42期 徒然草
第33回サロマ湖100kmウルトラマラソンに敗北 米堂 征男


 24回から29回まで連続6回ゴールできたのに、30回大会は都内のホテルのロビーの薄暗い場所であったため、老眼で手続きに手間どいエントリーできず。
 31回大会も3分でエントリー終わり、代わりに参加した『大雪トレイルマラソン』は超過酷で47kmで疲労困憊で棄権。


 昨年の32回大会は喜び勇んで参加してきましたが、スタート地点から雨がザンザン降り、60km過ぎの湖岸を走るときには風が出てきてかなり体力を消耗。
 70kmを過ぎると再び湖岸、横なぐりの雨で、両膝が痛くなり(こんなことは初めて)棄権で、昨年は72kmで終わりました。


 今年は綿密に計画立てて?6月24日までに1600km位は走り込んでおこうと、昨年の12月は思っていましたが、そうはいかないのが現実でした。

 大晦日にボイラーが壊れ給湯と風呂が15日まで使えないことに、それで1月は200kmほど。
 2月これから本格的と思っていたら、家内が体調を崩し(肺炎で40.6度の高熱で、救急車で病院へ)入院、診断結果肝臓に濃の塊があり、それで敗血症になり、肺炎に。高熱を出したので心臓の弁もかなり弱っているとのことでした。
 熱を出すまでは元気に日常生活を過ごしていたのに?
 入院したのが2月13日で、ゴールデンウィークには元気に退院出来るだろうと思っていました。
 実際に徐々回復していました。でもこちらも思い通りにはいきませんでした。

 5月14日早朝に息を引き取ってしまい、マラソンどころではなかったのですが、落ち込んでいても仕方がないので私としての日常を早く取り戻すために走り続けました。
 途中腰痛が出て走れなくなったりと、結局1000kmに満たない距離しか走り込めませんでした。

 また年とともにスピードが落ち、昨年までは6分/kmで20kmを走れたのが、今年は6.5分/kmに落ちてしまいました。


  そんな状態で6月24日をむかえました。

 そして今年の大会には保護司として
 『社会を明るくする運動』の広報活動をするために、
 『その運動のための青いシャツと襷』をして参加してきました。

 当日の天気予報は、スタート地点は曇り、気温は朝は一桁、昼には18度、ゴール近くの常呂は1日中雨、気温は18度と同じ。

 5時スタート、7時頃から日が照りだし、熱い、天気予報は何だったのだろう?
 測候所は何時ものようにサイコロを振って予報したのかな?
 それともNHKがサイコロ天気予報をしているのかな?
 予報通りになるのは気持ちとしては5割ぐらいか。

  10km手前で襷をした2人、『初100km むすめと走っています』  隣に『初100km 父と走っています』。
 「うらやましいですね娘さんと参加できて」と声を掛けると
 「エエ、保護司ですか?私もそうなんです」 「お互い走るのも、保護司も頑張りましょう!」と声を掛け合いました。

 52歳のお父さんと29歳のかわいい娘さんでした。

 また45km付近でも「社会を明るくする運動の広報活動ご苦労様です」と声がかかりました。

 このように声を掛けてくれるなら第24回大会から襷をすれば良かったと思いました。

 38km付近のエイド地点でスイカを二切れ頬張り、帽子の中に氷を入れて走りました。
 42.5km辺りで長袖シャツとランニングシャツを脱ぐ(去年のことがあったので厚着をしていました)。
 55kmの中継点で、ボランティアをしている知り合いのご婦人(何時も彼女とハグをしてエネルギーの注入)に「米堂さん浜佐呂間(70km付近)から寒いらしいですよ、雨も降っているみたい」。
 その忠告に従いウインドヤッケとオーバーズボンを穿いて走る。
 去年の反省に従い、中継点に荷物を送っていました。

 中継点から国道に出るとやはり雨がポツポツ、67km辺りでは湖面からブリザードのような雨風。
 おまけのその地点のエイドで何も食べなかったため、エネルギー切れでふらふらで浜佐呂間にたどり着く。
 そこで娘と孫、それと2男の声援を受け、また個人で開いているエイド(エイドを32年間も開いている魚屋さんの女将さんともハグ)でブルーベリーとキュウリを頬張る。

 何とか回復して70kmの関門をぎりぎりで通過。
 次の楽しみは74kmの『ホテル鶴雅』のエイドでの汁粉。
 「やーうれしいなー、汁粉がおいしい」 「じゃーもう1杯」、ダシスープ(これも旨い)1杯を飲んでエネルギーを注入、でもここから先で走り込み不足の影響がジンワリ出たのと、80~96kmのワッカ原生花園の気象状況を考え、海と湖の囲まれた所を冷たい雨が海風に曝されて走ることを思うと気が萎えるなーと思いながら走っていると、前方に千葉の『浦安ランナーズクラブ』の77歳のHさん(東北大震災の年から声をかけていました)がみえてきました。

 「酷い天気ですね」「去年も寒かったけど今年も同じだね」。「今何分?」「関門の制限時間まで後3分ぐらいみたいです」「ここで飛ばせば何とか間に合うかなー?」「80から90は向かい風ですよ、去年は90まで行ったんですよね」「行ったけれど寒くて動けなくなって、収容されたんだ」、と走りながらチバラギ訛りで話すものだから半分も理解できなかったけれど、そう話しているとき後ろから「関門まで後1分あるよね!」と言って我々よりも若い2~3人の集団が追い抜いていきました。

 「もう無理だよね」と2人は言いながら左折、200m行くとエイド地点。
 そこで我々の前のグループまでは通過、そして我々は「ハイ、時間です.通過で出来ません」
 「エエエー!関門は80kmの所ではないの、此処は300mほど手前じゃないの」。それに10秒程でダメ。

 今までは10分以上前で通過していたので、こんな場所で関門を設けているなんて思いもしませんでした。
 迂闊と言えば迂闊。

 今年も完走できず3連敗。
 サロマは8回走って2回失敗。
 浦安のHさんは去年が10回完走だった。
 でも90でダメ、今年もダメ。浦安では仲間が祝賀パーティーを準備していたんだけどなーと残念がっていました。

 それに比べればまーいいか!当初の予定では私も今年で10回完走することになっていたんだけどなー。

 バスでゴール地点へ、バスから降りると寒く手足はガクガク、口もガタガタ、吐く息も白くなっていました。
 お腹が空いていたので余計そう思ったのかも知れません。
 熱いお茶を飲んでいくらかホッとしました。

 預けた荷物をカーリング場で受け取り、体育館で着替え、男子更衣室なはずなのにな何故かあちこちに女性が、気にせず着替える。
 そこで娘達と合流してから、外に出て不味いラーメンを食べようやく一息つきました。

 そこに元25普連の走りの知り合いが通ったので「どうでしたゴールできました?」
 「40km過ぎで動けなくなってダメでした」(彼は79歳、50kmに参加)「此方も80で関門を通過できなかった」
 どちらかともなく「ご苦労様でした」。
 
 ア~ア、ヅカレタ!

 今年でもう止めよう、管理栄養士の家内のサポートがないと身体が保たない。
 何時ものようにそう思っていました。が、もしかしたら来年もまたもがいているかも、そう思いながら湧別の温泉に、そこには走った仲間が何人もいました。

 遠軽に帰り、東京スカイツリーにも支店がある『トリトン』という回転寿司で食事をして我が家へ。

 今日1日暑くて、寒くて、腹がへっておまけに疲れて満足感のないでも充実した1日でした。

 また、まだがんばるぞー!クソ!!