42期 徒然草
筑波山西側を歩く 山田 和夫

 今年(2016年)の夏は、これまでにないほどに暑くなるといわれており、5月も半ばを過ぎてその片鱗を思わせるような暑い日が続きました。この夏の暑さを乗り切るためには、早い時期から汗をかいて体を慣らしておく必要があります。

 
 今日も夏日になるようで、こんな日は絶好の歩き日和、久しぶりにつくば路を歩くことにした。


 いつものように筑波山の麓まで車で送ってもらい、今日は筑波山の西側を水戸線の岩瀬駅まで歩くことにする。




 車を降りて、県道を少し戻って自転車と歩行者専用のりんりんロードをのんびり歩く。


 りんりんロードは1987年に廃線となった筑波鉄道の線路跡地を利用して作られたもので、土浦から終点の岩瀬駅までは約40キロ、起伏やカーブが少なくて歩く者にとっては単調ではあるがとても歩きやすいコースといえる。


 歩き始めたのは丁度半分の土浦から20キロの地点になる。周辺には看板や騒音もなく、平日であるため自転車も人も少ないので、田園風景を十分に楽しみながら歩くことができそうだ。


  国松付近のりんりんロード脇に、直径40㎝ぐらいでドーム型の白い容器が据えられている。
 掲示板によれば、これは「国土地理院」が設置した「距離標準比較基線場」という計測器で、りんりんロード沿いにはこの位置と土浦寄りの高岡付近、そして国土地理院の敷地内の合計3カ所に、それぞれの位置を厳密に測って設置されている。

 各種の測量機器の機能点検に使われるもので、正確な経度・緯度の決定、地図の作成、土地の面積の測定などに必須の施設だそうだ。
 最近、新田次郎の「剣岳(点の記)」を読んで、「三角点」など国土地理院の仕事に若干の興味を持っている。

 東関東大地震でも、熊本地震でも、更には度々起きている茨城県地域の小さな地震の度に、こうした「測量基点」の再測量が行われているのだろう。
   県西地方からの眺めが美しいとされる筑波山、いつもは東側から見ることが多いが今日は西側からその美しい姿を見ることになる。
 写真遠景の二つの峰の向かって左が女体山(877m)、鞍部を隔てて右が男体山(871m)になる。(男体山の右手前のやや低い峰は別)。

普段は静かで人影のない田園地帯だが、この時期は田植えや畔を整える人々の姿が多く見られる。
 熊本地震では田への導水路が壊れたため田植えができないと報道されているが、改めて注意して見ると大小の水路、堰や取水口などが縦横に張り巡らされており、米作りにとっての水の重要さがよくわかる。
  11時ごろ真壁町に到着、その昔、領主・真壁氏が関ヶ原の戦いで西軍について敗れたため1602年に廃城になってしまったが、城下の古い町並みは当時の姿を色濃く残している。

 旧家の重厚な門や築地塀、木造の町屋、店舗を兼ねた見世蔵など伝統的な建物が約140棟もあり、伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 写真手前の建物は土蔵だが景観を維持するため木壁で囲っており、町の人たちの伝統と景観を守る努力が感じられる。

 また、毎年ひな祭りにはこうした家屋に古式ゆかしいお雛様が飾られて、「真壁のひな祭り」には多くの見物客を集めており、先ごろのNHK総合テレビ日曜日の「小さな旅」で紹介されていた。
   また筑波山西部地域は花崗岩の産地でもあり、真壁には昔から多くの石材店があって庭先には所狭しとばかりに石造りの作品が置かれている。

 写真の石仏は路傍に置かれていたもので、とても可愛かったので記念にパチリ。
  真壁からは県道41号線を歩き、12時ごろ雨引観音(楽法寺)への分岐点に差し掛かる。雨引観音は、加波山から北に流れる峰伝いの山の中腹にある。

 経路沿いにはコンビニも食堂もないので、そのまま登ることにした。途中で車道から分かれた昔の参拝古道を登る。

 写真の石碑には『坂東三十三カ所第二十四番札所 雨引山 楽法寺』と刻まれている。

  森林浴を兼ねつつ鬱蒼とした灌木林と竹林を通り抜けると山門前に出る。雨引観音は、子授かりを願う人や安産を祈願する人の参拝が多い。

 私は、近く授かる予定の初孫の安産と家内安全を祈ったのち、帰途に就いた。元来た道を下って41号線を進むと真壁町から途絶えていたりんりんロードが復活していたので、そちらを1時間ぐらい歩いて3時ちょうどに終着点の岩瀬駅に着いた。
 
  *歩数              37,000歩
  *距離           28キロメートル
  *消費エネルギー   1,900キロカロリー