42期 徒然草
お稲荷さんのキツネ 田中 征之

  現在住んでいる三鷹市の新川島屋敷団地は高校入学の頃に移り住んでからもう60年になる。

 当時、周りは畑と空き地だらけでその中にポツンと団地があり、三角ベースで遊ぶには困らなかった。

 時は移り、いつの間にか周りに住宅が建って畑はすくなくなり、空き地は殆ど見られなくなった。それでも当時の名残で雑木林が所々残っていて、川(仙川)も護岸工事は施されたものの姿をそのままのこしている。
    その一角のこじんまりした森に勝淵神社がある。

 この神社は柴田勝家の孫が徳川家康に召し抱えられてこの地に神社を建てたという故事来歴がある。

 普段は参拝する人少なく、初詣と祭りの時だけ賑わう。神社の隣に小さな「お稲荷さん」があり、前から知っていたがお参りすることは無かった。

 それが今年の初詣以来なぜか気になって、毎日のようにお参りするようになった。
     私は動物が好きなので、鳥居の両脇にあるキツネに興味が沸いたのかも知れない。

 なぜキツネを使っているのだろう。
 祠の中は子キツネが、外側は大人のキツネが番をしている。

 近寄って良く見ると、鳥居の前に立つ人を睨みつけ、小さい子供なら泣き出すと思われる位怖い顔をしている。
 だが動物のキツネはもっと細面でいわゆるきつね顔だから稲荷のキツネはかなり誇張している。

 左のキツネは巻物らしき物を咥えていて、これは巻物だと分かるが、右のキツネは茶色の四角い物を咥えているが、何だか分からない。
 キツネは油揚げが好物と言われているから、きっと油揚げだろうと思った。
     話はこれで終わるところだが、稲荷神社とキツネの関係についてその由来なども知りたいと思い、ネットで検索すると出てくるは出てくるは、きっと同じような疑問を持って、調べてくれた人が結構いるんだ。


 それによるとキツネは神様の使いで、番犬ではないことが分かった。
 なぜ稲荷さんがキツネが関わったのか、資料によれば、古来、日本人には「田の神、山の神」という農民信仰があって、稲荷大伸が農業の神であり春になると山の神が里に下り,田の神となって稲の生育を守護し,収穫が終わった秋に山に帰って山の神となるのだそうだ。

 米作が生活の中心だった日本人ならではの信仰だと思った。

 キツネも農事が始まるころから収穫の終わる秋まで人里に姿をみせることから、田の神、山の神と同じ時期に姿を見せるキツネの行動から、キツネが神の使いとされるようになったそうだ。
 
 困ったときの神頼みではないが豊作を願う農民の気持ちがキツネまでも神の使いとしたと思われる。
 最近ではコメ中心の食文化が、パン中心に置き換わって行ったため、お稲荷さんが減ってしまった。

 それでも大小合わせれば全国で2000か所以上あるそうで、何とか日本古来の伝統文化を維持したいものだ。

 正月以来、雨の日を除いて、コンビニに朝食を買いに行く帰りに勝淵神社と稲荷神社のお参りをしているが、お稲荷さんのキツネには「神の使いとは知らなかった。

 そんな大事な役目を持っているのに番犬程度と思っていて、すいませんでした」と早速謝った。
 恐い目で睨んでいるキツネも毎日見ていると親しみが湧いてくる。

そのうえで、TVばかり見て漫然と生きている自分に「ボーっと生きてるんじゃねー」と活を入れてくれと頼んでいる。