42期 徒然草
小さなガーデン 田中 征之

 何時の頃から草木や花に興味が出たのか分からないが、母がお茶の先生をしていたので庭にはお茶花に使う椿やしゃが等色々な草花が植えてあった。
 その頃は全く興味が無かったものの、どこかに記憶が残っていたのかも知れない。

 長年住んだ団地の庭のあるテラスハウスも建て替えで無くなり、20年程前から高層の建物に移ることになった。必然的に庭の草木は全部抜き、毎年沢山の実を付けた柿の木びわの木も切られて更地になってしまった。

 もう植物をそだてることはないと思っていたがたまたま、いつも行っている床屋のマスターが大きくなって置くところがないからとくれたのが月下美人だった。

 このマスターはちょびひげを生やした演歌歌手にそっくりで、酒が好きで散髪の合間にあちこちの飲み屋に出没した話をしてくれた。  何と夫婦とも北海道の羽幌出身で、私の母方の一番近い親戚が羽幌で、ニシンが大量に取れた頃には干し数の子や身欠きニシンの加工工場を手広くやっていたので、戦後の苦しい時期から毎年欠かさず大きな鮭や数の子、昆布などをリンゴ箱一杯年末に送ってくれた。
 お陰で今年も正月が送れると母がいつも感謝していた。北海道と言えば羽幌を思い出す。

 そのマスターが店に出なくなってかわりに息子がはさみを握るようになった。
 「どうしたのですか」と奥さんに聞くと「癌で入院している」とのこと、数ヶ月後帰らぬ人となってしまった。
 お世話になったのに何も出来なかったことが心に残り、ベトナム旅行をしたときに小さな仏像を求め、仏壇において下さいと差し上げた。

 マスターから貰った月下美人が唯一の形見となってしまったが、狭いテラスで毎年美しい花を咲かせてくれた。
 ところが、不注意で寒い冬に屋外に放置していたため葉がしもやけになり、ついに枯れてしまった。


 せっかくマスターがくれたのに枯らしてしまって申し訳ないと散髪の時に奥さんに言ったら、花も咲かないし、葉も育たないのがあるから良かったら貰って下さいとくれたのが今の月下美人。
 よほど環境が合っていたのかマスターの魂が乗り移ったのか、みるみる新しい茎と葉を付けて、1年で大きな株となった。

 寒さに当てないように、今年の冬は狭い室内に同居させて、春になり気温が上がってから屋外に出して水と肥料を与えたところ、恩義に感じたのか、5月半ば頃粟粒のような花芽を5つ付け、一ヶ月ほどであの巨大な蕾になった。


 普通、一つを残して後は無くなるのに、5つとも花を咲かせる迄に成長し、ついに2日続けて美しい純白の花を咲かせてくれた。
 月下美人はメキシコの熱帯雨林が原産のサボテン科クジャクサボテン属だそうで、その割にはある程度寒さにも耐え、葉を切って土に差して置くだけで数ヶ月後にはもう根は張っているので、育てるのも増やすのも楽で、私の様な素人でももう4鉢も分身を作って友人にあげている。

 花は直径5センチほどの純白の見事な大輪で、通常夜半に開き始めて数時間でしぼんでしまうので、なかなか咲き始めを見ることが出来ない。
 今年は今夜は咲きそうだと寝ずに見ていようと思ったが、意外にも六時頃から咲き始め朝方まで咲いているといういつもにないパターンだった。


 「誰がためにいのちを燃やす月下美人」
 そのはかなさゆえに多くのファンを持っている花だそうだ。
 皆さんも一鉢育ててみるとあの純白のはかない命の花が見れるかもしれない。