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せめて氷川丸まで行って帰ろうと思い足を引きずつて傍まで行き、外側から船を眺めた。
確か船内にも何度か入って夏にはビアガーデンでビールを飲んだような記憶があるが定かではない。
この船は何度かリニューアルしたようで、太平洋航路の花形客船だった優美な姿を今も保っている。
この場所からみなとみらい方向を眺めるとあの三角帆のホテルがどんよりした今にも降りそうな中でもはっきり見えた。
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手前の大桟橋には豪華客船が1隻停泊しているのが見え、花形客船だった氷川丸との今昔が感じられた。
山下公園はバラの公園としても見るべきものがあり、5月ごろの満開の時期は本当に見事だ。
しかし今は枝も切られ春を待つ段階で見る人も殆どいない。
公園のベンチで一休みすると足のしびれも薄れてきたので、予定を変更して港の見える丘公園に行くことにした。
途中のマリンタワーも思い出はあるが、寄らずに見上げるだけにした。
ここも横浜勤務最後の年はリニューアルのため閉鎖されていたので、その後どう変わったのかわからない。
横浜のシンボルタワーとして生き延びているのだろう。
丁度、タワーの後方から雲でぼんやりとした太陽が出ていた。
珍しい構図だったので記念に写真を撮って、港の見える丘公園に繋がる石段に向かった。
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この石段は正面が小さい噴水になっていて両側から登り、噴水の上で一緒になる特徴ある階段だ。
これをバックに写真を撮る人もいるが、今日は階段を上る人も全くいなかった。
階段を登りきるとそこは小さな公園になっていて垣薔薇のアーチを抜けると港の見える丘公園に通じる遊歩道になる。
途中、すぐ左に人形の館がある。せっかくいろいろな人形の展示があるのに場所が場所なので、当時からあまり入館者は少ないように思えた。
その建物の反対側に「赤い靴を履いた少女の像がある。
「赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった」の歌詞で有名な少女を模して建てたと思われるが、この話が実際にあったかどうかわからない。
童謡には意外と悲しい事実が込められていることが多い。
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先日もチコちゃんの番組か何かで、ひな祭りの歌の「お嫁にいらした姉さまによく似た官女の白い顔」という一節で実際は佐藤八郎氏のお姉さんが、お嫁に行く前の若い身空で病死した悲しさが込められているそうだ。
その他我々が小学校で習った唱歌にも本当は悲しい歌なのだという例があるそうだ。
そこで「赤い靴の歌」の由来を調べてみるとモデルとなった女の子は実在し、貧しい農家に生まれ、子供は開拓の厳しい生活には耐えられないという事で外国の宣教師に預けられたが、この宣教師が帰国することになり、母親は当然、宣教師が連れて外国に行ったと思って、野口雨情氏にこの話をしたそうだ。
野口雨情氏はこの話に心を動かされ、この曲を作ったそうだ。
赤い靴を履いてたというのは氏の創作でこれによって、多くの人に感動を与える名曲になったことは言うまでもない。
実際はこの少女は結核に罹っていて宣教師は連れて行けずに、孤児院に預けて帰国したそうだ。
少女はその後わずか9歳で病死したというのが事実だそうだ。
このようなことを知っていれば、赤い靴の少女像を見た時に違った感慨を持っただろうと思う。
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人形館を過ぎて左に行くと、右手にある建物が横浜地方合同庁舎だ。
位置関係はマリンタワーのすぐ斜め後ろ、従って山下公園はすぐ前、横の山の上が港の見える丘公園、大通りを挟んで反対側が中華街という、これ以上望みえない絶好の位置にある。
ここの6階の全フロアが調本横浜支部で3年半、検査官として勤務した。
検査官は工場に常駐する組といくつかの会社を担当する巡回組に分かれ、私は巡回組だったので、支部を根城にして午前は検査調書の作成、品管関係の計画、品管監督のデータ整理、午後から担当する会社の製品検査、工程の監督、品管の管理状況の監督に出ることが多く、この地の利を享受できた。
検査官業務は権限も大きい代わりに責任も重い(検査官は調本長の代理)。スタートは横浜支部に来る2年半前の府中管理事務所で某通信メーカーの常駐検査官で、初めて検査した機器(3億の契約)の検査調書に自分の検査印を押すときに手が震えたことを覚えている。
我々の世界で言う3点セット(検査官の完成検査調書、納入部隊からの受領書、メーカーの請求書)が揃わないと国(本部会計課)は契約金を支払わないので、検査調書が重要な意味を持つ。
その常駐の時の先任検査官は航空の三佐の方だったが、大変立派な方で検査は適格、会社側の信望も厚い方だった。
この方から随分いろいろと教わった。
その時教えてくれた心構えは6年にわたる検査業務で大いに役立った。
話は飛んでしまったが、懐かしの合同庁舎を見て、元の職場に行って見ようかと思ったが、20年も経って知る人も一人もいないし、浦島太郎が玉手箱開けたようなものなので、やめて、しばし足を止めて玄関を眺めた。
支部を去る時、私物を運ぶため車で行ったが、大した荷物ではないのに、後輩が6階から荷物を運んでくれ、同僚の検査官が玄関まで見送りに出てきてくれた。
そんな光景が昨日のように思い出された。
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遊歩道は港の見える丘の下まで繋がっていて、そこからは山道の階段をえっちらおっちらと登って行く。
道路の坂を上っても良いが、階段の方が近道だ。
手すり付きの木道も整備中で完成寸前、これが出来れば年寄りにはずいぶん楽だ。
階段を登りきるとそこはもう港の見える丘公園、早速展望できる場所から眼下の港を見る。
と言ってもコンテナの積み下ろし基地などの広大な港湾施設ばかりで、特に良い景色というわけではない。
多分夕方から夜がロマンチックなのだろう。 |
ここの魅力は何と言っても薔薇園だ。
5、6月になると入り口に見事なバラのアーチが出来、中のバラも選りすぐった、よく手入れされた各種のバラが咲く。ゆっくり一時間見ても飽きないくらいだ。
当時、イギリス館の横の垣根に「イングリットバー
イングリットバーグマンといえば我々の世代までは知っている「誰がために鐘はなる」などに主演したスエーデン出身の気品ある美しさの大女優だが、まさに彼女の名を冠するにふさわしい見事なバラだった。
まだあるかと思って見に行ったが20年前の事だから、枯れてしまったか工事で撤去されたかで、無くなっていた。 |
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公園を横切ってイギリス館の一段下がったところにある大佛次郎記念館へ。
この人は猫好きな有名な作家で、入り口の壁にも猫の像があり記念館の中にも猫好きを思わせるものがあったと思う。
何故か作家には猫好きが多い。
それは作家は一日中机に向かっているので、邪魔にならない猫が良いのだろう。
時間がなかったので記念館には入らず玄関に猫の像がある喫茶店「霧笛」に入る。
店内にはお客はだれもいず、女店主とその娘らしい人が暇そうにしていた。
女店主が注文を取りに来たので、「私も20年前にここの下に居たんです。公園にもよく来て、[霧笛]にもコーヒーを飲みに来たことがあります」と言ったら、そうなんですかと笑顔を返してくれた。
聞けば40年前から店をやっているという。相当な老舗だ。
コーヒーを飲み足のしびれが取れた所で勘定をと思っていたら、3組くらい次々と店に来て急に賑やかになった。
店に入った時から気になっていたのは、出窓の所に小さな猫の置物が沢山置かれ、入り口の土産も猫のイラストの入ったハンカチや小物入れなど猫ずくしだった事だ。
私も猫が好きなので、「猫がお好きなのですか」と聞くと、「ええ、この店も大佛次郎記念館の付属のようなこのですから」との返答が返ってきた。 そういえばさっき入ってきたお客も記念館と直通のドアから入ってきた。
ついでに「記念にお土産を買いたい」と言ったら、お土産に置いてあるグッズを全部持ってきて、見せてくれた。
女店主の話では全て自分で作った手作りだそうだ。
はじめはハンカチ1枚だけ買うつもりが、小物入れを含めて4点も買ってしまい、コーヒー代を含めて、4千円近く、高いコーヒー代となった。
霧笛を出て名残は惜しいが、帰途についた。
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港の見える丘の坂を下って元町商店街へ、この通りも通勤の経路で随分通った。
神戸の元町と雰囲気が似ていて高級感があり、洒落た店が多いので、女性には大人気の通りだ。
その中に「キタムラ」というバッグの専門店があり、音楽の先生に「お礼に」とハンドバッグを買ったことがあった。
安くてセンスの良いものをと、何度も下見に寄って求めた。
先生にあけて見せたら「キタムラのバックですね。有難うございます」と感謝してもらったが、一目見て分かったそうだ。
女性のこの手の知識は凄い。
そんな元町も当時年2回バーゲンセールをやっていた。
この時は石川町の駅から元町商店街まで多くの女性で繋がっている感じがした。
駅に戻ってくる女性は殆どが大きな紙包みを抱えて満足感にあふれた顔をしていた。
女性はバーゲンが大好きな様だ。
インドネシアに行ったときも、デパートの入り口付近で行っているバーゲンセールに多くの女性が群がっていた。
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ある朝、通勤で商店街を通るとその日はバーゲンの日で、通りには数台のトラックが止まっていて、大きな段ボール箱をせっせと運び入れている。それを見てバーゲンセールの仕組みがおぼろげながらにも理解できた。
在庫一掃とは良く言ったものだ。
前に衣料品関係に勤めていた友人がいて、衣料品は半分近くが売れ残る事を見越して値段をつけているそうだ。
これが在庫品になって倉庫に保管されるが、1年経てば流行遅れになって殆ど売れない。
これをバーゲンセールとして売りだせば、半値で売っても売れた分はそっくり丸儲けになるという事だ。
おまけに倉庫の保管量も助かるし、店にお客が集まるので、店内で定価で売っている商品も売れ、まさにバーゲン様様と言う事になる。
買う方も元町のブランド品が安く買えるので、多少流行遅れでも気にしない、元町で買ったというブランド力がものを言うのだろう。
それにしても毎日通っている私も、いつバーゲンの日なのか知らないし、特に宣伝をしているわけでもないのに、あれだけ多くの女性が集まるとは!
彼女たちの情報収集能力は大したものだと感心した。
そんな事を思い出しながら、JR石川町駅から横浜駅へ。
その頃には足は痺れ、何とか東急が座れたので、助かった。
渋谷で降りて井の頭線までの道では途中で3回も立ち止まって足の痺れを紛らした。
家にたどり着いた時には夕食を買いに行く事も出来ないほどだったが、歩数計を見ると1万6千歩以上だった。
1週間分を半日で歩き、思い出の地を殆ど見てこれた事に満足感は残った。
横浜のこの地は本当に素敵な所だ。 また来年も行きたいと思うが、それもかなわぬ夢となるやも知れない。
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