42期 徒然草 | |
四万十川を歩く(前篇) | 山田 和夫 |
3年前のお遍路に続き、素朴な人情と豊かな自然が残る四国・四万十川の源流を訪ねる歩き旅を行いました。 予想以上の暑さの中、前半の3日間は軽い熱中症で体力消耗に苦しみましたが、後半は体調が回復して順調に歩くことができて遂に源流に到達しました。 期 間: 平成25年7月25日(木)~8月4日(日) 11日間 (歩いた期間は7日間) 距 離: 200キロ 1日平均29キロ 1 準備 インターネットの情報はほとんどが車を利用したグルメの旅ばかり。歩き旅の記録は見つからなかったので、キャンプ場情報に絞った。地図はマピオンの地図データを縮尺約1/8000でコピーして利用した。携行品は品目ごとに区分けして濡れないように全てビニール袋に入れた。重要品を入れた小さなバックを体の前に着けて、テントから離れる時などは前バックだけを携行すればよいようにした。 体力連成は、同じ重量の装備を背負って30キロ歩き、途中の公園でテントを展張して機能を確認する日帰り歩行を1回実施した。体力的には全く問題なかった。しかし、3年前のお遍路の際に3列のゆったりした高速バスを利用したにもかかわらず、体を自由に動かせないことで腰に痛みを感じたので、徳島まではフェリーを利用することにした。 ![]() 晴海のフェリーターミナルは大きな建物で、以前は3社が利用していたが、現在は旅客が乗船できるのはオーシャン東九フェリー1社のみになってしまい、待合室は閑散としていた。 今回乗船した「おーしゃんのーす」号は、船室は2等寝台だけ、食堂を廃止して自販機で提供するという極限まで省力化を図った船だ。 1996年建造の11,100t、トレーラ・トラックなど車両約200両と旅客150名を搭載できる。最近はやりの豪華客船に比べるべくもないが、私は船には酔ったことはないので、それなりに船の旅が楽しめると胸がわくわくする。 19:30出航、翌日13:30徳島到着までの18時間の船旅が始まった。 フェリーには、エントランスホール、オーシャンプラザ(各種自販機、喫食・喫茶室)、展望ロビーなどの多彩な共用設備が準備されている。旅客室は、2人用~20人用の部屋があり、約50人の客が各室にバランス良く割り当てられ、私は6人室を3人で利用することになった。 自販機でいつでも好きなものが食べられる。メニューも豊富で、価格も予想に反し陸地と同じに設定されていたのが好感を持てた。また、展望浴室が乗船間はいつでも利用できるのが本当によかった。10人ぐらい入ることができる風呂で、歩いている間は風呂には入らないので出航直後と翌朝の2回利用した。 徳島からは、高速バスで高知に行き、JRに乗り換えて土讃線~土佐くろしお鉄道経由で土佐入野に向かう。四万十川河口までは20キロ近く離れているが、駅からすぐ近くの、お遍路の時に利用したことのある土佐西南地区大規模公園で初日のキャンプを張った。 2 第1日(7月27日 土曜日) 涼しいうちに距離を稼ぐため5時にキャンプ地を出る。3年前に通った道を気分良く歩いた。ところが心地よい歩き旅はほんのひと時だけで、海岸沿いの旧道はかなり起伏が激しく、太陽が上がると一気に日差しが強くなった。更に、海に近い割には風がなく、アスファルトの照り返しが厳しく、大量の汗をかいて一挙に体力を消耗してしまった。 ![]() 間もなく河口というときに足がつって歩けなくなった。脱水症状だ。休み休み歩いて9時過ぎに漸く河口に到着した。作業小屋の日陰で大休止する。風はほとんどないので、裸になって涼しいところを探してもぐりこんだ。1時間ぐらいしたら少し落ち着いたので歩きを再開、最寄りの自販機で十分に水分を取ってゆっくり歩いたが、疲労感が抜けない。予定を変更して最も近い約10キロ先の四万十川キャンプ場でテントを張ることにした。 ここは河川敷を利用したとても広いスポーツ施設で、野球場、サッカー場、多目的広場、その上流にキャンプ場がある。川から大分離れているが、とにかく体を冷やすためにまず川につかる。水温はやや温め。水は綺麗で、川底の藻にまとわれた石が透き通って見える。キャンプ場はテントが何十張も張れる広さがある。 朝食休憩では食欲がなく、パンが喉を通らない。家を出るときに準備したおにぎりがまだ残っている。捨てるつもりだったが、まだ大丈夫そうだったので朝食代わりに食べた。その後、途中にはお店もなかったし食欲も回復しなかったので、結局今日の食事はこのおにぎりだけだった。 歩いた距離:31キロ 3 第2日(7月28日 日曜日) 5時ごろ雨音で目が覚める。たいした降りではなく空には一面の黒い雲。歩くには好都合だ。相変わらず食欲はなく、おかず用の金時豆をつまんで朝食に代えた。 思ったほど風はないが、時折吹き下ろす川風が心地よい。いつの間にか雲はなくなり、強烈な太陽が照りつける。12時半ごろ、川登の部落に雑貨店があった。ところがパンも弁当もなく、食欲をそそるものは何もない。もともと農家相手なのでコメの弁当は置いていないし、冷蔵設備もないのでパンといっても食べたいと思ったサンドイッチはない。更に週末は配達がないので本当に何もない。13時半ごろ、かわらっこキャンプ場に着き、食堂でカレーライスを食べる。美味しかった。 14時半、「釣りバカ日誌」のロケ地になった勝間沈下橋のキャンプ場に着く。早速パンツ一丁になって子供たちに混じって水浴びをした。体が冷えて少し元気になったので石だらけの河原にテントを張った。相変わらず食欲はない。夕食はリンゴだけだったので、結局今日も昼のカレーライス一食だけになってしまった。 歩いた距離:27キロ 4 第3日(7月29日 月曜日) 7時出発、四万十川の雄大な流れに沿ってどこまでも続く緩やかな登り道を歩く。疲れはあるが、マメもできず節々の傷みもないので適度に休憩すれば歩くことに支障はない。 9時過ぎ漸く見つけた雑貨店で買ったバナナと牛乳で朝食にする。大量の汗をかき疲労感が激しいので2~30分おきに休憩をとりながら歩く。12時、吐き気があり、朝食代わりのバナナとジュースなどを出してしまう。13時、食堂で親子丼を頼んだが、半分ほどしか食べられない。食べ物は残さないことが自慢だったのにちょっとショックだった。 ![]() 14時半、江川崎の宮地キャンプ場に到着。ここは翌週に41℃の日本最高気温を記録したところ。蒸すような暑さだったが商店が近くにあるので、食欲をそそる食べ物が見つかるかもしれない。早速水浴びで体を冷やす。川では泳ぐことはなく、膝上ぐらいの深さで流れにさらわれないよう川底の大きな石を手で掴んでじっとしているだけだ。 日が陰るにつれて鳥の声が大きくなり、近くの藪、対岸の雑木林などからいろいろな鳥のさえずりが聞こえる。頭上の高圧線にはトンビが2羽止って、川魚を狙っている。くるりと輪を描きながら急降下してすぐ傍の水面をかすめる。一方、流れに抗して水中で体を支える手には多数の小魚がまとわりついて、角質を食べるかのごとくついばんでいる。期せずして今流行の角質美容を四万十の川で体験することになった。長閑な情景のおかげで生き返る。 食べられると思って買った寿司も豆腐も喉を通らない。ところが普段は飲まないビールを飲んだところ、喉越しのジョワッとくるのが何とも言えない爽快感だ。寝ようとしたが先ほどのビールの味が忘れられない。暗い中のこのこ出かけてもう1本買う。これも素晴らしく美味しかった。こんなに美味しいビールは生まれて初めてだ。 この3日間、熱中症による疲れのため予定がだいぶ遅れ、計画では2日で歩く行程に3日かかっている。食事が摂れないまま歩き続けるのは危険だ。もし明日の朝も体調がすぐれないようであれば、残念だが歩き旅を中止して最寄りの江川崎駅から帰宅することに決めた。 歩いた距離:25キロ |