東北方支部便り |
東日本大震災の教訓 | ||||
お元気のことお喜び申し上げます。 昨年の大震災では同期の皆には大きな被害もなかったようです。壁にひび割れ、食器が壊れた程度です。 同期で被害がなかった原因は、昭和58年の宮城県沖地震の後、建築基準が厳しくなり、震度6に耐えうる建物でなければ許可が下りなかったことと、中心街は自衛官の給料では一戸建ての家を持つためには郊外の山の方に建てざるを得なかったためと思います。 仙台の北方の高台に大高、稲葉、今村、田中、金枝、平井、石川婦人、土谷、石田、小生を含め住んでいます。 昨年の3月11日当日、仕事で仙台中心部でいました。ビル、地面が大きく揺れ、撓みでコンクリートからその粉が飛び散りどの方向に倒れてくるのか観察しながら、頭にかばんを抱え、逃げる方向を確認し揺れが収まるのを待ってました。 通信手段も使えず、家族の状況も分からないまま、会社に状況を報告し、帰ろうと思い、バス停に行くと、全ての交通手段が無くなり、我が家まで9q歩いて帰りました。 電気が消え、暗い中を歩いて帰る時、演習で夜間指揮所に報告に向かうような気分でした。 震災で最も苦労するのは水です。 仙台では震災時の水を確保するため、公園の一部に防災用に水が出るところが有ります。普段から掌握しておくことが大切だと思います。 都心部ではどうなっているのか分かりませんが、情報を集める事も大切だと思います。 仙台地区の同期の今日 今村、大高、田中君、小生他、後輩を含め畑を借りて、晴耕雨読とはいかないが、収穫した野菜を自慢し、また交換しています。 一週間に一度は会って健康状態を確認し楽しく話しています。肥料代、苗代その他お金を掛けて、収穫していますが、スーパーで安く売っているのを見ると、がっかりします。 有機肥料で、無農薬で健康に良いと自分に言い聞かせて頑張っています。 石井 俊昭 記(H24.6.5) |