42期 徒然草
靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者墓苑及び市ヶ谷駐屯地殉職者慰霊碑の参拝 山根 嘉大


 去る平成30年7月18日、真夏の酷暑・炎天をものともせず、戦没者と自衛隊殉職者をお祀りする靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者墓苑及び市ヶ谷駐屯地殉職者慰霊碑を参拝し、尊い御霊を慰めました。

 今回は偕行社の月例参拝行事でしたが、同期の吉田満君から強い参加希望があったので一緒に参拝しました。

◎ 靖国神社:参集殿に集合、参拝者紹介、宮司の挨拶の後、国会議員達の靖国参拝でTV等によく出る渡り廊下を通って昇殿し、お祓いを受け、榊を捧げ、かしわ手を打って戦没者の御霊を慰めました。

 また、神社境内で縁のある「憲兵の碑」と「前橋陸軍予備士官学校相馬原会の植樹」にも足を運び故人を偲びました。

◎ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑:バスで移動後、墓前に進み白菊を献花し、御霊を慰めました。

◎ 市ヶ谷駐屯地殉職者慰霊碑:
 再度バスに乗車、市ヶ谷駐屯地に入門し、殉職者慰霊碑前で黙とうを捧げ、若くして殉職した12班故村永士郎に想いを馳せました。

靖国神社にて吉田(左)、山根(右) 
殉職者慰霊碑前にて山根(左)、吉田(右)

  ―靖国神社境内、「憲兵の碑」の前にて―
 吉田君の父親は陸軍特務機関の憲兵で終戦直後の混乱時、旧満州国三江省桂木斯(チャムス)市で、ソ連軍の進駐まで憲兵の軍服を脱がず市内の治安の維持にあたり、捕虜となってシベリアで森林伐採等の強制労働に服した。

 捕虜仲間には瀬島龍三氏がいて、囲碁友達だったとのことである。

 日ソ共同宣言後11年間の抑留を経て最後の帰還者として帰国し、その後毎年のように戦友達とこの碑前に詣でていたとのことである。

 吉田君は靖国神社に参詣時には、必ずこの「憲兵の碑」にも参拝するとのことである。

  ―靖国神社境内、前橋陸軍予備士官学校相馬原会が植樹した木斛(もっこく)の傍らで―
 私の叔父(母の弟)古賀四郎陸軍少尉は前橋陸軍予備士官学校卒業後、配属先の満州から硫黄島へ派遣され、その後玉砕戦死しました。

 昨平成29年2月古賀少尉が身に着けていた日章旗が米国で見つかり、家族が引き取りに渡米し70数年振りに家族の手に戻りました。

 その後、私も参列して4月に故郷の大牟田市で、8月には靖国神社で慰霊行事を行った後、現在は大牟田市の郷土博物館に納められています。
 


 今回の靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者墓苑及び市ヶ谷駐屯地殉職者慰霊碑の参拝は、国に殉じた先人達の遺徳を改めて実感する良い機会となりました。