42期 徒然草
もうひとつのワールドカップ人生 谷口 日出男

   "防大でも受けてみらんですか?"

 そうか、防大に行けば、彼のようにこうしてサッカーもやれるんだ。久しぶりに見る彼のプレーがなんかあの当時と一段とレベルが上がったような感じを受けた。

 ブラジルでの技術者移民として入った建設省の外郭団体機関での研修生活も、その厳しさと己の人生に対する甘さを突き付けられ、夢も敢え無く崩れ去った。
 日々悶々とした目標の見つからない浪人生活は、すでに2年目に入っていた。県下で有数の進学校にはいりながらも、現実逃避する己の弱い性格から、時折線香花火的を揚げる学業成績も次第にドロップアウト、逃れるところは、映画や読書の世界であり、そして日々のクラブ活動のサッカーだった。
 高校サッカー部、当時は、コーチなんてのはいなく俺と同じような浪人中のOBが時折顔を出してくれるだけだった。今では全国制覇をした学校も出たほど県のレベルは上がっているが、当時の県下では、高校でサッカー部があるのは、6校程しかなく、頑張れば何とか上位に足?が届いた。
 そして県代表で隣県に試合に行くときは、米持参の普通列車の長旅だった。
 グランドも野球部と一緒で彼らが外野ノックをやるときは、俺たちサッカー部は、そこから爪弾きされた。サッカーなんて当時は、全くのマイナーのスポーツだったのである。

 一年後輩の彼は、現役で防大に行き、その夏に休みで帰って来、そしてまたこうしてこの母校のグランドで後輩たちとボールを蹴りあった。ほかにもOB仲間がいた。そんなOBのなかでまだどっちつかずにいるのは俺だけだった。なんか取り残されたようなみじめな気持ちだった。それまでも浪人中で暇なるがゆえに時折、デッケェー面(・・・・・・)をして後輩たちの練習に参加していた自分が人生の敗残者のような感じを受けた。
 親の勧める教育学部なんぞに行ってデモシカ先生になるのも嫌だ、土木工学部に入って将来はブラジルでダム建設の仕事に携わりたいと碌に勉強もしないで叶わぬ夢ばかりを追っていた自分がまだそこにいた。あの暮れなずむグランドでの語らい、そしてその夜の会合での語らいは、今でも心のどこかに残っている。惨めだったなぁ・・・
 

 "○○!そちじゃねぇだろう!こっちに走りこめよ!"

 防大のあの黒土のグランド、風が吹けば土ぼこりが舞い上がるし、雨が降ればもう泥んこの田んぼだ。一緒に入った同期で高校時代にサッカー部経験があるのは浪花のボンボンだった今は亡き島津と俺の二人しかいなく、早速に準レギュラーになれた。
 しかし何もかも一から出直しだった。キックひとつ、ボールを止めるトラップひとつも今までの我流のプレーでは通用しなかった。そんななか、高校時代の後輩だった彼は、すでにレギュラーの座を掴みつつあった。
 2年のブランクは大きく、彼との実力の差は完全に逆転していた。だが日々の練習では、高校時代の気持ちが抜けずに上級生の彼に怒鳴った。
 しかし、彼が居ればこそこうしてここでボールを蹴れるんだという感謝の意識は、どこかにあった。

 一年生の時、三四郎池のある東大御殿下のグランドでのリーグ戦に参加した。
 そこでの前の試合では、関東大学1部の早稲田の釜本が明治の杉山と張り合っていた。なんか俺たちと全然次元の違うサッカーだった。
 そのあと関東大学2部の試合が行われた。相手は、東大、負けた。試合後、防大サッカー部のアドバイザーの岡野俊一郎さん(元JOC委員で日本蹴球協会会長、東大出、こんな偉い?人が当時の防大チームのアドバイザーだったのだ)から戦評があった。

 "防衛大は、名前の通り、防衛してばかりじゃ勝てませんよ"と云われたのが今でも思い出す。
 その時、何も防衛ばかりしたくて防衛(デイフェンス)してたんのじゃないのにとも思った。相手が強かったのである。苦闘の校友会活動だった。
 ほかの大学チームが高校経験者、それも全国大会に出たような選手を集める一方、防大は、相変わらずの素人集団であり、精神力だけではもう太刀打ちできなかった。先輩たちの栄光を背負いながらとうとう、関東2部リーグから陥落、そして神奈川大学リーグでも上位校になれなくなってしまった。
 サッカーそのものの隆盛と防大での部活動の限界が時の流れだった。

 "まったく!あいつ、まだ寝てるのか!誰か起こしてこいよ"

 寝ぐせのついた髪にボォーッとした顔で、陸士長の彼がやっと営門まで出てきた。"今日は、外出届をしてないんです"と云う。このバカたれ!が、今日試合だというのはわかっていただろう、ゆうべはどうしたんだと聞くと、ゆうべは中隊の飲み会で引率外出をし、そこでチャンポンしたので飲みすぎましたという。スッタモンダしたあと、彼の部隊の当直幹部に許可を貰って、今日も引率外出ということで、営内者の彼を引き連れて県のリーグ戦に、みんなして車に乗り合わせて行く。
 試合は、彼の活躍で勝った。自衛隊チーム、強かった。
 しかし演習や災害派遣なぞあるともうメンバーが足りなくなり、やむなく不戦負けとなる。実力はありながら、リーグでの優勝は難しかった。試合後は、営内者たちを我が家に呼んで飲ませて食わせて時間までに帰した。
 チョンガー時代は、晩飯を食ってからじゃ走れないので営内者に飯盒飯を取ってもらい、風呂から上がって中隊の幹部室でみんな集まり、晩飯を食うのが楽しみだった。
 駐屯地のサッカー部、普通科あり、特科あり施設あり、武器科ありで諸職種連合だった。階級は、幹部から陸曹そして陸士諸官とまたがった。しかし、ゲーム中は、肩書抜き、兎に角強いやつがレギュラーだった。
 こうして異動の行き先々で、職種・階級を超えて、そんな駐屯地サッカー部の仲間たちができた。
 北は北海道から南は九州と全国各地と、今頃、みんなどうしているかなぁ・・・あの飲みすぎた陸士長もその後頑張って、幹部となり、数年前に定年退職した旨の挨拶状を貰った。あいつまだ走ってるのかなぁ・・・ 


 それから数十年、あちこちでサッカー仲間を作り、彼らと別れ、巡り巡ってまたここ九州に舞い戻ることができた。
 40を過ぎた身、もうあのころのように若者と一緒に走れることはできないなぁと寂しく思ってったところ、各地でボチボチとシニアサッカーなるものが登場し、それが市・県・全国単位に発展し、そして日本蹴球協会の公認大会となり、今では、もうジュニア世代に負けないくらいの?盛況となったのである。
 40代、50代、60代そして70代と10歳刻みの各年代のカテゴリーごとに全国大会が開催されるようになった。さらに、同じ70代といっても70と79では全然その運動能力に差が生じてきているので、今後は、さらにきめ細かくカテゴリーが設定されようとしている。
 そして80歳以上の全国大会も間もなく開かれようとしているのである。


 今年「国立競技場さようなら」のイベント行事があり、全国から抽選で選ばれた80歳以上200名ほどが集まり、東西に分け親善試合が行われた。
 俺の所属するチームからも81になる選手が参加した。80になると貰える金色のパンツで。因みに、この日本蹴球協会公認の大会に全国自衛隊大会もある。
 今年は、第48回目を数える。男子の部は海上、女子の部は航空の部隊が優勝した。女子の部は、2年ほど前から始まり、室内でのフットサルである。九州からも女子の部で、国分の部隊が出た。薩摩おごじょも頑張っているのだ。
 若い時代、何度か俺もこの大会に出た。この大会が始まったころの富士学校でのBOC入校時代、授業を休んで富士学校チームとして出場し、国立競技場で試合できたのがいい思い出となった。今じゃこんな鷹揚なこともできないだろうなぁ・・・


 あの当時思いもしなかったサッカー専用のそれも天然芝のピッチで全国のロートル強者(つわもの)どもといま、こうして、ボールを追っかけまわしている。この年になってこうして走れる喜び、そしてまだ上には上がいるもんだと更なる年配者を見ながら次への夢が湧く。勝負は、二の次だと云われるがだが、試合が始まるともう、ハッチャキになる。
 過去の実績(それがW杯に出たことがある実績者でも)社会的地位、分限者かどうか等、過去・現在の肩書は一切抜きである。
要は、いま走れて、ボールが蹴れてチームプレーができるものが大会の選手として選ばれる。現実は厳しいのである。
 従って、試合中にヘマしたり、プレーをさぼったりしたりすると、もう遠慮会釈もない年寄りであるが故に、しかもこの荒い県民性の気質から、ベンチから容赦のない叱声を浴びせられる。
 レギュラーの座を確保するためには、いつの試合でも気が抜けないのである。もう、年寄りいっぱいのこの世界、試合に出ても果たして日ごろ大言壮語しているほど使えるかどうか別にしてベンチには、交代者がうずうずして自分が出れるのを心待ちにしているのである。そしてこの年代の試合では交代自由、一回引っ込んだ者もまた出ていいようにしてある。

 そしていま、オーバー60及び70の全国大会にこうして、ここ静岡県藤枝市に来ている。日本代表長谷部キャプテンの出身地であり、市内いたるところに"長谷部選手 頑張れ!"の幟が建つ。サッカーどころである。
 申し分のない会場、いたるところで地元高校生がボールボーイとしてまたご婦人方々がボランティアとして大会の裏方となり、豚汁やおにぎりを提供してもらったりと心温まる支援をしていただく。
 各地のいつの大会でもこうである。有難いことである。感謝である。


 「心は、ブラジル、気持ちはここ藤枝で」のスローガンのもと、大会が開始された。日ごろの練習成果を大いに発揮すべきチャンスが与えられたのである。
 しかし試合結果は、九州代表として臨んだわが70代チーム、敢えなく惨敗。予選リーグ敗退となった。
 俺も打ったシュートがバーに当たったり、ゴールキーパの正面を突いたりとツキもなく、ノーゴールに終わった。みんなにかっこよく見せれなかったのが残念である。
 いつになっても自己顕示欲は消えないおのれが恥ずかしい? しかも年金生活者の身、折角九州くんだりから高い遠征費を払ってきたのに・・・これまた残念なり。

 しかし次がある。頑張らなくっちゃ・・・金パンツを目指して・・・


 そしてニッポンもまた残念なり。しかしそれが今の実力なんだ、嘆くことはない。
 今を見て、次を目指して これからもニッポン頑張れ!!