42期 徒然草 | ||
もう、七十になりましたか? | 谷口 日出男 | |
42期同期生諸官、すでに七十に到達した者もいれば、まだ六十代の余韻を残しているものもいるだろうがここ一、二年以内には、みんな七〇代に突入するのも、これまた時の移ろいである。俺も青春時代の彷徨であれこれ回り道して防大にはいったので、同期生諸官より齢食って、もうすでに七十に達している。齢の件で、懐かしい想い出がある。防大に入学して間もなくの頃、上・下級生が混在してテレビを見たり談笑したりするあの娯楽室の出来事である。そこでみんながテレビを見ていた。部屋の中は、タバコの煙とあの独特の臭いが立ち込めている。俺も空いている席に座り、ごく自然にタバコを取りだし、入学祝?に貰ったジッポーのライターで火を点けた。入学直後の慌ただしい日々を過ごしたいま、やっと人心地する瞬間だった。しかし、その心地よさは、煙を2,3回吐き出す暇もなく、煙のごとく消え失せた。いや、消え失せられたのである。 目の前の、上級生がまさに何か宇宙人を見たかのような目で俺を見て、叫んだ! "お前、一年生で未成年のくせしてタバコを吸うとはなんだ!"と。 "いやっ、そんなに怒らくても、私はもう未成年ではありません"と口答えしたかどうかや、その後のことの顛末は、今では良く覚えていない。ただ、その年下の上級生との仲は、その後は、ひんやりしたものだった。彼も今はどこでどうしているかな? 齢だけは先行しているが、人格・識見等その人となりについて、だいぶ遅れを取っている。まぁこれもおのれの為せる業であり、それがお前の天命だと知るべきである。 (ここで言う天命の意義については、後記の資料を参照されたし) 論語に、「七十にしておのれの欲するところに従うも、矩を超えず」とあるのを想い出した。吾十五にして学ぶから続く例の奴である。三十代、四十代、五十代そして六十代と続き最後に七十代での人生の大則が登場する。それから先はない。今のこの長寿の世ならば八十代そして九十代までと孔子様に託宣を頂きたいところである。そしてあの孔子が生きた時代、七十代までどのくらいの割合の人が長生きしたんだろうとふと思う。とてもじゃないが今の七十代の数じゃなかろう...今でいうと、もうそれは九十代に相当する割合だったのか、そうならば「七十(九十)にもなると、思うがままに行動しても、それは自然の法則や道理から外れることはない」という意味が納得できるがとてもじゃないが今の七十代、引き際の悪い、もうギラギラした慾のかたまりで生きている世代には、この言葉は通用しない。 今年は午年、俺も六回目の年男である。もうオヤジの寿命を超えた。だがオヤジが生きてきて築き上げたものにこれっぽちもまだ達していないし、もうこれから先もそれは叶わぬ望みだろう。オヤジを超えるのも至難の業なのである。 矩を超えないように、また孫やまわりのものにとって「いい好々爺」になりたいところだが全然、修養が足りていない。今夜も調子に乗って飲み過ぎ、食べ過ぎて苦しんでいる。腹八分、過ぎたるはなんとかでの戒めなんてとっくにどこかに消し飛んでいる。日常茶飯事、孔子様の諭す七〇代の大則からしたらまったくと言っていいほどの低次元の人生を送っている。まぁ、しかし聖人君子じゃないんだからそうボヤクこともないか... 先日、施設で九十二歳になるお年寄りの入浴介助をやっているときに、湯船の中でその老人が両手に掬ったお湯を顔に被りながらシミジミという"もう、始末に終えんなぁ、こんなんなったらもうだめだ"と。おのれのこの頃、とみに落ちた体力を嘆く。その老人、元警察官、自分の足で歩き、自分でトイレに行きちゃんと後始末もできる。いつも施設内を歩き回り、老いないように自分を鍛えている。年の割には、驚くほどの大盛りの飯をいつもおいしそうに食べている。時折、突発性の不機嫌症となり、女性職員からそれこそ腫れ物に触るような取り扱いをされるが、普段は、いたって穏やかでありまた従順でもある。しかし、寄る年波、入所した当時より、足腰も少しづつ衰えている。それに併せて頭の中のセルも少しづつ壊れていっているのを感じる。そんな老人が自分の限界を悟るのか、湯船の中で、介助する職員に感謝しながらシミジミと漏らすその言葉が胸に泌み入る。 "あ~ぁ、俺もこんな年までもし生かされているとしたら、こうして周りに感謝の念を持ち、自分の今を冷静に見つめることができるかな"と。そう、この老人、九十にして矩を越えずの心境になっているのである。 やがて今の仕事も間もなく投げ出そうとしている。良き後継者も見つけることができ、彼にすべてを委ねる時が来た。我々の頃にはなかった国際貢献の経験者である。何でもハイチとか、それがアフリカじゃなくて中南米にどのへんにあるのかを彼から聞いて、今回初めて知った。二三ヶ月の勤務でもう全職員の信望を集めているのを見て、俺も自衛官の後輩を入れたことに自慢になる。そして彼が幹部候補生学校勤務時代の教え子だったというのもこれまた何かの縁であり、自衛官だったからこそこうして彼との縁が生またことに、今になって感謝である。 定年後二つ目に選んだこの職場、すでに十年以上にも亘って勤務しているが、このぬるま湯みたいな境遇からすれば、その老人が言うように、もう少しそのぬるま湯に入っていきたい気持ちはどっかにあるがもうこれ以上、未練たらしく、現職務にしがみつくことはないだろう。 ここは、もう晩節を汚すことなく、潔く引き際を決めるべきである。 さて辞めたその後、有り余る自分だけの時間を何やって生きるか、キョウヨウ(今日用がある)とキョウイク(今日行くところがある)が更に貴重な?これから先の人生、いずれにせよこれまでの反省を込めて、矩を超えないように生きたいもんだ・・・ ある人に「これまでの人生は、これから先で決まる」というのを教わった。過ぎ去りし現役時代にどんな立派な功績を遺したものでも、引退し年老いてからの生き方に後ろ指刺されるようじゃ、それまで築き上げたものまですべて瓦解してしまうという意味である。こうして尊厳性を失いつつある末期の?お年寄りのお世話をしながら、まさにこの言葉が胸に泌みいる。末期になってしまったら自分ではどうすることもできないので、その時はもう仕様がないけどその末期になる前の人生の端境期、おのれの尊厳性を崩さずに生きるのも難しい世の中になってきた。 (またまた例のボヤキですみません) 人が物心ついてから、齢を経るに従ってその年代、年代をどう生きたらいいのか、安岡正篤の著から「人生の大則」を紹介したい。 (今更この歳で、こんなもんの感はしますが...私が言ったんじゃないのでご参考までに読んで下さい)
論語に「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳に従う)、70にして心の欲するところに従って矩をこえずとあるが、孔子だからそのようにいくのであり、我々、凡人、俗人のことではないと思う人がいると思う。 そうではない。 これは人相応に、誰でも通る道なのである。馬鹿は馬鹿なりに、賢は賢なりに... これが人の道なのである。 学生・青年時代は、たいてい有耶無耶(うやむや)であるが年の30にもなると、「30にして立つ」で、何とかしなくてはいけないという気になって、職に就く。これは30にして立つである。若い時は、ガールフレンドだの、ボーイフレンドなどと云っているが、30にもなると、女房とか亭主とかいうものをきちんと決め、家庭をつくる。毎日夕方になって灯がつくと、どこかへ行ってコーヒーを飲むとか、ビールを飲むとか、バーだのカフェーだという所をほっつき歩くことも許されない。家も仕事も放っておかぬ。今日はどこへ行こうかというようなことでは暮らされない。仕事にしても、俺は何に向くのかわからんといって人世をうろついていられない。やはり30ともなれば、役人になるとか、会社員になるとか、銀行員になるとか、学校の先生になるとか、何か決めないと納まらない。 馬鹿は馬鹿なりに、鈍は鈍なりに立つ。立つには立つが、まだどうもはっきりしない、自信ができない。新たな疑問や苦悩に惑う。しかし、これまた馬鹿は馬鹿なりに、鈍は鈍なりに、40という声がかかると、自分は、人生は、こんなもんだという一つの解釈に到達する。商人になれば、商人とはこういうもの、教師になれば、教師とはこういうものと、だいたいある程度の「不惑」に達する。 そして50になると「命を知る」。命というのは絶対的作用である。どんなのんきな者でも、理屈の多い者でも、職業人となり、家庭人となり、50の声がかかれば、自ら結論らしきものを持つようになる。若いとき、いろいろと空想を描いておったのと違って、わしもこういう人間だ。このへんがわしの精一杯のところだ、こういうところに満足を覚えるという限界点、その人間の絶対境に到達する。 やがて何年かすると定年がやってくる。これは50にして惑わずである。俺もいろいろ考えたが、もうこの先はわかっている。このうえは倅に待とうというようなことにもなろう。だがその倅もあながち当てになるものではない。天なり、命なりであきらめて、植木を楽しむとか、盆栽を愛するとか、茶をたてるとか、なんとか安心立命を求める。つまり絶対性に到達する。積極的と消極的と、また内容も違うが、とにかく命を知る。 そうして60になれば、耳順、耳にしたがうという。 いままで納得ゆかぬことやら、しゃくにさわることばかり多かったが、そういう「我(が)」というものがとれてきて、素直に人の言うことも聞くことができ、物を包容できるようになる。 ![]() いままで大飯喰らっていた男も、昼には鰻を食って、夜、天ぷらをたらふく食うというわけにはいかない。そういうことはいけないと自身の生理が教える。若いときには、なかなかそんな生理・養生などということには従わない。つまり矩(のり)に従わない。 しばしば矩(のり)をこえて、貧食したり、大酒したりと無理をやるが、その年になって見ると、身体そのものが理に従わねばならぬようになる。 衰えるというと情けないが、老いるということは、自然に近づくということであり、自然に近づくということは、真理に近づくということである。 それだから、真理に反した、肉体でいうならば、生理に反した、そんなあくどいものをむやみに食ったり、刺激の強いものを飲んだりして、愉快になるというようなことではなくなる。やはり淡白なものがよくなる。 これは心の欲するところに従って矩をこえずである。 「人生の大則 安岡 正篤 プレジデント社」より参照 ここまで読むと、八〇代、九〇代は、孔子様はどうおっしゃって、安岡氏は、どう注釈を入れてくれただろうかと不図思う。俺も自分の寿命を勝手に八十一までと広言しているがそうもいくまいとも感じている。いずれにせよ、これから先は、特に人様には迷惑を掛けずに、自分のことは自分でできるように神様にもお願いし、自分でも修養していきたい。 グダグダと未練たらしく、あれこれ屁の突っ張りにもならんようなことを云ったけど、まぁ、この人生、なるようにしかならんか・・・ 朝起きて、夜寝るだけの生活が続ければ、これはこれで全くの御の字の人生だろう。 最後までご笑読いただき、ありがとうございました。 |