42期 徒然草 | |
ベトナム・カンボジア旅行 2 | 米堂 征男 |
3日 11時に飛行場へ、VIPルームで昼食にサンドイッチを食べましたが、まずい、パンが固い、挟んでいるハム、ベーコン、チーズ、野菜が不味い。仕方なしにジュースとコーヒーですます。 カタール航空でプノンペンへ。約1時間弱の飛行、入国審査で1人20ドル普通は1月ですが、我々は1年のビザ。どういうわけかダウン症の息子だけ指紋採取。他の人はせず。飛行場の規模は女満別空港に毛の生えた程度、入国審査と税関が有るのが違いくらいか? タクシーでトンレサップ川(メコンの支流)の川べりにあるホテル『Amanjaya Pancam』に。 夕食前にホテル近くでカンボジアマッサージを、フロントで「女性それとも男性」と聞かれ、少し女性にしようかななどと思いましたが部屋がカーテンでしきって薄暗いので男にしました。 1時間受けて7ドル、身が軽くなって、こんなに安くていいのかな?と思いながら外に出ると、行くときにもいた若い裸足の母親と素っ裸の赤ちゃんまだ路上に母親は座り、子供は寝ていました。 夕食はトゥクトゥクに乗って何故か北朝鮮(大使館に隣接)直営のレストランへ、レストランに入ると3列ある客席の真ん中の列の舞台の真ん前、両隣には中国人たちが座っていました。 給仕は美人で若い女性達5~6人がしてくれました。客の注文が一段落すると、この女性達がミュージックに合わせてあっという間に着替えて踊り、カラオケに合わせて歌い、ドラム、ギター、ベース、サックス、キーボードを演奏してくれました。 この女性達は所謂『喜び組み』なのだそうです。それに英語と中国語も堪能でした。たいしたものです。でも日本語はだめでした。 4日 0730ホテルを出てバスターミナルへ、ここからアンコールワットのあるシムリアップヘ、予定では6時間のバス旅行のはずでしたが、3~4年ほど前には立派だった道路が、数箇所(結構長い距離でしたが)舗装がはげガタガタで道幅も広くなって上りの車も下りの車も左右に入り乱れて夫々勝手に良さそうな所を走っていました。そのため7時間もかかりました。 バスはうるさいヒュンダイだし、すっかり疲れてしまいました。 ![]() 途中昼食休憩があり、まだあまり食欲のない状態でしたがカンボジア米の所謂ピラフはその歯ざわりといい味と言い期待を裏切って大変美味しく食べることができました。一寸単純だけれどもカンボジア米は旨い! 途中の景色はベトナムと大して変わらず、まったくと言っていいほどアップダウンがありません、ただひたすら平地を何時間も走行することに、メコンデルタの大きさにただただビックリ!関東平野が日本では大きいと言っても1kmもいかないうちに必ず坂があります。メコンデルタは山らしきものがあっても遥か離れたところに時々現れるぐらいでした。 道路沿いには延々と小さな店が並んでいました。店と言ってもほとんどが柱と屋根だけの簡単なもので、またところどころにハンモックが沢山ぶら下がっていました。おそらく休憩だけでなく宿泊にも使っているのではないかとおもいます。 それにしてもバイクが荷物だけでなく人間も1~4人も乗って並走逆走していました。日本では考えられない風景、アバウトでいいな~!それだけではありません、交通量の激しい幹線道路を悠然と歩いて人だけでなくリヤカーみたいな物を押して横断したりするんです。 日本では信号が青で横断歩道を渡っていながら何故交通事故に会うのでしょうか?きっと憲法9条と同じなんでしょうね、条文に書いてあるからそんなことはないと思っているのでしょうね。他人は信用しても必ず確認しなくてはいけないですよね?善人ばかりではないのですから。 シムリアップに近づくと、幹線道路沿いに『籾』を延々とブルーシートの上で干していました。こんな風景日本にもあったのかなー? ![]() 3時ごろ『Borei Angkor Resort&Spa』に到着。星が5つ付いている。立派なホテル。夕食は『PUB STREET』へ。 食事前に面白いソフトクリームを食べました。平仮名の「し」の形をしたもので2ドル。私もレストランをやっているときソフトクリームを作っていましたが、コーンに渦巻きを作るのがなかなか難しく技術が必要でした。その技術の必要性がないのでこれはいいと思いました。 値段もマーマーです。食事はカンボジアでメキシコ料理。 食後みやげ物を買いに、何故かそこに関西訛りのカンボジア女性、ここで日本語を勉強して、2年間日本で生活したそうです。ほぼ完璧でした。翌日にもそこに通いました。 そこでこんなことがありました。家内と娘が絹のショールを店の女性と交渉して「5ドルでいいよ」と話しているとき、突然横から現れた2人の女性が家内が持っていたもの取り上げてハングルであーだこーだ。その韓国人が値段を聞くと「25ドル」、その値段で売ってしまいました。そして我々に向かって「韓国人嫌い、行儀が悪いから」と言っていました。何となく嬉しくなりました。 ホテルに帰るとき乗ってきたトゥクトゥクのドライバーが目ざとく見つけてさっと横に、そのタイミングが素晴らしい。 5日 4時ごろから雨音が激しい、それでも5時にホテルを出て、昨日のトゥクトゥクに乗って日の出のアンコールワットを観に。 アンコールワットの数キロ手前に横道に入って料金所へ、20ドルで写真入りのパスを作ってアンコールワットへ、沢山の観光客が来ていました。もう雨はポツポツでしたが日の出は無理と言うことでホテルに引き返し朝食を摂りました。バイキングでしたが星の割には充実していませんでした。 800~1000年前に、このカンボジアにこの様な広大で(東京23区内に匹敵すると言われている)素晴らしい石造りのしかも彫刻を施された建造物を作ることができるほどの力と技術がこの地にあったのに、今は何故「う~~~ん!」盛者必滅なのかな、もしかして今の日本はその入り口にいるのではないか、驕れるもの久しからず、いつも謙虚でありたいものです。 徳川家光の命で仏教の聖地である祇園精舎を視察した所がアンコールワットだと言われているそうです。 ![]() 昼食後は水上生活者を観にトゥクトゥクで40分ほどで船着場に、水路に沿って進むと数十軒の高床式の家屋の集落。 子供の教育は、飲み水は、トイレは、収入はといろいろといらない心配してしまいました。 この集落を過ぎるとトンレサップ湖にでました。 『海です』 雨季でしたので約1万平方キロメートルの広さになるそうです。ちなみに琵琶湖は670平方キロメートルですので、想像がつきません。乾季はその広さは1/3まで縮小するんだとか。 ![]() 6日 昨日に続き5時にホテルを出る。今日も料金所でパスを作ってもらう。東の空の低いところに雲が少し出ているが、何とか期待できそうです。 写真を撮っていると、隣から日本語が、茶髪の兄ちゃんと現地のガイド。「どこから?若いよね?」「神戸なんですよ。21です。イヤー、素晴らしいですよね!この景色!」 40分ほど御来光を堪能してホテルに戻りました。 0930のレシプロ機でプノンペンへ。上空に上がって驚きました。あたり一面水だらけ、バスで来たけれど、道らしきものは、かすかに細い線が水浸しの水面に伸びています。どうやらそれが幹線道路のようです。日本ではあちこちで水害で家屋、田や畑が水浸しになっていますが、規模的にはそんなものでは、いや、それを前提にしたものだからいいのか?それにしても水浸し! 15時頃にプノンペンからホーチミンへ、再びカタール航空。1時間過ぎてもなかなか降下しません。なんとなく8の字を描いて飛んでいるよう、そのうち機内放送もちろん英語、「ホーチミンは豪雨ですので引き返します。2時間飛行してプノンペンに逆戻り。 給油して再びホーチミンへ、今度は無事着陸。ホッとしました。 市内はシャッター通りに、豪雨で閉めたのかと思いきや、お盆なんだとか。 7日 今夜は日本へ発つ日。午前中朝鮮風呂へ、単に温度の低いサウナのある銭湯のようなもので食事ができるのが違いか?こんなの日本にもありますよね、聞くところによると日本が珍しく朝鮮の真似たとか?真似は昔日本の特許だったか。 そこの地区は高級住宅街で広い緑地帯で何組もの新婚さんが写真撮影をしていました。 帰りは成田経由で札幌へ、家に着いたのは9日の0100頃。翌日は1930頃寝て12時間も寝てしまいました。 |