42期 徒然草
そのひとこと(一言)が・・・ 谷口 日出男

1. ごく最近のこと

 "お風呂は?" 階下から二度目の催促である。
 ネット情報からプリントアウトした紙をもって下に降りる。"これっ、さっき話してたやつ"と紙を渡す。
 
   妻はそれを手に取りながら言う。"こんなことして遊んでたの・・・"
 思わずムカッー。何て言い草なんだ!そんな言い方はないだろう。まさに怒髪天を衝く憤りなり。

 晩飯どきにテレビを見ながら、あれって何なの?と妻に問われる。即答できず。
 食事後ネットで検索、いとも簡単に出た。それを妻に見せたのだ。

 それに対してこの返答だ。
 女房にすればお風呂と言ったのに、なかなか降りてこず、降りてきたかと思えばもう済んだ話を後生大事に見せられてもの感で、思わずそんな言い方が出たんだろう。

 それにしても腹が立つ言い草なり。
 その夜はおやすみも言わずに先に寝る。

   俺がこのレシーブのポイントを取ればこのゲームが勝てるという時に、ダブルスのペアが言う。
 "ここ一本!強く打たんでいいから、軽く!軽く!"と。
   俺と実力はあんまり変わらんのに、こいつ! また上からの目線でモノ言ってやがる! 思わず腹が立つ。

 第一、こんな時に言えば余計スムーズに打てないじゃないか、しかも先ほどまではお前さんのイージーミスで苦戦していたのにそんな言い草はないだろう。

 お前さんがちゃんとやってればこんな状況にはならなかったんだぞ、こんな時は黙っとくもんだと千々に心がみだれる。

 そして敵のへなちょこサーブに対し"この野郎!"と一発で決めたいあまりに打ったレシーブのボールは、無情にもネットに引っ掛ける。

 そいつが冷たい視線で俺を見る。
 

   いつまでたってもメンタルの弱いテニスでのプレーなり。
 たったその一言で崩れていく。
 しかも彼にすれば励まし?と思っている言葉に、イヤになるねぇーそんな自分が・・・それにしてもその一言には腹が立つ。

2. 若い頃のこと

 "谷口! あいつ、すっごく怒ってたぜ" しかも奥さんまでが谷口さんってあんな人? と言ってるという。
 その夫婦が俺に対して怒りをぶちまけていると友から知らされる。

 "なんで?俺は別に何も言ってないよ"というも 友の話では、その夫婦が俺に対して怒っているのは事実だった。
 俺は、彼に対してその件で確かめることはしなかったし、彼からも直截その件で俺に話はなかった。

 それを限りに彼とは絶縁状態となった。
 今でも回復はしてない。歳月を経て、もうお互い通りすがりの他人の関係となった。

 そのとき、俺はなんて言ったんだろう・・・ もう40数年の昔のことであれば何を言ったか記憶は定かではない。
 ただ軽口な俺のことだからこんなことを云ったのか?

 "なぁーに、朝夕頑張ればまた次が授かりますよ"と。
 その夫婦、生まれてまだひと月もしない子供さんを亡くしたのだ。その慰めの言葉がいけなかったのだ。

 しかし、そう言ったかは今では定かではない。

 いずれにしろ相手を傷つける一言を言ったのは間違いない。
 相手の気持ちを忖度もせず、往々にしてその場で「うけ」を取ろうとそんな言葉を発したのかもしれない。

 おのれの醜い性である。

3. 小さい頃のこと

    "先生! 次は、裁縫の時間はいつあるんですか?

 "往年の女優新珠三千代みたいな女先生が答える。
 "あらっ! 谷口君 裁縫がいやなんでしょう、来週もこの時間ありますよ"教室内に小さな笑いが起きた。

 小学校3,4年の頃だったか、裁縫の時間で運針というのがあり、そこでぞうきんを縫わされた。おふくろさんがいつもやるように糸の着いた針で頭の脂ッ毛に付ける仕草をしたところ、その優しい先生が言う。

 "谷口君って、親孝行ね、いつもお母さんがそうしてやるとこを見てるのね" その先生が大好きになった。
 ところがである。調子に乗って次に発した言葉に対する返事がそれだった。
 この女先生での家庭科の時間が楽しくて次はいつあるんだろうと期待を込めての先生への問いかけだったのである。

 それが・・・ 
 先ほどの淡い気持ちは、一瞬にして吹っ飛んだ。甘く切ない小さなシーンである。


  "海水浴、面白かったかい?" とおふくろが問う。

 "うんにゃ、おれ、行かん方がいかった" "下駄の鼻緒で皮がむけて痛くてたまらんかったちゃが..."と答える。
 "ホンマ、こん子はひねくれちょって"と悲しそうな顔で俺を見る。 

 家族みんなでバスと汽車を乗り継いで青島の海水浴場に行った。
 あの時代、こんなにして山奥の地からバスなんかを乗り継いで海水浴なんてめったに出来るもんではなかった。
 親も子供たちを喜ばすために奮発してくれたんだろう。
   その時、買ってもらったばかりの新しい下駄を履いて行った。
 その当時は靴なんてそう簡単に買える時代でもまた我が家の家計でもなかったのである。
 その新しい下駄の鼻緒がなじまず、いまでいう靴擦れみたいなもんが親指と人差し指の間にできたんだ。

 鼻緒ずれっていうそうだ。

 あれって痛いんだよなぁ、折角の親の好意もこの痛さはカバーできなかったんだろう。
 夕方、おふくろさんが夕餉の支度をしながら俺に訊いた。
 ヨードチンキでまだ痛みが残る足と、もって生まれたヒネクレ根性で俺はそんな答え方をした。
 あの時の哀しい?情景はまだどこかに残っている。
 
  この年になると、今は亡きおふくろさんに謝りたいことはいっぱいあるがこれもまた大きな一つである。


 人間、勝手なもので人から受けた温情は往々にして気がつかなかったり忘れたりするものだが逆に、人に与えたそれは意外と意識の底にある。
 あいつからまだお礼のことばさえ聞いていないなぁと。

 これとは全く真逆に、相手に「ひとこと」言ったのは気にもしてないし、憶えてもいないが 逆に、相手から言われた「ひとこと」は、胸にチクッと突き刺さったままなかなか抜けない。

 この頃、年老いてくると直截的な物言いが多くなったように感じる。

 決めつけた様なものの言い方とか 上からの目線で相手の弱みを掴んだかのような物言いである。
 女房に腹が立ったのと同じように 向こうもまた俺に腹を立ててるだろう。

 仕事もまったく終え、それまでのような社会的な付き合い?もなくなり、遊び友達も周りは年寄りいっぱいの仲間となった。
 そんな時、年寄り同士の会話、年寄りが年少者に対しての物言い等々、今まで感じなかった小さなトゲがあることを感じる。

 しかしそれはギラギラと見えるものでなく投げかけられて初めて気がつくものが多い。

 あ~ぁ、俺もこんな物言いをしてんだなぁと仲間の会話を聴いている。

 年老いて改めて感じる「ひとこと」の重みか・・・