42期 徒然草
年賀状添え書き 谷口 日出男

 もう、暮れの28日と云うのにまだ年賀状を書いていない。
 印刷の方は、いとも簡単にパソコンでネットで拾った画像を組み合わせてプリントし終わった。ただその余白にいつもなんか書くんだけど、年々それも書くことがなくなり、果ては年賀状を出すのも面倒くさくなってきた。
 「お元気ですか」の後が続かないのである。みんななんて書いてあるのかなと送られてくる賀状に添えられたひとことを思い出してみる。そこに送られてきた賀状の添え書き、たったひとことだけど色んな思いがこもっていた。年を取るに連れ、人生の哀感の漂う文面が多くなってきた。
 
 「主人は、一昨年の一月一日に亡くなりました。おせ(・・)話になりました」
 松の内が過ぎて届いた年賀状には、か細い字でこんな一言が添えられていた。びっくりした。ここ数年は、こちらからの一方的な年賀状になっていたけど、まさか二年前に亡くなっておられたとは・・・
 北海道、上富良野時代での雀友である。彼は、旭川の衛生科部隊から派遣された衛生小隊長だった。夕方、事務室の窓ガラス越しに帰宅する彼と目が合う。大きな彼の眼に笑みが漂う。バタバタと仕事をやっつけて彼のチョンガー官舎に向かう。きれいに整頓された彼の部屋で我が家から持ち込んだ握り飯をみんなでほおばりながら、ジャラジャラの夜が何度か繰り返された。一年半ぐらいの短い付き合いだったけど仕事に遊びに中味の濃い?付き合いだった。
 その彼が一昨年亡くなっていたとは、昨年、今年と年賀状差し上げ、その無神経さに堪りかねて奥様が返事の賀状を出してくれたんだろう。何でまた正月に亡くなったんだろう。それこそ六尺二十貫余を優に超す偉丈夫の温厚誠実な人だった。
 早速、いくばくかの香典を添えてお悔やみの手紙を差しあげた。返事は、なかった。その後、奥様宛にも賀状は出していない。

 「初めて爺婆とよばれるのが延びました。」
 いつも欠かさず賀状をくれる彼から正月には、賀状は届かなかった。そして、月の半ばに届いた寒中見舞い状には、娘さんの初産が死産だったことが印刷されていた。余白には、彼特有の字で、こんなひとことがたったそれだけ添えられていた。その他は別に何も書いていない。書いてなければないほど、彼の哀しみが伝わってくる。
 彼に何人の子供さんがいたか知らないけどハガキの文面から察するに初めての孫出産だったんだろう。与える相手のいないオッパイを絞っているかもしれない娘さんの心情、それを見守る両親の胸中を思うと慰みの言葉も出ない。彼としては、自分が身代わりになっても娘さんに掛かるすべての不幸を背負い、ただ娘さんだけは幸せになって欲しいとどんなにか望んでいるだろう。
 孫と一緒に撮ったほかの罪づくりな賀状を不図思う。年賀状は、また昨年一年間の身上報告でもある。家族が増えた喜びの若い夫婦や爺婆となったやや自慢気な?賀状とともに成人された子供さんを亡くした哀しい報せが年末年始のこの時期に運ばれてくる。
 幸せと哀しみもまた、天の采配なのか・・・

 「家族が増えました。賑やかにやっています。」
 夫婦の名前の次に、新太郎と書いてある。
 おっ!あいつらにもやっと子供できたようだ、良かったねと妻と喜ぶ。翌年のこちらからの年賀状、もう歩けるようになり、お守りも大変でしょうとひとこと添えた。正月、今年も律義に彼から届いた。新太郎君の写真入りである。なんと、そこには目ん玉の大きな犬が映っており、新太郎も三才になりましたとの添え書きがしてあった。
 うーん! 犬なら犬と書けよとは、言う気になれない。我が家にもまた子供がいまだ授からない娘夫婦がいる。お詫びの手紙を差し上げるのもなんなので翌年の年賀状にさりげなくひとこと添えた。可愛いですねと。三度目の正月を迎えて、胸のつかえが取れたか・・・

 「連隊長兼駐屯地司令として頑張っています」
 教え子からの賀状である。教え子には、賀状が届いてから返事を書くようにしている。それが教えた者の特権?である。そのうち、賀状を寄越してくれる教え子も限定されてきた。
 大したもんだ。あの幹候校時代、候補生として修学していたころから、ひときわ目立った逞しさと統率力を兼ね備えた彼の成長していく姿である。成長していくにつれ彼の行く先々から賀状をいただいた。連隊長の役職も然ることながら駐屯地司令として県のお役職のお歴々に名を連ねているんだ。大したもんである。こちとらは、司令と名のつく職務は、若い頃の警衛司令しかないなぁ...活躍する彼の姿を思うとまばゆさを感じる。
 おめでとう、活躍を祈ると書き、ひとこと自重自戒の訓を垂れる。(いやだねぇ、いつまでたってもこの心境でいるが・・・
(相手は、駐屯地司令だよ)


 「             」
 なんにも書いてない印刷物だけのが来る。新任幹部で最初に赴任した部隊の古参陸曹の人だったり、現役の頃の学校での教え子だったりする。恐ろしく何も書いていない印刷物だけの賀状がそれこそ三十数年続いている。賀状のやり取りを止めようか思うも相手からこっちの誠実度を量られているようでズルズル続いている。教え子からのには、このバカタレが、なんかひとことぐらい書けよと言いたくもなる。そんな相手に、返事の賀状を出す。「こちらは変わり映えのしないひとことを添えて、元気にやっている様子なによりです」と。
 
 そして文句なしに感心するのは、表も裏もすべて手書きの年賀状、こちらは、一言の添え書きなくても相手の気持ちが十分伝わってくる。凄いな、いまどき、こうして手書きで年賀状を書いてくれるとは・・・ただただ感心し、気持ちが満たされる。
 そうだよな、昔は、上司や先輩や目上の人たちに対しては、こうして下手でも?一生懸命心を込めて宛名と賀正の文句を書いたもんだ。それも慣れぬ筆など使ったことも一度くらいあったっけ、もう、ミミズのほったくったような字になり即座に止めた記憶がある。それがいつの間にかどっかの店で買ってきた安い型番をスタンプ台につけて押したものになり、今ではもうまったくのパソコン作業でいとも簡単に一晩でプリントできてしまう。従って、相手の住所も手書きをしないもんだから上富良野町が空知郡にあったなんてもう忘れてしまいそうだ。そんな手抜きの年賀状に比べれば文句なしにこの手書きの年賀状には、頭が下がる。こちらは添え書きがなくても、もう十分な年賀状である。
 
 
 年内に貰う喪中の挨拶状、これもただ喪中につき書いてあるだけで誰が亡くなったかなんにも書いていないのもある。なんか書いとけよと思うが、別に相手に知らせるほどでもない身内のことであれば、それはそれでいいんだろう。
 祖岳父99才で逝去につき、なんてのものをもらったことがある。そりゃー、人間、99にもなればくたばるころだ。それにしてもどのお年寄りも長生きだ。亡くなった方のお歳、多くは九〇の半ば過ぎている。長寿国ニッポンである。
 祖岳父、漢字の妙を知った。岳祖父とも言うとか、どんなおじいさんだったんだろう? 妻の祖父と書くより、こっちの方がおじいさんの重みがあるような感じがした。
 

 それにしても書くことないなぁ・・・ 
  "生きてるかい?""元気にやってますか?"だけじゃなぁ・・・
 でも、正直、別に他に書くこともないんだよなぁ・・・
  
  それともこの人には、もう、今年は出すまいか・・・

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