42期 徒然草
「2022年の初詣」 田中征之
 あけましておめでとうございます。
 皆さんはどのように新年を迎えましたか。 私の新年は、近くの勝淵神社への初詣から始まる。
 この神社は柴田勝家ゆかりの名刹として知られていて、最近の初詣は一番近場の勝淵神社で済ます様になった。
 例年、ゆく年くる年を見て自転車で行き(片道3分)、お参りして地元の奥さん方の提供する甘酒を頂くが、コロナが流行りだしてからはこれも中止となり、楽しみが減った。焚火にあたって新年の挨拶を交わし、?帰りに破魔矢とお守りを買うという一連のルーチンで新年を迎える。コロナ下にも関わらず近所の人が多く参拝に訪れていた。
 
 勝淵神社  
 「勝淵神社」の由来について再度ふれたい。
 場所は三鷹市新川島屋敷仙川にあり、もともとまわりは田んぼで、木立の中にひっそりした村の鎮守様と言った神社だ。普段は参拝に訪れる人もまれで、宮司もいず、青年団と婦人会が面倒を見ているようだ。 5年ほど前に三鷹市の肝いりで郷土の史跡として整備され、由来の石柱も建てられている。

 それによれば柴田勝家は秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗れて北の庄城で自刃するが、その折、孫の権六郎に兜を与え、上野の国の外祖父の元に行かせる。
 この権六郎は元服して勝重を名乗るが、後に徳川家康に召し出され上野の国群馬・碓氷に2000石を与えられた。
 この勝重は関ヶ原で初陣を飾り、その後大坂冬の陣、夏の陣で武功を上げ、その功で武蔵野国仙川村一帯(現在私の住んでいる所)に500石の加増を受け、この地(島屋敷)に陣屋を立てて住居とした。 その後、この地に神社を建立して祖父勝家から与えられた兜を祀り、社号を勝淵大明神としたのが勝淵神社の由来という。

 この神社があの柴田勝家ゆかりの神社であることを知り、それ以来尊敬の眼差しで眺めるようになった。 いやはや郷土の歴史は知らないばかりで、こんなところに歴史の重みがあるとは。 勝淵神社で郷土の歴史に触れ、感慨を新たにした。
 それにしても「己の敵の敵は味方」、家康という人は狸親父で懐の深い人だったのだろうと思う。
 史の面白さを再認識した初詣だった。

 今年が例年と違うのは毎朝、コンビニに朝食の菓子パンを買いに行く帰りに神社に寄って参拝することだ。
 友人の爺さんに話したら、たった10円でいろいろ願い事をするのは虫が良すぎると笑われたが、塵も積もれば山となるで少しは神社運営の足しになるのではと思う。
      
       (仙川 初日の出 )                     (大國魂神社出店の列

 もう1つ。
 境内の中に小さなお稲荷さんがあり、守り本尊の2匹のきつねの石像があり、お参りをする人を確りにらみつけていて良く見ると相当怖い顔だ。
 まるで「まともに生きているか。ぼ-っと生きてるんじゃねえ」と言っているようだ。
 励ましてくれていると勝手に解釈して、頭を下げる。
 
 「深大寺」   
 正月3日は深大寺に初詣に行った。
 深大寺は自宅から自転車で15分、歩いて40分の近場で休日は多くの参詣客で賑わう。
 境内の中は広くいくつもの寺が集まっているので、ゆっくり見れば趣がある。
 深大寺の名のごとく水が豊富で、深山幽谷の趣があり、道路から一歩入れば別世界の感ある。

 例年、初詣も警察官が出て境内に入る人数を制限するほどだが,やはりコロナの影響で並ばないで山門に入れた。
 深大寺に来る参詣客の楽しみは参詣よりも立ち並ぶ「深大寺ソバ」の店と土産もの屋、中でも蒸したてのソバ饅頭は人気で、饅頭をほうばったりしている人も多い。

 ソバは名物だけあって美味しいが、今日も数ある食事処はほぼ満席、時間待ちするところもある。平日行ってゆっくり味わうのがお勧めだ。
 深大寺ソバといえば、現在もある「多聞」(一番はずれの坂の途中にある店)という店は大盛ソバの量が凄い。その噂を聞いて私もかって大盛に挑戦したが、女将が来て大盛りを全部食べた人はめったにいませんから普通盛りか中盛りでも十分ですよというのを無理に頼んだことがある。
 出てきた盛りそばの量たるや食べても食べても量が減らない。いくらソバ好きと言ってもこれ以上頑張っても入らない、口から溢れそうになる経験をしたことがある。結局半分でギブアップ。
 深大寺ソバというと必ず「多聞」を思いだす。その多門はまだ健在で賑わっていたのは嬉しい。いつまでも名物店として残って ソバ好きの挑戦を受けて欲しいものだ。

(深大寺の参拝者の列)


(深大寺蕎麦屋)
 
 
 箱根駅伝  
 この日は箱根駅伝の復路最終日とあって、昼から出て有楽町へ。少し歩いて日比谷公園交差点付近で最終ランナーを見ることに。 意外なことにすでに沿道は人で鈴なり、多分大手町のゴールまでこの状態だろう。あきらめて人混みの隙間から見ることにした。
 ラッキーにも着いて10分くらい待っているともう1位の最終ランナーがやってきた。危なかった、もう一バス遅れたら見れないところだった。写真を撮ったがランナーと反対側だったので、小さくしか映っていなかった。
 それにしても箱根駅伝の人気は凄い。「沿道での応援はご遠慮下さい」の事前の呼びかけもなんのその、これだけの人々を駆り立てるのは何なんだろう。
 母校の応援する人より私のようにミーハーが圧倒的に多いと思う。自分もそうだが、この駅伝のもたらした感動のシーンが見た人の心に残っていて、それが実際に走る姿を見たいという衝動に駆り立てるのだろう。
 確かにこの日のために鍛えたランナーの走る姿は美しい。それよりも大げさに言えば母校のため人生を賭けて、力の限り走るひたむきさに多くの人が感動を覚えるのだろう。
 選手も陸上競技の長距離を志したものは高校生の頃から箱根駅伝を走ることが大きな夢だそうだ。しかしながら箱根を走れるのはほんの一握り。前年10位以内のシード校か学生選抜で選ばれた者しか走れない。箱根を走れる者はまさに「選ばれし者」母校の順位、自分の区間の順位もあろうがこの駅伝を選手として走ったことは彼らにとって人生の大きな勲章で、後の人生に大きな影響を与える事だろう。

 駅伝というのは日本独特の競技で、母校のタスキをつなぐ、その思いが選手の走りを?き立てる。過去の大会でもタスキ渡しで数々のドラマがあった。渡す直前で力尽きて這ってでも渡そうとした人もいたし、後数秒でタスキを渡せず、一斉スタートに涙する選手等、彼らのひたむきな姿が見る者の感動を誘い、これが箱根駅伝の人気に繋がるのだろう。
 もうひとつのドラマは10位以内を目指すシード権争い、これは選手にとって過酷な争い。10位以下であれば翌年は予選会から走らねばならず、箱根を走れる保証は全くないのでまさに天国と地獄の差、最終ランナーにもつれ込んでの10位争いはし烈で、敗れたランナーは、気の毒に人生で初めての大きな敗北感を味わう事になるが、それにも負けず、立派なランナーに育った人や、良き社会人になった人も多いと聞く。
 そんな思いをしながら最終ランナーを見届け、次の目的地の秋葉原電気街へと歩を進めた。

 後で聞いた話では現役の防大陸上部の選手が学生選抜に選ばれて箱根駅伝を走ったそうだ。そんな素晴らしい選手がいるとは、誠に嬉しい限りだ。
小平霊苑 
   正月4日は午前中、小平にある小平霊園に墓参り。これも家から車で約40分のところに墓地はあるので、行こうと思えばいつでも墓参りが出来るのに年に1回、良くてお彼岸に行く程度だったが、昨春から月に1回、車の充電を兼ねて墓参りをするようになった。
 年のせいか、最近ではお墓にきて父母の事を思うときが一番気が休まる。36歳のとき父を亡くし、それ以来、約40年、母と一緒に過ごした時が今から思えば人生で一番幸せだったのかもしれない。数珠に手を合わせて、少し幸せな気分に浸って焼香し、お墓を後にする。
 広い霊園は墓参に来る人も殆どなく、正月3ケ日に来た人も少ないようで、新しい花もちらほらしかなかった。最近は墓参をする風習もすたれてきて墓参に来た形跡の無いお墓が目立つ。私も後何年来れるだろうか。足が悪いので、バス・電車・徒歩での墓参は無理。車が運転できなくなったら来れなくなるだろう。
 大國魂神社
 「」小平霊園から戻って、今日のもう一つの目的である府中の大國魂神社参詣に向かう。家からはバスと京王線で府中駅まで40分、駅から歩いて5~10分、当日は2時過ぎだったが、正月4日にも関わらず、沿道は人の波。この神社は参道が長く200mはあろうか、その両側にびっしりと出店がある。
 これが大國魂神社初詣の最大の楽しみなのだ。前は参詣が終わった後、屋台の裏に設けられているテントの椅子に座って焼き鳥などを肴にビール、酒を飲む、これが楽しみだったが、コロナ自粛のためか、これは見られなかった。参詣を済ませて、来た時に買ったたこ焼きをほおばりながら参道の出店をゆっくり見て回り、友人の爺さんへのお好み焼きを買って帰路についた。この爺さんは昔香具師を生業としていて、ひょんなことから知り合いになり、勝淵神社の外のベンチで昔話をするのを楽しみにしていたが、昨年胆石の手術をしてから元気がなくなり、訪問介護を受けるようになった。
 外にあまりでなくなったので、昨年秋から週に2日、彼のアパートの部屋を訪れ、雑談をするようになった。この人は映画の『ふうてんの寅』と同じように全国を回ったそうだ。大國魂神社でも正月は良く商売をしたと話していた。そんな昔の面影を残す出店と屋台がいつまでも残ってほしいと思う。
 大國魂神社から戻って、みゃげを持って部屋に行き、神社の初詣で出店が一杯出ていた話をすると、随分お世話になったと懐かしがっていた。香具師は口上の面白さ、巧みさで客を集めるが、寅さんを演じる渥美清さんの口上は香具師顔負けだとも言っていた。
 皆さんも「泥まん(工場が焼けて、残った万年筆を売って故郷のおふくろに土産の一つでも買ってやりたいと泥で汚した万年筆を売る(泣き売))を見た人もあるだろう。
 香具師には「さくら」がいて、どろまんでも見ている1人(さくら)が「これはパーカーじゃないか、こんないい物をこんなに安くで買えるなら何本でも買うよ」と言うので、欲に駆られた客がわれもわれもと買いだす。これが香具師定番の泥マンと言うが、この商売は相方(さくら)が大事だそうだ。その他手を変え品を変えて巧みな口上で安物を売りつけるのが、香具師の腕と爺さんは言っているが、その口上は何度聞いても面白い。
 その口上も迷惑条例とかで禁止となり、出店で聞かれることが無くなって、寂しい限りだ。
初日の出 
   初詣と初日の出を見ることは正月の行事として一対のようになっているが、初日の出を見ることはそう簡単ではない。まず、天候が晴れでなければ見ることは出来ない。また見る場所も人間の心理として一番早く太陽が顔をのぞかせるのを見たいということで場所選びをするだろう。
 また、時間も問題で場所にもよるが、何しろ早朝の6時半ごろから7時半ごろまでの数分しか一番見ごろが無い。中には前日か夜中に海岸や山、小高い見通しの良い場所に移動して辛抱強く待つ人も多い。私の場合は実に安易なやり方で、今年もカメラを持って自転車で数分の仙川の橋に出かけ、川の延長方向から上がる日の出を待つ。
 川の延長上はビルもなく木々もまばらで条件としては良い方だ。待つことしばし、東の空が明るくなり、木々の先端から赤っぽい黄金色の太陽が顔を覗かせたと思ったら、輝く光の玉はぐんぐん大きくなりギラギラと輝く太陽になる。
 僅か数分間だが私はこの瞬間が好きだ。生命の源、生命の躍動を感じる。
 いつも見ている太陽でも年に一度だけゆっくり集中して太陽を眺めると、あのまるで生き物のように力強く空に昇る太陽を見て僅かの間だけでも、今年は昨年とは違う自分になりたいと思う気持ちになれる。
 この初日の出で、今まで一番印象に残ったのは観音崎の海上自衛隊の敷地から見た東京湾の日の出で、当時、走水にある親戚に大みそかから呼ばれて元日を迎えていたので、朝早く起きて初日の出を見に観音崎の海自の観測所に行った。
 この日だけは大サービスで敷地内に一般の人を入れてくれるので隠れた名所となっていた。ここから見る日の出は最高で、東京湾の彼方、館山方向の房総半島の先からゆっくりと昇る初日の出は壮大だった。

 初日の出というといつもこの光景を思いだすが、この走水の親戚も近年、老齢化に伴いついに先祖伝来の地から馬堀に移ったので、もう東京湾の日の出を見る機会は無くなった。