42期 徒然草 | |||
バルト海のほとりにて | 山田 和夫 | ||
田中君が投稿した6月の「ぞろ目会」の記事で杉原千畝氏のことが記述されていました。 2015年12月に公開された映画「杉原千畝」を観た際に、感ずることがありレポートにまとめていました。折角の機会だと思いそのレポートを先日投稿しました。 その時にいろいろ調べた中で、杉原千畝氏と前後するほぼ同じ時期にバルト三国とスウェーデンの駐在武官だった小野寺少将を知り、夫人・小野寺百合子氏が記述した本の読後感もまとめてあったので投稿します。 バルト海のほとりにて 小野寺百合子著 共同通信社 世界中が非常にきな臭くなってきた昭和10年代の10年間を、少佐から少将にかけて駐在武官としてバルト三国とスウェーデンで、そして間に挟まれた一時期を中国の上海で情報活動に従事した小野寺信(まこと)氏について、妻・小野寺百合子氏が見た在外公館、情報活動、社交界そして子供たちとの別離の生活を綴った回顧録である。 1 小野寺信の活動
2 小野寺百合子の活動 小国の駐在武官は夫人同伴の赴任が前提で、夫人に暗号電報の解読と作成、暗号書と乱数表の管理を行わせた。従って妻・百合子は軍人でも外交官でもないのに、夫の小野寺武官が入手する国家機密に関する情報に日常的に接していた。 武官夫人として、各国駐在武官団との社交は情報活動の基礎となる良好な人間関係を作る絶好の機会であり、ディナー、ランチ、ティー等の公式パーティから婦人だけのティーパーティなど多忙な日々を送っている。 このための食事や飲み物、社交用の衣服、食器、家具調度品のことなど、女性ならではの視点で駐在武官の任務遂行に貢献した。 3 感想 本書の著者・小野寺百合子は、戦後は『ムーミン』などの北欧児童文学の翻訳者として広く知られている。 あとがきによれば、夫・信は全力で情報活動に当たったが、日本の開戦を防げなかったことに自責の念があるためか、自分の行動記録をまとめることはしなかった。 百合子は「人に認められなかったとはいえ、正しいと信じて努力した行動の軌跡は正確に記録にとどめておきたい」として、本書を記述したという。 ドイツ軍が英国かソ連かいずれに侵攻するかは日本軍の重大関心事であったが、ドイツ軍がポーランド国内に大兵団を集結させていることについて、在ベルリンの大島大使は「侵攻に先立つ兵士の休養のため」とのドイツ軍の説明を信じて「英国に侵攻する」と報告したが、小野寺大佐はドイツ軍が対英爆撃で航空戦力を消耗していることと集結している部隊が膨大な量の棺桶を準備していることなどから、ドイツ軍の「ソ連侵攻」を報告した。 情報活動の結果多くの断片情報を入手するが、それをどう判断するかが重要なところ。 小野寺大佐の冷静な判断が際立っているが、大島大使は陸軍中将まで上りつめた人、ドイツへの傾倒ぶりは有名であるとはいえ、もっと視野の広い判断ができなかったか疑問に思う。 しかし、当時の陸軍中央はドイツと組んで国力を増大する考えで凝り固まっていたので、もし小野寺大佐のような冷静かつ中立的な考えの人が軍中枢に近い所にいたら、殺されていたかもしれない。 遠く離れた中立国スウェーデンであったからこそ、活躍できたのだろう。 情報活動は相手と深い信頼関係がなければ成功しない。 小野寺大佐はポーランド人スパイを命がけで守って多くの貴重な情報を得た。 こうした小野寺大佐の情報活動は現地では高く評価され、スウェーデン王室及び軍とは、戦後も「将官の礼」で迎えられるほどの信頼関係を築いた。 2013年アルジェリア人質事件や翌14年のジャーナリストの後藤健二さんがISILに拘束された事件では、政府は急きょ臨時大使や副大臣などを送り込んで、情報を得ようとしたが期待する効果はなかった。 軍人同士の交流には軍人以外は入り込めない独特な雰囲気があるため、軍にかかわる情報を得るためには防衛駐在官(自衛官)を活用することが必要であり、長い時間をかけて信頼関係を醸成しなければならない。 そうした意味で、どんな脅威に対し防衛駐在官をどのように配置するかは重要な国家戦略であると思う。 平成28年7月30日NHK総合テレビで、終戦スペシャルドラマ「陸軍武官・小野寺夫婦の戦争」が、出演:香川照之、薬師丸ひろ子で放映された。 「陸軍武官・小野寺夫婦の戦争」で検索すればネットで動画を見ることができる。 |