42期 徒然草

一隅を照らす

谷口 日出男

 現役時代、全国を股に掛け、国防の任に邁進した輩たち、折角なじんだ地域の人たちと別れ、家族みんなが不安な気持ちで新しい任地に赴いたあの当時、今思えば懐かしい限りの家族の人生体験である。

 そして巡り巡ってあるものは故郷に帰り、実家を継いだりまたはその近くに邸宅を構えた。
 しかし同期の大部分は故郷を離れ、新しい地に終の棲家を見つけた。
 早いもんでそれぞれがその地に住んでやがて30年近くになるんだろう。
 今まで住んだうちで一番長い土地になった。
 まったく周りに親戚も知人もない地での新たな人間関係の構築、それぞれに物語が出来ただろう。
 そしてやがてはいつの日にかここで老いさらばえ、終焉を迎えることになるんだろう。 
 
 先日、隣組の人が亡くなった。享年85歳。代々続くネギ農家の隠居老人である。
 コロナ禍の中での葬儀、俺も只今持ち回りの自治委員の役目柄参列した。
 その際、町内会の大御所から"谷口っさん、そろそろ老人会にはいって貰えんね?"と問いかけあり。
 聞けばどうもなんかそこで役をやって貰いたいような雰囲気である。
 遊びに呆けている俺にとっては...丁重に断る。


 帰ると内村君からメールあり。なんでも今住んでいる海老名市の広報誌に彼のことが掲載されたそうな。

 早速ネットで「広報えびな」で検索し「令和3年1月15日号」を見る。

 どこにでもある月2回発刊される市の広報誌である。

 九州の人間にとっては海老名市、馴染みの薄い名前である。神奈川のどの辺にあるんだろう。

 見開きのページに、デカデカとトップ一面に彼の顔と記事が掲載されていた。穏やかで好い男の顔である。

 記事は、活動のスナップ写真とともに次の文が掲載されていた。
 

   大したもんだ、彼は!
 防大時代からそうだったんだけどいつも人のために何かやってあげようとする気持ちが見受けられた。今の地に住んでもマンションの管理組合長を自ら申し出て住民のために頑張って来たり、近くの小学校でボランティア活動をやって来た。
 こんな高齢?になってもますますそれを持ち続けているなんて大したもんだ。

 俺の乏しい?頭で思ったんだけど「マズローの人間欲求の5段階」っていうのがあって、彼のはまさにその5段階目の「自己実現の欲求」の域に達しているのかな? 
 昼間、斎場で老人会加入を勧められて逃げたばかりの俺なんかにしたら月とスッポンの違いなり。
 新しい地に居を構え、そこで献身的にその地域に貢献している同期の朋の話を聞く。
 現に俺の近くにも町内会長をもう6年もやっているのがいる。
 その公僕心尊敬するなぁ... そしてまたこうして日本のどこかで朋が一隅を照らしているのを知り、心が満たされるものがある。

 彼のこれからの活躍を祈っている。