42期 徒然草 谷口 日出男
メクラ判

 定年後にはいった会社で総務の仕事をやっている時のことである。

 各支店から慶弔報告書が本社に上がってきてそれを俺がチェックして、部長に提出する。その慶弔報告、各支店の取引先関連での慶弔の発生と支店としてどんな対応・処置を取ったかがその内容である。
 いつもの様に報告書が届いた。某支店からの報告書であり、その支店の担当者は、四大卒の女子社員であることは俺も知っている。
 見れば、地方銀行の頭取のご母堂様の逝去であり、支店長が告別式に参列したことが記してあった。その報告書に、故人の名前と年齢と死因を書く欄がある。94才での天寿全うだった。そして死因の欄には、「寿命」と記されてあった。
 一瞬、何も疑わなかった。94才じゃ間違いなく寿命だなぁと、その報告書、支店長の確認印も押してある。別に、取り立てておかしいとこはないし、それこそ機械的に上司報告のボックスに放り込んだ。次の文書に目が移った。その時、やっと閃いた。 う~ん、死因が寿命じゃなぁ、危ないとこだった。

 

 いつも部長から、文書はちゃんと目を通してその内容をきちんと把握して報告せよときつく指導を受けていた。ルーズな俺の性格を見通しての温かい指導である。

 これには前にも何度か失敗もあった。そのひとつが文書決裁の時のことである。
 いつか部長から人事異動の決済を社長から貰っといてくれと頼まれ、服装を整え、社長の元に仰決で参上した。社長から問われた。この退職する社員、何が原因で辞めるんですかね?うちの社風に合わないとこがあったんですかね?と。
 俺は、何も答えられず。“ハイ、そういう社員もいるようですね”と答えざるを得なかった。
 30数名ほどの異動の最後のページは、退職者10名ほどが並んでいる。中味については、すでに常務会で決裁が下り、すでに社長ご自身もご承知ことであり、俺は、ただ部長に言われたから、社長から印鑑を押してもらうだけでいいと思って参上したのだ。
 まだその時は、入社したてで人事課長は部長が兼務しており、人事の方は今からというとこだった。
 言い訳するなら、その時点ではまだ俺は、人事面はノータッチだったのだ。それにこの退職者、薬剤師がほとんどであり、その当時の売り手市場では、より条件のいいところに転職するものが多く、当社でも多い時はそれこそ2,3ヶ月で10数名の入れ替わりの時もあった。
 この時も名前も初めて見るものだし、ほかにもっと給料の良いところを見つけてトラバーユしたんだろうと勝手に決めつけていた。
 ただ丁度そのころは、会社がその業績を伸ばし、業務拡張の時期でもあり、この薬剤師確保は、会社にとっては極めて重要な施策だったのだ。諸々のことを慮っての社長の問いに対し、これまた自分の立場も弁えず無責任な答えをした。この時も、別に大きな?反省点もなし。

 後日、常務会が開かれ、そこで薬局部門の長が、社長から薬剤師の心情把握に欠けると厳しい指導があったそうだ。それこそ筋違い?の指導であったが社長としては、社内にもしそんな気風があれば是正しなきゃという指導だったかも知れない。
 薬局部門の長にとっては、総務からのとんだとばっちりである。

 常務会終了後、即、俺は部長から呼びつけられ、それこそ噛みつかんばかりに怒られた。

“なんという仕事振りだ!俺は、社長のところに行く時は、いつも全力で答えられるように、もしそれができないんなら辞める覚悟で行っているんだ。
 それをなんだ!そういう理由で辞める社員もいますなんて返事をしやがって!そんなの女の子だってできるぞ”

“この薬剤師は、旦那の異動の関係で辞めるんだし、このレンタルの社員は、家業を継がなきゃならんので已む無く辞めるんだ”

 俺のその時の返答が話題になったのだ。あ~ぁ、その時になって初めて反省? 
 そんなことを言われても、また知らなかったじゃすまされない俺の立場とその対応だったのだ。
 社長から印鑑を貰うくらいだったら、それこそ、その寿命と書いた女子社員でもできる。それが課長としてのお前の仕事振りか・・・と。 ハンセーイ!!

 

 支店長に電話する。葬儀の模様を聞く。報告書に寿命と記されている件は、承知してなかった。メクラ判だったんだ。
 承知していても別に俺の様に、特に違和感は感じなかったか・・・死因の欄が寿命では?少なくとも老衰ぐらいではというと、そう云われればそうですねの答えだった。
 支店長との電話でのやり取りは、そんなの別に目くじらを立てるほどでもないじゃないか、本社で適当に処置しといてくれの感を受けた。
 支店長としては、そんなことより目前に迫った上期の目標達成で日夜奮闘しているのだ。その頑張りに感謝。

 「寿命」の欄に二本線を引き、「老衰」と書き加えた。

 でも「寿命」と書いた女子社員の心の温かさ?には、何となく気持ちが、なごむなぁ・・・

   ★    ★

 

 今年も間もなく師走を迎えようとしている。
 月日の経つのは早いものだ。例によって、この時期になると喪中の葉書が届く。文面を見ると、亡くなった方は、親であり兄弟であり、時には悲しくもご伴侶だったりする。人生流々転々である。
 親の享年を見ると、俺たちの年代の親は、もうほとんどが90代である。この前なんか101才の人がいた。もう、こうなると寿命と云っても差し支えないだろう。天寿全うである。

 寿命から想い出される懐かしいあの時代の、教えの数々である。

 

 ところで、俺の寿命は、いつまでなんだろう

 あれこれ見積もっても、それまであんまり残ってないなぁ・・・

 

 急がなくっちゃ !!   何を?
            

決   裁 ○  ○ 起  案

 

 
コメント 田中 征之
 
 谷口 様

 投稿記事を読ませて頂きました。

 現役時代も、会社勤めの時も「メクラ判」を押したことも、内容はともかくハンさえもらえばこっちのものと思ったことも多々ありました。

 今、思えば汗顔のいたりですが、未だ現役の会社勤めで、「反省をしながら、最善を尽くそうと努力しているのは立派です」

 文中の「“なんという仕事振りだ!俺は、社長のところに行く時は、いつも全力で答えられるように、もしそれができないんなら辞める覚悟で行っているんだ。」

 という言葉は厳しいけれど尤もですね。(本人が常にその覚悟だったかは分かりませんが)

 私なども「決済を受けに行く時は内容の質問に答えられるよう準備していけ」と言われながら、準備不足のまま行って、不安が顔に出るのでしょうか

 鋭い質問を受けて即答できず、「すぐに調べてまた参ります」と引き下がったことも多々有りました。そんなことを思い出します。

 3度読みましたが、面白かった(含蓄ある)です。後輩にも読ましたい程です。仕事の進め方に参考になる筈です。