42期 徒然草 谷口 日出男
病は気から...って、やっぱりそうかな?
 
 受付を済ませ、待合室のベンチに座る。建物は古く、待合室も何となく薄暗いが周りは相変わらずの人でいっぱいである。
 それに比べれば今朝のうちの待合室の閑散とした光景が思い出され、このうちの何人かはうちの病院に来てくれないかなぁとふと思う。
 こんな調子じゃまた長く待たせられ、診察が終わるのは結局は、昼頃になるんだろう。長いね。

 こんな時って、なにもすることなく手持ち無沙汰である。傍らの新聞を取り、拡げて眺める。一昨日の日付の古新聞紙である。見出しくらいは読めるが中の記事は、全然読めない。
 ポケットからメガネを取りだし、それを掛ける。待合室が暗いせいかメガネを掛けてもなんかボンヤリしている。そのうち、その暗さにも慣れてきたのか新聞の活字が少しは識別できるようになった。

 ただ、異変が起こっていた。なんとなく新聞の活字がボンヤリしたままである。そのまま新聞を見ているも何かがおかしい。丁度なにか強い薬をのまされた所謂ラリッてる感じのする焦点の定まらぬ違和感である。

 "あれっ!どうしたのかな?"と自分に落ち着くように言い聞かせ、また新聞を見る。
 同じである。焦点が定まらずそれ以上見ているとなんか気分が悪くなりそうな嫌な予感がする。やっぱりどうかしているのかな? ものを見るのさえ障害が出てきたのか・・・

 新聞を見るのを止める。メガネを外し、またポケットに入れる。ベンチの周りには、概ねお年寄りが多い。それぞれ病を抱え今日もその治療にきた人や、また身体の不調を感じ、なにか不安感を抱いて、俺みたいにこうして診察に来ている人達である。 

 それにしてもどうしたのかな?とまた思う。昨夜、この症状が出てきてから気にするほどのこともないと自分に言い聞かせるも寝ているとき何か喉に違和感を覚え、また空咳もなかなか止まらない。それに今度は、今までと違って何か胸に圧迫感みたいな感じまで受ける様な気もしてきた。日中、動いている時は全然気にもならないんだが・・・

 土・日曜と宮崎で、シニアと呼ばれるお年寄りのサッカー大会、そしてその日の夕方、高速を運転し久留米まで帰り、次の日の月曜日、こっちは前から予約済みだった仲間内とのゴルフ、3日間、連ちゃんの激動?の遊びが終わって仕事につくもなんか身体の調子がいまひとつすっきりしない。
 サッカーの試合では負けるし、ゴルフのスコアもままならずでは余計疲れが倍増したか・・・そりゃーそうだろう、そんだけホッツキ遊びまわれば身体の方もガタがくるのは当然だ。しかし、今回は、今まで感じた疲れと違う胸の圧迫感なり。
 やっぱり病院で診てもらうしかないか。だけど自分が勤める病院で診て貰うのは何となく気が引ける。そこまで院長にキンタマ(・・・・)を握られたくないし、院長との雇用関係も程々の距離を保つことが肝要だ。

 それでこうして近くの総合病院に来ている。ここは、相変わらずの外来患者の多さである。しかし、ここでもどうせあれこれ検査され、どこも異常ありませんなぁ・・・と言われるのがオチのようだが診て貰えばそれはそれでまた気でも落ち着くか。
 それにしてもさっきの新聞を見たときの違和感はなんなんだろう。なんか自分が自覚しないまま症状が進んでいるのか・・・今まで体感したことない様なネガテイブな感覚である。
 そういえば喉もそうだが鳩尾よりちょっと上あたりにも圧迫感みたいなもんは、なんなんだろう?
 気にしだしたらあれこれと心配事が出てくる。 こりゃ、やっぱり只事じゃないなぁ...
 
 問診票を書き、血圧・体温測定から始まり、血を採られCT撮影、心電図と印で押したような検査がいつものように続く。
 昼近くになってようやく名前を呼ばれ診察室へ。若い医者が目の前にいる。お願いしますと言ってもそれに答えることなく、こっちの顔を見ずになんか前の患者のカルテを一生懸命に書いていている。
 もう、何度か繰り返される期待が持てない光景である。そしてそれを書き終えた医者は、また画面を見ながら、俺に対していつものような質問をし、俺もいつもの通りの答えをする。
 その間、その若い医者は、俺と目を合わすことなく、あれこれデータ用紙とかモニターを見ながらの問診である。

 "検査の結果は、どこといって異常は認められませんなぁ・・・、ただ、何か力仕事をされたんですか? ○○の値が異常に高いですが・・・"と訊かれる。いままでの診断結果ではない○○値の問いが投げかけられる。
 ホー、○○の値とはと思いつつ、どんなにして答えたもんかと迷うも口を開く。

 "実は・・・"と遊び過ぎた3日間の出来事と症状を正直にボソボソと白状する。(これは言いたくなかったけど...、)言えば"そりゃ―、その年で、そんなに無理をしちゃ当然、ガタがキマスネン、サッカーなんかは、もうヤメナハレ"と医者から言われるのが目に見えているから。 ただそんな身体の酷使がそういった○○値に出てきており、それを見抜いた医者は大したもんである?

 案の定、その若いドクターは、俺が思ってたようなことを一字一句も違わないで、標準語で言った。そしてカルテにSoccer・Golfと書き込んでいるが見えた。薬も別に処方されなかった。
 病気を診るのが医者ならそれを治すのは薬の力しかないと思うが・・・しかし、医者がいいと言うんだから敢えて何でもいいですから気休めに、薬を下さいなんても言えないので、ボソッ―と一言お礼を言って診察室を出る。

 予想したような診察結果である。何事もないというのがこれまたひとつの診断で有り難く受け取るべきか...薬もないのに六千三百円と、高いのか安いのかわからん診察料を払う。あんだけ検査をしてもらったのでしようがないか・・・これも安心料と思えばいいのか。
 あっ!そうだ、さっき新聞を見たときにボンヤリして焦点が定まらず違和感を感じたことを医者に言わなかったなと気がつく。言えば、また目の方の診断でもしてくれたか、それともフーン、そうですな、それも疲労からきたものかもしれませんなぁと言ったかも・・・多分、後者だろう。

 いつも感じる病院での診察後の虚しさと医者への不信感がまた持ち上がってきた。そりゃー、年甲斐もない激動の為せる業というのは、言われなくてもわかるが、お前さん、医者だろう?もっとほかにいう術は、ないのかと。
 高いカネを払って、頂く診断結果は、予想した通り、だから、医者に診てもらいたくないんだ。
(病院に勤務している身なのに、なんということを・・・じゃぁ、どう言って貰えれば満足するの? 年甲斐もなく頑張っている自分を褒めて貰いたいの? いつものジレンマである。妻が云うように素直でないこのヒネた俺の性格そのものが病の因か・・・)

 車に乗るため、ポケットに手を入れ、鍵を探す。さっきのメガネに手が触れた。その時、なんと指がメガネをスルリと通り抜けた。
 ポケットから出したメガネは右のレンズがない。あれっ!どうしたのかと思って手をポケットに再び入れると外れたレンズに触れた。あぁ、レンズが取れていたのか。レンズを元通りに嵌める。車を出そうとした時にふと考えがよぎる。もしかして?と、エンジンを切り、メガネをかけ手元の本の文字を見る。いつものようにきれいに活字が見える。なぁーんだ!さっきは、レンズの片一方が外れていたから、焦点が定まらず、船酔い現象みたいな症状を起こしたのか、とんだお笑い草である。

 診断を受ける前に、そんな事象が起こり、悪い方、悪い方にと考えていたが、予想してたように、医者の方からそりゃ、疲れかも知れませんなぁと診断を受け、こうして先程の新聞を読んだ時の眩暈(?)の原因もわかれば急に身体の調子が良くなったような気がしてきた。

 昼までかかった診察も無駄じゃなかったかとハンドル握りながら思い、自分の勤め先の病院へ帰る。
 しかし、考えてみたら本日の診療費、個人負担3割負担だから残り14,700円が国庫で支払われた。こんな患者ばかりじゃ国の医療費がかさむのは当然なことだ。
 
 それから数日経過、症状は相変わらず続く。
 胸の圧迫感は、いつのまにかなくなるも、相変わらず喉の奥にあのヌルッとしたぬめりつくような粘着感と空咳が続く。週末には、また次の試合が控えているのに、まだどっか悪いんかなぁ・・・しかし、メガネのことを思えば・・・
 やっぱり、病は気からなのかなぁ...  

 年相応に応じて体内と頭の中にに不発弾を抱えてきたいま、あれこれ思う老境への入り口である