42期 徒然草
「消防研究所」の見学 田中 征之


 私の住んでいる三鷹市新川から歩いて10分のところに消防庁管轄の消防研究所(略称 消研)と言う施設がある。

 新川に当時最新の公団が出来て、抽選に当たり移り住んだのが昭和34年、水洗トイレ、風呂テーブル・椅子で食事が出来る、これが文化的生活と言うものかと嬉しさを覚えて、高校入学の祝いに買ってもらった自転車で付近を走り回った。
 当時、公団の周りは野原と畑で、数キロ離れた深大寺が目視できたほど何も無い所だった。そこにぽつんと独立した建物があり、それが消研だった。


 その前を当時は自転車で、今は車で何十回と通っているが、いまだ中に入ったことは無かった。
 勿論中で何をしているのかも知らず、名前が研究所だから消防の研究をしているのだろうという程度だった。


 それがつい最近、吉田満君から4月17日に研究施設の一般公開があるから見に行こうと言う誘いがあり、畔柳君と3人で消防研究所を見に行くことになった。

 実はこの3人、5年ほど前に畔柳君の発案で「東方企画防災(株)」という会社を作り、当初は消火器の点検・住宅用火災警報器の設置を生業とし現在は蛍光灯をLED照明に変える工事をしているので、まんざら消防と縁が無いわけではない。



 吉田君は在職中、1年間この「消防研究所」に研修に来ているので、30年ぶりに懐かしの場所の訪問と言うことだった。彼はまじめに研修し、自衛隊の勤務に役立てた(化学防護隊:サリン事件)。

 最近までその知識を請われて原発関係の現場教育に携わり、数年前の原発火災事故では現場を見て原因を解明し、それ以来、原発の火災事故はピタリと収まったので貢献度は大きい。

 彼の案内で施設内に入ったが、予想以上に中が広かった。 昭和23年設立と言うから当時は何もなかったので敷地も広くできたのだろう。




 研究所内には消防大学校、研究センター、日本消防検定協会まであり、この検定協会は吉田君の話では検定合格のシールを張るだけで検定料が入るので、資金は潤沢と言うことでそういう実入りの良い組織を持たない防衛省出身者としては誠に羨ましい限りだ。

 我々の関心は当然最新の消防設備・機器で現在研究されているものを含めてこれがいかなるものか見て回ったが、予想以上に進んでいて日本の消防技術も世界でトップクラスにあるのではと思った。





 中でも目を引いたのは帰りがけに見た不整地走行をする6輪の小型装輪車で、フロート付で実際に水の中に入って、その水で消火できるというもので、カナダ製のオフロードマシンでこれに手を加えて消防用にしたものだということだった。
 これは自衛隊でも使える。

 自衛隊と消防(警察も)は災害派遣やテロ対処でも密接な関係にあり、もっと技術情報の交換があっても良いのではと思った。


 この後、拙宅に寄って貰い、遅い昼食、夕方から神宮でのヤクルトのナイター見物と充実した1日だった。何しろこの年で同期が一緒に仕事をし、仕事に関係する展示会や見学に行けるのは幸せなことだと思った。