42期 徒然草 | |
同期生会(九州地区)に参加して | 谷口 日出男 |
そうなんだよな、何が幸せかと言われたら、誰にとってもやっぱり自分や家族が健康で家庭的にこれと言った問題点もなく、毎日が恙無く過ごせることが一番なんだろうな、この歳になって時折感じる単調で退屈極まりない日々が続くだろうが・・・ 一年一回の同期生会、今年も、昼間はゴルフやって、夜はホテルでの懇親会なり。 今年も夫人同伴での催しとなった。同期生参加者約22名位、大体いつもの顔ぶれである。奥さん同伴者は7~8名位か、3分の1ものいずれも県外の奥方がこの熊本まで良く参加されたものだ。何人かの奥様にお会いし、挨拶をした。いずれの方も夫唱婦随の賢夫人である。 各人の近況紹介の時も司会者や旦那のおだてに乗らずに控えめに、決して出しゃばらずに奥ゆかしく挨拶される姿は、いずこも旦那より品があり、格がある。かの夫人ありての旦那の存在か・・・そして夫婦連れの誰しもの旦那が「わが人生の最大の収穫は、この妻を娶ったことだ。」と思っているのが、その言動に伺わされる。誠に結構なことである。 我が家の女房殿は、欠席。 勧めたけど意志堅く断られた。こんな会合に出るのが嫌なんである。それで床の間に飾ったままである。 朋との一年ぶりに語らい、そして宴の途中から、各人の近況報告がなされた。いつもの名司会をやってくれる彼の寸鉄人を刺す講評を交えながら、壇上からのそれぞれの同期の朋の話を聞く。 何言ってんのかわからん輩も、1分で済む話をダラダラと5分以上も話す輩もいて、いつものとおりの光景である。 "どう?その後、娘さんの具合は?" "そうか、そりゃーは良かったね、やっとお前さんもおじいちゃんになれたんだ、やったね!おめでとう!" "・・・" いつものように彼は、ほほ笑むだけで何も言わない。これ以上聞くのもヤボである。 彼の娘さん、最初に身ごもった子供が流産した。彼にとっては最初の孫の誕生の予定だったんだ。それが何か月かで流産したとのことを何かの会合で彼から聞いた。彼は、気を落としていた。 "なぁーに、そんなに気を落とすなよ、子供なんてまたポロッとできるから、娘さん、朝な夕なに、がんばれ!だ"と例の口調で彼に慰めの? 言葉を送った。 相手の心情を図ることなく言わんでいいことを言ってしまうおのれの無神経な性(さが)である。それが原因だったのかよくわからんがその後、彼との関係がいっときギクシャクとなった。俺特有の皮肉が彼の繊細な感情を傷つけたんだろう。この歳になって自分の何気ないその言葉が相手の心にグサッーと突き刺さることがあるんだと改めて感じた。 特に、自分が調子に乗っている時に見られる事象か・・・話題を変えて演劇志望と聞いていた息子さんのその後の消息を尋ねる。その後も親と一緒に住んでコンビニでバイトをしながらまだ演劇活動しているとか・・・ "いいじゃない、いつまでも家族一緒で賑やかなのは・・・"とまた余計な言葉を発してしまった。決して、彼は30半ばを過ぎた息子がどっちつかずで先に見えない?人生を送ろうとしていることにいいとは思ってはいないだろう。取り様によっては、去年も同じことを訊き、その時もおんなじように彼に答えていたのかもしれない。これまた痛烈な皮肉である。そんな心配りが足りないんだよな、俺には・・・もう、相手のことを根掘り葉掘り聞くなって! 誰にも触られたくないとこもあるんだから・・・ 入れ歯を入れるのに車一台分の金を払ったというのが居た。 どんな車だったんだろう、レクサスかダイハツミラか? それにしても入れ歯って高けーなぁ。いま入れ歯と言うんじゃなくてインプラントと言うそうだ。いやっ、入れ歯とインプラントは、まったく違うと講釈を聞いた。そうか彼は、歯が悪いのか、俺もそうだよな、右奥の奥歯付近が痛い。 この前、歯医者に行ったけどあまり歯医者の印象が芳しくなく、中途で治療を止めている。いつものことで医者を信頼しない俺が悪いのは、わかってはいるが・・・その時、別なのから、"歯ぐきのマッサージをやったら歯槽膿漏予防に効果があるよ"と教えられる。 彼は、そのマッサージで歯ぐきがピシャッと締まってきていまは全然ノープロブレムだそうだ。 そうか、俺もやってみよう。ただ指で歯ぐきの周りを抑えたり、こすったりしてマッサージをして歯ぐきに刺激を与えるだけでいいそうだ。タダでてっとり早くやれるのがいい。だがそれがいつまで続くかどうかは、いつものことでまったく希望は持てない。 三つの病気をいまかかえこんでいるというのがいた。 前立腺と歯と副鼻腔炎である。まったく俺とおんなじじゃないか・・・前立腺は、夜中にしょっちゅうションベンで起こされるので、寝るのを遅くして、起きるのを早くしているとか言ってた。要は、寝てから何度も起こされないようにしないために長く寝てないこととか、まさに名対症療法である。 しかし、俺なんか遅く寝ても一時間後にはもう起こされることがしばしばあるのでこれは俺にとっては、あんまり有効な療法ではないなぁ・・・生体検査も俺なんか一回でヒィヒィ言ってるのに、彼なんかはもうすでに3回もその検査を受けているとか、上には上がいるもんだ・・・ 歯については重複するので省略。 副鼻腔炎、このところ俺もあのおじいちゃん医者のとこにしばらく行ってないなぁ。鼻の奥にノズルを突っ込まれてガガッと膿を吸引して貰うんだけどもう苦しいのなんのってイヤなる。いつも膿を取ってるだけじゃなくて根本から直す治療はないんですかとそのおじいちゃんせんせいに訊いたら、この病気は治らんですなぁとノホホンと言われた。 かといって他の耳鼻科の医者も頼りないし、評判の医者は、順番待ちで草臥れるとか、しょうがないからこのおじいちゃん先生がくたばるまで長い付き合いになるか・・・ 前の職場でも看護婦が寝たきりの患者に鼻から、患者の苦しみにお構いなしにドンドコ、ノズルを押し込んでいくのを見る。患者の痰を吸引するのである。 もの言わぬ患者なれど背中をそっくり返してその苦しさに耐えている。あ~ぁ、いつかは俺もこうなるんだろうかと歯医者で鼻に突っ込まれるノズルを思い出しながらこの光景を通りゆく廊下から病室を垣間見ていた。 隣のが何か俺に云った。このところ耳が遠くて人が言うのがよく聞こえない。 テレビに至ってはホント、聞こえない。"今、なんて言った?"と妻に訊くも一番いいシーンなのですぐには答えは返ってこない。画面はドンドン次に進んでいく。また聞く。今度は応えてくれる。俺が予想した通りの科白である。やっぱりそうかとは、妻には言わない。 妻にすれば毎度のことでうっとうしくなるだろうな、ゆうべの大河ドラマもそうだった。一番いいシーンが聞こえない。特に男優の声が聞こえない。耳が遠いんである。そんな難聴の?環境下、出席者それぞれの近況報告を聞き続ける。 それにしても人間変わらんもんである。去年もあいつは自慢話ばかりだったなぁとか、あいつ何が言いたいの?いつまでもダラダラと、早く終われよと云いたくもなる。そういうお前はどうなんだと問われれば、これまた支離滅裂な話で忘れ物した思いでステージから降りる。 こんな話を後日、朋に話したら、聡明な彼がこんなメール回答してくれた。 「同期生も2種類に分かれ始めましたね。 自主独立の気概が曲がりなりにも出来ている人間。 もう一方は幼稚な淋しがり屋でしょうか。 何歳になっても自分のことが中心であることを望む人間。人からの賞賛がなければ、自分の存在に自信がもてないのでしょう。人生の味わいを知らない可哀想な人間だと思います。 2種類の人間も根源は同じ。私の根源というのは、人は自分の幸せを望み努力することです。 自分に注目が集まることは、謙虚な人々にとっても自然に幸せなことだと思います。 人間の品性の違いは、日々を生きて身に着けた教養の違いに出るということでしょうか。万能の知識人や指導者であっても、人を惹きつける教養というか、人柄に欠ける人々がいますよね。」と。 俺にはやや高尚過ぎる話だけどこれを聞くと、こういった会合に出席しない連中の気心が図れるような気がした。この年になってまで、わざわざ不快な思い?をするために足を運びたくないんである。 懇親会が終わって高速バスを利用して帰る朋をICのバス停まで送った。彼は、病み上がり?である。 車中、その時の症状を聴く。何でもパソコンを見ているうちに気分が悪くなり、救急車が呼ばれそれに乗り込んだまでは覚えているがその後は全く意識なし。そして、なんと意識が戻ったのは20日後とか・・・ 脳梗塞だったそうだ。それにしてもその意識の無さの長い期間に対し、凄いなぁとしか言いようがなく、その間、ホントなんも見えなかったか?きれいな花園なんか見た覚えはないかと聞いても、彼はただ微笑んでるだけだった。まだ話をするのにややぎごちないところはあるが日常生活は、そう問題なく送れるまでに回復したそうだ。 バスが来て運転手が見守る中、彼がやや覚束ない足取りで、乗り込んでいった。そしてバスの中から立ったまま、しきりに手を振って俺にお礼の仕草をする。彼がいつまでも座席に座らんもんだからバスが発車できない。ようやく運転手に注意され?彼が座り、バスは発車した。 それから数日後彼から電話があった。あぁ、あいつ俺の名前は、憶えていてくれたんだ。あいにく、俺は居なくて妻が出たが例のゆっくりした口調で俺に対するお礼とみんなへのお礼の伝言を頼んだそうだ。内容の割には、かなりの長電話だったらしい。そんな彼に、気長に付き合ってくれた妻に感謝である。 ご婦人を併せて約30名の出席者、幹候校在校時からやがて50年近くになろうとするいま、誰の身にもこの健康の問題が沸き起こっている。もう、ガタがきている年代に突入してるのである。 今夜聴いた病の話は、自分にとってどれもが当てはまるものだった。なんだ!みんな一緒なんだ。俺だけが悪いんかと思ったけどあいつもそうだったのかと彼をまた身近に感じていく。 しかしそんな身近に感じた友も、俺も、いますぐにじゃないだろうけど近い将来、やがてそのうち、順番なく、ひとり欠け、またひとりと欠けていく。 7年前にひとり、友が逝った。彼はこの同期生会の時には、いつも手作りのクッキーを持ってきてみんなに配っていた。前の日に思いを込めてこさえたんだろう、たくさんのクッキーである。 酒の席であればその場で食べずに妻におみやげとして紙に包んで持ち帰ったこともあるし、テーブルに置いたまま手つかずでそのまま放置した時もあった。いまになってもっと賞味して彼にお礼の一言でも言えなかったかと少し悔いている。 当日配布された欠席者のコメントに何人かが体調不良につき欠席しますとあったがどこが悪いんだろう? 会の当日から2,3週間前の出欠の返事のコメントなのでまさか欠席理由のための風邪の先取りじゃないだろう。あいつ、どこが悪いんだろう?チョッピリ気になるコメントである。 何人かいた。 まぁ、みんなが健康であればこれに勝るものはないか・・・こうしてみんなが顔を合わせられるだけで幸せなんだろう。 自分の寿命が尽きるまでそれこそあちこちに爆弾を抱えながらも身も心もそして頭の方も健康でいたいもんだ。 ただいま同期生会の会計を任されている。これまでの出費科目は、この年一回の総会支援と本人または配偶者等の弔いごとだけである。しばらくは、微々たる利子と総会支援金の収支で、繰越金が漸次減ってていく通帳であって欲しいね。 来年の会は、順番でまた福岡になった。そこでまたみんなと健康で会いたいもんだ。こんな会は、こうして続けることに意義があるんだろう。 昼間、抜けるような晴天のもと申し分のない深緑コースでのゴルフ、夜はこうして主催幹事の計らいで熊本空港近くの一流ホテル?で飲み食いしながら、健康の有り難さと懇親会では腹の立つこともあったが、こうしてみんなと語り合える会合に出席できる気持ちの余裕の大切さをふと感じた今年の同期生会だった。 |