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常磐線で友部駅に、水戸線に乗り換えて09:30羽黒駅に到着した。
駅前には商店一つもない寂しい駅、早速加波山に向けて歩く。
畑の中の岩瀬日本大学高校を通過して北関東自動車道のガードを潜り、猿田小学校前を右折して細い道を道なりに登る。
標識がないので注意しながら急な坂を登ると尾根道に突き当たった。
標識に従い加波山方向に進む。
起伏の少ない歩きやすい道をしばらく進むと次第に道が狭く、急になっていく。
30分ほどで石段に突き当たり、その上に加波山神社拝殿が見えた。 |
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標高709メートルの加波山は筑波山の877メートルに次ぐ高さで、古来真言密教の修業の霊山であり現在でも修験者による行事が行われているという。
頂上に至るまでにいくつかの本殿、拝殿が登山道沿いの狭い場所にしがみつくように建てられている。
頂上付近の本殿で昼食休憩をとった。
途中めぼしい場所がなかったので羽黒駅から休憩なしで歩いて12時になっていた。
登山客は筑波山に比べて格段に少なく、登山道も社もどことなく寂れた様子だった。 |
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下り始めて間もなく、少し広くなったところに航空機事故で亡くなった航空自衛官の慰霊碑があった。
碑には遭難者の氏名と「昭和37年9月20日19時44分」と刻まれており、夜間山腹に激突したことが想像された。裏には航空自衛隊の部隊や関係者の表記はなく、発起人として神主さんと多くの消防署員の名が刻まれていた。
気になったので調べたところ、故堀川3空佐はかつての神風特攻隊の生き残りで、航空自衛隊には創設時に入隊、事故当時は熊谷の操縦学校教官として夜間操縦訓練中だった。
過酷な戦場を生き抜いた人の数奇な運命を悼んで、同期生や友人たちが慰霊碑を建立したのだろう。 |
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少し進むと木立の間から突然風力発電のプロペラが見えた。
小松崎都市開発という民間会社が運営する「ウインドパワーつくば風力発電所」である。
"肌に心地よい風"程度の微風だったが、腹に響くような重低音を発しながらゆっくりとプロペラが回っている。
これが強風だったらかなりの威圧的な騒音になるだろうと思った。
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近年の度重なる豪雨で登山道がかなり荒れている。
轍が削られ登山道そのものが水路になって歩きにくい部分があたため、良い道を選びながら歩いていたところ道を間違えたようだ。どんどん下っていく。
途中でおかしいと気付いたが元の坂道を登るのも嫌だったのでそのまま下った。
下りきったところの標識を見ると、なんと登り口とそれほど離れていないところに出ていた。時はすでに1時半。本日の宿、国民宿舎「つくばね」までは約20キロもある。急がねば!
舗装道路を歩くことにし筑波山系を右に見てフルーツラインをひたすら南に進んだ。
1時間半ぐらい歩いた時、足尾山ときのこ山の間で3~4個のパラグライダーが飛んでいるのが見えた。
霞ケ浦方向から吹いてくる微風が山に当たって吹き上がるので、パラグライダーには適しているのだろう。
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上曽交差点の道路標識によると、国民宿舎まであと12キロ、もうひと踏ん張りと歩度を上げる。
小幡交差点付近のコンビニでアイスを食べ水分補給して、国民宿舎に向けてなだらかな坂を上っていく。
日帰り温泉「ゆりの郷」を過ぎてから坂が急になったがもうひと踏ん張り、漸く6時に予定よりかなり遅れて宿に到着した。 |
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宿泊者の看板を見ると「土浦市 〇〇様」のみの表示、「エッ?エー!」と心の中で叫び、たった一人のために多くの職員の手を煩わせて申し訳ないと思いつつチェックインした。
「つくばね」は何度か泊まったことがあり、疲れた体で入る風呂も気に入っているが、何よりも早朝の日の出の様子がとても素晴らしい。
見逃してはならじと、目覚ましをセットして就寝した。 |
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翌朝8時に「つくばね」を出発、筑波山の女体山に向かって林間の小道を進む。
1時間ぐらい歩いた時、向こうから男性が一人歩いてくる。昨日以来山で人に会うのは初めてだ。
挨拶をと思いふと見ると、何とその人は吹矢仲間のSさんであった。
こんな山の中で会うなんて、あまりの偶然に驚いてしまった。
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女体山へは筑波高原キャンプ場の登山口から登った。
岩場の多い御幸ヶ原コースやおたつ石コースに比べると、こちらの登山道は土の道でなだらかなのでとても登りやすい。
10時ごろ頂上に到着、天気も良く霞ケ浦がきれいに見えた。
昨日からの疲れで下り道では体重を支え切れそうもなく危険なので、御幸ヶ原からはケーブルカーを利用して下山した。
その後、筑波神社にお参りして、いつもと同じに北条~大曾根~筑波大学を経て6時半に帰宅した。
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