが大学時代に学びそして何かを得た四年間の積み上げもまた大事である。
 そんな彼らが生きるため?とはいえ、Uの約半数の部隊経験者と肩を並べることに精力を使い果たし、そしてBグループの目標の遠さにあきらめを感じる様では、U本来の意味がない。
 純粋培養の集合体には、どこかひずみが生じ、脆弱である。これから多種多様な任務が期待される自衛隊ならばなお一層のこと、おかしいことはおかしいと、難しいことは難しいと正直に感ずる社会常識を備え、そして現代若者に最も近い感覚を持つ彼らUグループの存在が自衛隊にとって極めて大事である。

 校長要望の「課程の特性に応じた教育の実施」は、我々教育する側の全面的な責任でもあるが、逆にまた彼ら候補生にとっての義務でもある。
 今は、部下の前に立ちうる幹部を目指して日々精進している彼らが、やがて将来、それまで育んできた柔軟な思考力と深い洞察力を持って自衛隊組織の健全性にその力を発揮してくれることを願わずにはおられない。

 只今、U出身の幹部は、約十一%である。
 俺の知っている同期のUは、何人いるだろうか?
 地方部隊のドサまわりの自衛官人生では、その付き合いも限られていた。
 今の九州同窓会での知り合い、現役時代での同じ職種、同一駐屯地だった者、そしてなぜかいまだ付き合がまだ残っている幹候校時代でのサッカーの仲間以外は驚くほどいない。
 しめて10名ほどか・・・それが今度の42HPで懐かしい名前を見た。
 彼とは幹候校卒業後、同じ師団に配属された。職種、駐屯地は、違ったがなんかのCT検閲で普・機職種協同で一緒になったことがある。たったそのくらいのUのエリートとの付き合いだったが、あれから40数年経ったいま、HPでゴルフでの活躍や彼が投稿した文で元気でいるのを知った。

 みんなそれぞれ元気でやってんだ。
 いいね。そんな時に、ふと昔、幹候校勤務の時に書いた駄文を想い出した。

 U
の皆様、お元気ですか? ご笑読の程を。