42期 徒然草 | ||||||||
国旗掲揚異聞 | 谷口 日出男 | |||||||
あちこちに、相手の迷惑も省みず?臆面もなく、例の拙文を押し付けました。各諸氏からの返事のメールです。 思うところは共通するものがあるようです。 田中君からのについては、すでにHPに掲載済みです。 ① 国旗・君が代に関する貴君の思い入れ・思い出等を拝読させていただき、小生も同じような感想も持っております。 拙宅も必ず、祝日に国旗を掲げておりますが、昨年でしたか、小生が玄関先でタバコを吸っていましたら、通りがかりの高齢のご婦人が、お宅はよく国旗を揚げておられ、うらやましく思っておりますが、自分の家にも掲げたいのですが、どこで国旗を売っているか教えて下さい。との質問でした。詳しく地図を書いて店を教えてあげました。 その後、国旗を買いましたと報告に来てくれました。 それはそれとして良いのですが、国旗を揚げている家が珍しいというのが現状なのかとも思いました。 それ、祝日に近所を廻ってみますと、国旗を見るのは稀ですね。 残念な事と思います。反面、時折国旗を揚げている家の前を通ると、この住人はまともな人だと感じるのもまた事実です。少しずつでも啓蒙できればと思います。 ② 国旗孝: 興味深く拝読しました。 我が家から国旗が消えて幾年、 考えさせられる事、多し。 ③ 自宅での日の丸の掲揚を常々思っているが、マンション住まいであり、一人目立ってもなあと躊躇している。 ④ 僕も現在の家を建てるとき、玄関に国旗を立てる受け口をつけるように注文をしていたのに、会社にごまかされました。 他にもう一つ2階のベランダの床の1か所に非常用縄梯子を下せるようにという注文も、設計者と大工との連絡をミスしましたとかいい加減なごまかしで実現しませんでした。そんな訳で、僕の国旗掲揚の意気込みは消滅したままです。 ⑤ 国家への感謝は教育、環境が大事。日教組の教育では無理。教育改革が必要。 ⑥ 楽しく読みました。早速君のエッセイを拝読した。 久々に国旗掲揚を思い出し、さわやかな気分になった。職を去って、14年。私は、町内会の役員等で皆さんの前で演説?をする機会がよくあります。あとで感激をしてくれた主婦が、前職は何をやっていたんですか?と、聞かれることがよくある。私は、ニヤリ。自衛官ですと・・・・。 現職の皆さんが頑張ってくれているせいでもあるが糸島の町内で、私のフアンが少なからずおり、誇りに思います。自衛官を全うした自分を。 ⑦ 旗がポールに巻きつかない方法、良く分かりました。 鹿児島県郷友会新聞「郷友通信」で、会員に知らしめたいがよろしいでしょうか。 「国旗の写真をそっくり頂きたい。」と思っています。 ⑧ 国旗掲揚はしてもいいかもしれないなあーと思いました。 国旗、竿が家の中にあるのか分からないけど、隣のアホどもが力で脅しをかけてきている今こそ、掲揚する価値があるかもね。 昨夜の防衛大臣の対応は落ち着いて及第点でしたね。 そういえば、昨夜のNHKのNC9にでていた海自OB(元中国駐在武官)の話も良かったね。多分後輩と思うけど。 ⑨ 実は、我が家も国旗は忘れずに掲げている。 近所(町内会の)に住むゴルフ仲間から○○さんは、「元自衛官だから国旗あげても右翼だとかに見られないからいいね」と言われ羨ましがられた。 やはり旗が絡まりしょぼくれるので色々やってみたがうまくいってない。国旗掲揚塔を作ろうかと迷っていました。 写真見てもよく解らないので、次のゴルフの時によく教えて下さいね。 最後に、岩田司朗君からのエッセイです。 彼は、今は「靖国神社遊就館」に勤務中です。靖国神社参拝の折りは、どうぞ立ち寄ってください。
貴兄のエッセイを読みながら、はるか昔のことを思い出しています。 そのひとつは、防大1年サッカーの春合宿でのことです。海上自衛隊下総基地でした。 夕刻が迫る中、「気付け」のラッパ号音です。グランドで全員が姿勢を正し国旗掲揚塔に正対し、夕日に染まる「日の丸」を注目しました。続いてラッパによる「君が代」が流れてきましたが、その君が代は、なんと帝国陸・海軍当時の君が代でした。 感激しながら、「日の丸」が降納されるのを注目していました。 あの時の「日の丸」「君が代」そして夕日は、今でも鮮明に脳裏に焼きついています。 時代が進んで、帯広で大隊長をやっていた時です。 矢臼別演習場で、日米共同実動演習が行われ、その開会式でのことです。 開会にあたり、まず両国国旗への捧げ銃です。当初、星条旗が壇上に上がり、アメリカ国歌が第5師団音楽隊によって演奏される中、日米将兵約1,000名が「捧げ銃」、次いで、「日の丸」が壇上に上がり、「君が代」とともに同じく日米将兵が「捧げ銃」。 軍人は、国境を越え、国旗、国歌に対し、最高の忠誠を示すものですが、日米両国軍人が、いっせいに捧げ銃をしている姿は、感激でした。 貴兄のように、思い出が尽きなく、記録できることに驚嘆しています。 小生のように、多くの思い出が忘却の彼方へ流れ去っているのとは月とスッポンのように思われますが、日の丸にまつわる思い出で忘れることができないひとつがあります。 防大1年か、2年の時の出来事です。 毎朝のように、学生隊舎前の道路上に課業整列、週番学生からの指示伝達も終了し、「回れ右」「半ば右向け右」の号令で、全学生が本館屋上の国旗掲揚塔に正対しました。 08:15が近くなり、そろそろ「気付け」のラッパ号音が流れるだろうと思いながら、なんとなく国旗掲揚塔付近に視線を送りました。そこでびっくりするような光景が目に飛び込んできました。 そこには、何時も国旗当番の3名が掲揚準備を終え、スタンバイしているはずの学生の姿が見えません。 最初は、ごく一部の学生がそれに気がつき、次第に全ての学生が起きている現実に気がつき、ザワツキ出しました。 やがて、「気付け」の号音がながれ、「君が代」が聞こえてきましたが、当然に国旗はされません。 何時もは、大隊週番学生の「気付け」、「敬礼」の号令がかかるのですが、当日は、「気付け」のみの号令で、「敬礼」の号令はかかりませんでした。「どうしたんだろう。担当者は、大変な思いをしているだろうな」と半ば同情しながら、課業行進に出発したことを、今も鮮明に覚えています。 貴兄に刺激されて、駄文をしたためました。斜め読みをされて、破棄して下さい。
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