42期 徒然草
思い出深い台湾旅行(後編) 寺澤 武行

 田中君が投稿した「思い出深い台湾旅行」の後編を投稿します。

 5日間の旅行でしたが、3日目の夕方から持病の腰痛が悪化して、同期生の皆さんの世話になりながらの旅行でした。

 3日目

 台北駅で、田中君・吉田君と別れた後、台湾高速鉄道で高尾に向かった。高速鉄道は、日本新幹線の輸出で乗り心地はよく、車窓からは台湾の東側山地と海も見え、快適な2時間の旅であった。

 高雄のホテル「寒軒大飯店」に着いたのは、夕方だったので、すぐにシャワーを浴び、「六合国際夜店」に出かけた。

 評判通り、路上店が多くにぎやかだったが、我々も路上店に席を定めた。

 台湾では生ものに注意と言われていたので、できるだけ熱処理されたものを食べたが、みんなおいしいものばかりで、おなかの心配も吹き飛んだ。

 4日目

  現地人ガイドのTさんの案内で、高雄市内を観光した。

 高雄市内北部の「西子湾」は、中山大学の隣にあるきれいな港湾で、高雄の港湾としての重要性が感じられた。

 隣の寿山公園は、眺望がすばらしいところで、高雄市内から港湾まで、きれいに見えた。

 そこにも「高雄忠烈祠」があり、台湾人の戦没者への気持ちが分かった。

 次に「佐営蓮古潭」に行った。

 龍と虎の像がある竜虎塔は仏教の寺院で、塔内には仏教説話の壁画があり、頂上からは湖がきれいに見えた。

 付近には、孔子廟・道教寺院などもあり、台湾の宗教の実情が判った。

  次に、仏教寺院の「仏光山佛陀記念館」に向かった。

 仏光山宗派の大本山で、約100mの大仏がある大寺院である。

 昼食をそこの食堂で食べたが、精進料理でありながら、中華料理風のおいしい料理だった。

 足が元気なら大仏の直前まで行けたのにと残念だった。

 次に三地門に向かった。
 高尾族の一つのパイワン族とルイカ族の住む村で傾斜の多い地域である。
 きれいな吊橋があると聞き、元気組は吊橋を渡りに行った。

 私はガイドのTさんと待っていたが、一時間ほどの休憩中に聞いた話は、現地の人の実情を聞けて、有意義だった。
 Tさんは、埼玉県の毛呂山町の近くの城西大学の留学卒業生で日本語は上手で、日本の実情と日本人の考えを良く知っている人であった。

 台湾現地人は、日本統治を懐かしむ親日派が多く、中国国民党を嫌う謙中派が多いそうです。
 夕方は、お土産を買ってホテルに帰り、元気組はまた「六合国際夜店」で海鮮中心の夕飯を食べた。

 5日目

 引き続きガイドのTさんの案内で、台南の「鎮安堂龍虎将軍廟」に向かった。

 ここは1944年、米軍機と戦って被弾した日本の航空兵が、民家への墜落を避け、パラシュートの脱出をせず、田園地帯に墜落死した杉浦兵曹長を慰安するために造られた慰安堂である。

 現地の人たちから龍虎将軍と言われ、信仰の対象となっているが、これも親日の表れだと思う。

 この後は、台南の古城の「安平古堡」を訪ねた。
 17世紀の城で安平のシンボルであったと聞いた。
 この後は、台南市内を観光して、台北に向かうべく、台南駅に向かった。

 台南から台北へ高速鉄道を利用し、台北松山空港からは、羽田に順調に帰国した。

 この旅は、台湾の現状の一部を見せてもらったが、台湾国民の福祉に対する関心に驚かされた。
 台湾では町で車椅子の人の外出が多く、台北も高雄の地下鉄も、各車両の各ドアーに優先席があり、老人は常に優先席を譲られ、福祉を重視している国だと思った。
 高雄での現地ガイドのTさんの話では、小学校時代から障碍者の保護を教育されているそうで、日本統治時代からと言われ、昔の日本の良いところが残っていて考えさせられた。

 小生の腰の不調を助けられ、同期生の友情に感謝した旅であり、現地の人の親日感情に感激した有意義な旅であった。
 これからも台湾の事情に関心をもっていたいと思った。