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喪中挨拶状、今まで祖父母とか両親とかの逝去に伴う挨拶状が大部分だったがこの歳になってくると配偶者だったり兄弟だったり、時には子供さんだったりのが増えてきた。何よりの極みは本人自身が黄泉の世界に
転界したことで色々と人生の襞を感じさせられるのが多くなってきた。
人の不幸を肴にして申し訳ない気もするがあれこれ感じたことを纏めてみた。
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*「校正する妻なき暮のあいさつ状」
防大サッカー部後輩からである。俺が防大4年の時の1年生、鹿児島県出身、あの岐阜各務原での夏の合宿での彼の頑張りを思い出す。レベルはまだまだだったがボールに食らいつき、身体を張って我武者羅に頑張っていた。彼が最上級生になった時、サッカー部の主将として、大学リーグでも上位の成績を収めた。そんな彼が奥さんを肺腺がんで亡くした。子供さんはいない。
年々の年賀状には、いつも二人の句が記されていた。
今年貰った賀状には、
「庭先の 荒田に憩う 夫婦鷺」(夫)、「草らに 見え隠れして やぶこうじ」(妻)とあった。
上手いのか下手なのか俺にはよくわからん、だけどこうして改めて読むと初老の夫婦が家の縁側から庭先に広がる何気ない情景を多感な思いで琴線を奏でている光景をジワリと感じる。
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そして思いがけなくもこうして喪中挨拶状を書く状況になり、それが思ったように書けているかどうかを見てくれる妻のいない寂しさが冒頭の句にひしひしと伝わってくる。
可哀想だなぁ・・・発病以来12年後の逝去のようである。わが妻も乳がん手術後まる2年経過した、さだまさしの関白宣言の唄じゃないけど俺より先に起きなくてもいいから ♯お前は俺より先に逝ってはいけない!♯ が偽らぬ心境なり。
つれあいが欠けること、いずれにしろ詫びしく哀しいことである。
*「娘○○ 本年二月二十三日 三十三で永眠いたしました」
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元の部下からである。なんで亡くなったかは記されていない。長患いの病いだったんだろうか?それとも何か不慮の事故か?あれこれ思いめぐらしてみるも文面からは何も読み取れず。そして文末には「定年後十年となりましたのでこれをもって年賀の交換は失礼します」と絶縁状の文字が並んでいた。どんな思いでこの文章を書いたんだろうか?娘さんの死は、何だったんだろうか・・・ 親が先に逝くのは世の習いとして致し方ないことだがこうして子供にそれも人生花盛りのこの歳で亡くなるとは・・・親としてこれほど切なく哀しいものはないだろう。若い頃からずっと空手をやっていたとかで引き締まった身体に寡黙で眼光鋭い彼の風貌を今でも思い出す。 そんな彼にこんな哀しい人生が訪れようとは・・・これまでと絶縁状のこともあり慰めの返書を認めたがその後彼からの返事はない。返書を送ったことをなぜか今は後悔している。余計なことをしたと・・・
これまでも交通事故で大学生の息子を失った同期生や自裁した娘さんを持つ親から、子供さんが先に亡くなった話を聞いてきた。何事もなく人生を過ごせたのであれば、親が先に亡くなり、その後に子が亡くなるというのが一般的な順序となるがこうして順番が逆になるということを「逆縁」と言う言い方をするそうで、逆縁の場合、所によっては、親が火葬場に行ってはいけないという風習があるとか聞いた。
これは、子を失った親の心中を考慮して、親を苦しませないようにとの配慮から言われることとか、いずれにせよ子供が幼くても老齢であっても関係なく、 親にとって子供を亡くすことというのは想像に耐え難い辛さだろう。
*「義父90歳で6月、義母86歳で8月、長兄82歳で3月、義妹76歳で10月亡くなりました」
なんと一年のうちにまとめて4人もである。一枚の葉書に、今までの最高物故者数の羅列である。彼からは昨年も喪中挨拶状貰った。その時は身内の誰だったのかな?もう昨年の賀状等は整理して処分したのでわからんなぁ・・・二年続けての喪中である。
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いずれにしろこのコロナ禍の時代、しかも6月、8月は緊急事態宣言中の真っただ中じゃなかったかな?まともな葬儀は出来たんだろうか?と葬儀の方が気になるところである。
この歳になってくると賀状をやり取りしている世代もおんなじような者で身内を亡くしていくものが多い。俺も六人兄弟、兄嫁がひとり欠けたほかは、いまのところ皆健在である。しかしそのうち半分以上が八〇代にはいった。それにまだ義母が九六歳で健在でいる。何年後かには俺もこうして毎年喪中の挨拶状を出してるかもしれない。
義父のあと二ヶ月もせずして義母があとを追うのも言いようによってはめでたいことである。 いずれ人は死ぬ。いい加減な歳になったらこうして立て続けに往生したいものだ。それが「子孝行」になるか・・・
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*「誰が亡くなったかは書いてなくただ喪中につき失礼します」
喪中挨拶状には、添書きは書かないのが作法なのかほとんどの挨拶状が印刷文字だけである。そこには拙いながらも情感あふれる差出人の自筆の文字は見いだせない。年賀状であれば「元気ですか!」といつものありきたりではあるが下手でも自筆の文字は見ることができる。しかしこの喪中挨拶状には、それが見事に何もない。時にはただ喪中につき・・・とあるだけで誰が亡くなったかチャンと書いとけよと言いたくもなるがある。当事者にとっては、それは敢えて他人様に云うまでもないことで自分たちは今年は喪に服してますので失礼しますと言うのが本旨なんだろう。そんな挨拶状に、”あんた、元気か?”の添書きは矢張りないね・・・
そんな思いで彼からの喪中挨拶状を去年受け取っていたところ、今年の年賀状には添書きで彼の近況報告がなされていた。「亡き妻の料理には遠く及びませんが自炊生活もどうにか板についてきました。ただ話し相手が居ないことが一番身に応えます」と。なんと彼は去年奥様を亡くされていたんだ。俺の方は、悔やみの言葉も出さないまま今年も奥様連名のあて名書きのありきたりの年賀状を彼に送っていた。あ~ぁ
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*「夫○○は、九月十二日 78歳で永眠しました」
ご主人を亡くされた奥方より、今年は3通もの喪中挨拶状が届いた。先輩であり、同期であり、かっての同じ職場の仲間である。いずれからも今年の年賀状を頂いた。そこには身体不調のことは何も書いてなかった。同期は肺がんでと記されていたがあとの二人の死因は書いてない。何だったんだろう? この挨拶状、差出人が奥様になっている。差し出す相手先は、中には知己のものもいるだろうが大半が亡き夫の付き合い上の他人様、義務的に?出されたものもあるかな、逆に俺にとっては現役時代に大いなる恩顧を受けた人であり、人生を語り合った仲間でもある。突然の訃報に初めて接し、驚くもいずれもがもう何か月前のこと、今更奥様宛に弔意の便りを出すのもためらう気持ちなり。なんか弔意を表したがその時期はもう逸した。しようがないかなぁ・・・
妻が言う、”お父さんが亡くなったら、わたしパソコンの操作が出来ないから誰に出せばいいの?と。そうだよな、妻も俺がやり取りしている年賀状の相手を全部知っているわけでもないから困るだろうなぁ、”なぁーに、簡単だよ、今年来た年賀状と昨年末の喪中の相手に出しとけばいいよ”と答えておいた。あれこれと死んだあとも色々と大変だ。
よろしくお願いします。わが妻に子供達よ!
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