42期 徒然草
福島県における除染作業に参加して 山田 和夫

 平成25年11月27日から今年の2月末日までの3か月間、白河郡西郷村(にしごうむら)での除染作業に参加した。東日本大震災の被害の大きさを見て、常々何か役に立てればと思っていたところ、年齢制限が「70歳未満」となっていたのでこの機会を失ってはならないと考え、すぐに申し込んだ。

1 全 般
 私が所属した株式会社JMSは自衛隊OBが主体となって設立された企業で、元請け企業である西松建設・佐久間組共同企業体(以下JVという)が西郷村から受注した除染作業の第1次下請け企業に位置する。JMSのほかに1次下請け企業が5社あって、JV全体の作業員は約120名であった。

 西郷村は那須丘陵地帯の裾野に位置し、別荘と住宅地が混在する牧歌的で自然の美しい地域である。西郷村の除染対象地域は数か所に区分されていて、JVが担当するのは黒川地区235戸の宅地と関連する山林であった。請負金額は約14億円、1戸あたりに換算すると約600万円になる。福島第一原発に近い葛尾村は、放射線量が高いこともあって全体の請負金額は数百億円といわれている。いずれにしろ除染業務全体では莫大な税金が投入されている。これだけの税金と労力を投入しても除染の対象になるのは福島県の「点と線」だけでしかない。広大な山林は、放射線量が高いまま放置されている。如何に原発事故の被害が大きく、人力の限界を超えるものか深刻に印象付けられた。



2 除染作業の内容
 国が法律で定めた許容放射線量は地上1メートルの高さ(空間線量)で年間1ミリSvこれは毎時0.23μSvに相当する。全国の多くの地域は概ね毎時0.04~0.08μSvであるが、西郷村では毎時0.82μSvであった。線量の強い双葉町の毎時10μSvに比較すればそれほど高くなく、住民は現に居住して通常の生活を営んでいる。ただし、雨だれの落ちる場所などホットスポットは毎時5~10μSvを示すことがあるので、宅地全体を除染作業で規定の毎時0.23μSv(地表面では毎時0.09μSv)以下に下げることになる。
 除染内容としては宅地除染と山林除染がある。宅地除染は、住宅の屋根・外壁・雨樋などを高圧洗浄機で洗い、庭木・防風林・側溝の剪定・除草・枝落とし・ゴミさらい、車庫などのセメント部のクリーナー洗浄などを行ったうえで、住宅とその周囲半径20mの地表を全て5センチ剥ぎ取る。ただし、雨だれ部位や下水部で線量の高いホットスポットは30センチ掘り除く。山林除染は、宅地除染に加えて山道の両脇10mの樹木の枝落としと枯葉を集める。そして、この汚染土や枝葉をフレコンという特殊な容器に入れて指定された集積場所に運ぶ。ところが集積場所が決まっていないので、実際は広場を仮置場とするか個人宅の庭に集めたままになっている。
 具体的作業は、例えば、地表面を5センチ剥ぎ取るといっても庭木は現物保存なので、地権者の了解なく切ったり植え替えたりすることができない。だから庭木の隙間を這いずり回って小さなクワで土を削り取る、ところが寒くて土が凍っているのでうまく削れない。電動工具やツルハシを使うと地下の配管を割ったり、凍土が塊になって20センチぐらい剥がれてしまう。村からは5センチ分の費用しか出ないのに多量の新土を入れると損失になるため、JVからは5センチだけ剥ぐよう指導が入る。
 また、周囲の除染が進むにつれて新しく作業する家では、隣家より少しでも綺麗にとの要望が大きくなるためか、次第に注文が増えてくる傾向がある。これも人情で、自然の成り行きだろう。一事が万事で、地権者の了解のもとに作業するので、根気のいる厳しい仕事になる。また、常に住民の目を意識している。時折「立って休憩ばかりしている」との電話が入ることもあるので、立ち居振る舞いを模範的にしなければならない。「立ちション」などもってのほか、一発で解雇になる。
 除染は、私たちが現場に入る前に詳細な測量、放射線量のモニタリング、地権者と調整して除染内容の確認(不在者が多いので大変時間がかかる)、作業区域の表示などの作業が行われて、それから初めて私たちの除染作業が始まる。作業においては、開始前後の放射線量の記録、作業過程の写真記録、JVの点検、そして村役場の点検がある。役場点検で線量が規定より下がっていないとやり直しになる。このやり直しは新規と同じ作業量になるので私たちとしては絶対に避けたい。そして最終的には汚染土を詰めたフレコンを最終置場に運ぶことになるが、これが何時になるかは決まっていない。除染作業がこれほど厳格に管理された作業だとは予想もしなかった。除染作業は法律に基づく業務、「ボランティア精神」でできるものではないとつくづく思った。
 全体の工期は昨年7月から今年3月までの9か月間だが、12月末までの6か月間で進度は約50%でしかなく、作業は大幅に遅れている。しかも12月以降例年になく大雪が降っているので作業できない日が続いている。結局2月は除染作業は8日間しかできなかった。

3 JMSについて
 当初30名態勢だったが、12月中旬に積雪のため作業ができなくなった双葉郡葛尾村の作業員が合流して40名態勢に増強された。主に自衛隊OBだが土木機械のオペレーターなど民間出身の人も交じっている。自衛隊OBといってもつい最近現役を退いた50代の人もいれば、50年近く前に1任期2年で退職した人など経歴は十人十色なので、所謂自衛隊的な雰囲気はほとんど見られなかった。
 作業は5~6個の班を編成して現場管理者の指示の下班長指導で個々の現場を担当した。私も班長に指定されて現場責任者として行動したが、私としては除染作業も土木作業も何も知らないので、技術的ことについては細かいことまで現場管理者に指導を受けながら行った。内容的にはそれほど難しいことはなかったので数軒担当すれば何とか対応できるようになったが、土木器材の種類・性能・用語などに慣れるのに時間がかかり、最初のころは戸惑うことがあった。

4 宿舎生活等について
 事前調整では民家を借りた自炊生活との連絡もあったが、西郷ではJVが準備した作業員宿舎でとても快適な生活が送れた。6月に建てられたばかりの新しいプレハブ宿舎で、約4畳の個室に冷暖房完備、真冬でもシャツ1枚で生活できる。隣室の音は筒抜けだが、疲れた体ではすぐに寝てしまうので問題なかった。
 食事は、朝夕2食は食堂で家庭料理が提供される。日額900円のうち半額を自己負担、昼食はまとめて仕出し弁当を頼む。風呂は大きな風呂が夜11時まで入れる。勤務は週6日で、日曜日は勤務も食事も風呂も休み。宿舎から50m位のところにコンビニがあるので食料・生活雑貨には苦労しない。白河市街まで約4キロ、しかし、バスは1日に4本しかなく、雪が降ると休業することが多かったので公共交通は不便だった。
 私は120人中の最高年齢者ではあるが、自分では若い人に負けない体力はあるつもりだった。ところが1輪車に積んだ汚染土を2人で協力して肩の高さまで持ち上げてフレコンに入れる際に、力が弱く低い側に多くの荷重がかかる。作業の初日にフレコンの金枠に挟まれて左手を打撲し、治癒するのに1カ月もかかった。その他、腕の筋を痛めたり、軽いぎっくり腰になったりと散々で、最初の1週間は本当にきつかった。その後、毎日朝晩腕立て・腹筋・腰の捻転などの運動を続けたおかげで、帰宅後に家内から逞しくなったとの評価を得るほど若返った(?)。
 ある日朝礼で、「コンビニに作業員が集団で入って来て解らない言葉で話すため、近所の奥さんや子供たちが恐怖心を感じている」と村長から苦情があったので、「店に入るのは同時に3人まで、作業服で行くな、大声で話すな」と所長から注意があった。そんな目で見られているのかと驚いた。しかし、よく考えてみればやむを得ないかと思い直した。私たちには「善意」の意識があるが、村の人達は、ある日突然に原発の被害を受けた上に、今度は「除染」という名目で知らない人たちが大勢やって来て、村の平和で穏やかだった生活を乱していると思っているのだろう。勿論行き交う多くの子供たちは挨拶を交わしてくれるし、通学バスから手を振ってくれる。笑顔で接してくれる村人も多いが、複雑な住民感情の一端に触れた気がした。

 自衛隊退職後の第2の仕事も定年になったのち、心の底には社会とのつながりが切れてしまったような寂寞感があった。70歳に近いこの年でこうした仕事に就く機会に恵まれて本当に良かったと思っている。わずか3カ月という短い期間ではあったが、若い人たちに交じって社会の一員として仕事ができた。しかも、約120人の仲間が同じ宿舎に寝泊まりし、同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入るという、半世紀も前の防大の学生舎生活と似た環境での毎日だった。一挙に50歳も若返った気分にもさせてもらった。私の人生にとって大変貴重な体験であり、忘れ得ない想い出ができたと考えている。
 以上

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「福島県における除染作業に参加して」を読んで 田中 征之
 
 大変、ご苦労様でした。
 若い人でも大変な作業をやり通して、その現役時代に劣らぬ志と体力・気力は凄いですね。恐れ入ります。

 自衛隊OBでも多分経験した人は少ない除染作業をボランティアではなく、仕事として、国のかなり厳しい作業基準で 実施したのは貴重な経験であり、後に残す記録でもあります。
 莫大な予算と人力をつぎ込んでも除染できるのは点と線、広大な山野はそのまま残される、原発事故の影響の大きさを 思い知らされる、また現地、福島住民の複雑な感情があるというのは実感でしょうね。

 ホームページ読者も感銘を受け、様々な読後感を持つ事でしょう。