42期 徒然草 音楽の翁
「私と音楽の付き合い(その1)」
  
 私と音楽の付き合いの音楽はかれこれ40数年に成ります。
 今はクラッシック音楽がメインですがジャズを聴いていた時代を含めれば実に50年以上。

 それなのに才能の無さはどうすることも出来ず楽器の演奏もトランペットから始まって、フルート、バイオリン、ピアノ、クラリネットと楽器を買い、それなりに練習しましたが、何と一つとして人に聞かせる技量には到達しませんでした。

 只、長年付き合っていて唯一得たことは「聞いて分かる」と言うことです。

 以前に「アマデウス」と言う映画があって「モーツアルトを殺した男」というセンセーショナルな宣伝で評判になった映画で、ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト即ちモーツアルトの一生を描いた映画ですが、映画としても素晴らしい出来で、確かアカデミー賞も受賞したのではなかったかと思います。

 この映画はもう一人の主人公がいて「サリエリ」という当時は高名な音楽家(作曲家)でしたが、現在は殆ど演奏されることもなく忘れ去られた存在です。
 彼は宮廷出で幼少のモーツアルトの即興演奏を聴いて「この子はただ者ではない、将来自分の音楽家としての地位を脅かす」と思ったか、どうか分かりませんが、モーツアルトの才能に惚れ込んだようで、それ以来、演奏会には必ず陰のように現れ、時にはそっと財政的支援もしたようです。

 このサリエリさんが老いて養老院のようなところで最後を迎える時に、彼が「神は残酷だ、モーツアルトのように下品な男に溢れる才能を与え、自分にはその才能がわかる能力しか与えてくれなかった」と嘆く場面がありました。
 この場面には思わず「にやり」としましたが、自分を始め、多くの人が共感を持ったのではないでしょうか。


 「才能がわかる」「聞いて分かる」と言うことも、立派な才能だ、そう言う感性を持っていることは素晴らしい事だと自らを慰めていますが、これは音楽を人生の友として楽しむ為の大きな要素と思います。

 この「聞いて分かる」と言うことは「寛容さ」にも繋がるようで、「音楽教室」に通っていた関係で「発表会」が毎年あり、子供さんと一緒にで出ることは恥ずかしくもありまた、、上がってしまって練習のように行かず苦痛でしたが自分の出番の前後の子供さんのたどたどしい演奏や学生の上手とは言えない演奏もほほえましく聴いていました。
 終わった後にはその一生懸命な姿に他の聴衆よりも多くの拍手を送りましたが「音楽を通じての寛容性」は人付き合いが円滑に出来るようになった等、その後の人生に大きな影響を与えてくれました。

 次回は話があちこち飛びますが、本題に入りたいと思います。